プロが教えるわが家の防犯対策術!

中学3年生の者です。
今度学校でディペートをやります。 テーマは脳死は人の死であるか?です。
まだどちらにつくかわかりません。
それで、さっきから1時間ぐらい資料を探しているのですが、チンプンカンプン・・・。
何を言ってるのかわかりません・・・。
このテーマだと、やっぱり医療の難しい話が必要になってくるでしょうか?
中学生でも(物分りの悪い私でも)わかるような資料・アドバイス。。。教えてください!!

A 回答 (12件中1~10件)

こんにちは。


ムズカシイ問題ですね。

まず、脳死というのは、脳の機能が停止し、もう完全に元には
戻らない状態を指します。医学的には死んだ状態とみてもさしつかえない。
けれど、心臓などは動いていて、
生物としての人間は正確には生きていることにもなります。

そこで家族の思いとしては、「脳は死んでもまだ生きている。このままの
状態でいさせてほしい」と思うか、「いや、死んだのだから、臓器移植などに
役立ててもらいたい」と考えるか議論がわかれるわけです。

現在の日本の法律は、簡単に言えば生前の本人が脳死を死として認め、
また家族もそれに同意するなら「死」とみなします。

詳しくは「賛成」と「反対」の意見、両方の参考URLを貼っておきました。
よくご自分で、冷静に考えてみてください。

脳死判定の法律(反対意見)

http://www.mikkyo21f.gr.jp/info_appeal-4.html

脳死は「人の死」である。(賛成意見)

http://taranco.hp.infoseek.co.jp/noshi/law/point …

ちなみに私は脳死判定賛成派です。死んだらすべての臓器を
生きている人に提供したいです。家族にもその旨を話してあります。
けれど、脳死反対の人に強要する気もありません。
「死」の判定は自らが選ぶ時代だと思うからです。
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この回答へのお礼

今日ディベートをやりました。0410さんの回答を参考にさせていただいた結果見事勝てました!! 本当にありがとうございました。

お礼日時:2003/06/19 18:57

角度を変えて、東洋医学的な立場で考えてみます。



東洋医学における人身最高の器官は心(心臓)です。
心臓が生命活動に重要な『陽気』という気の分配を司っており、一国の君主に例えられるからです。

一方、脳は『奇恒の腑』といって、身体の成長活動の源であるとされています。
脳は精神思惟を主る器官であり、ここが機能しなくなると人間としての活動が困難になると考えられていますが、脳の生理や病理は心(心臓)が統括しているものとされています。

ですから、東洋医学的には『脳死=人間の死』ではありません。

参考までに・・・。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2003/06/19 19:11

人は死にません。



生物学的には死んでも、友人や家族、愛する人の記憶の中で生き続けます。

記憶の中で生き続けるから、しかも、脳死患者の心臓は動いていて、体のぬくもりがあるから、
家族の人たちはなかなか脳死を死と認められないんですね。

逆に、臓器提供を待っている患者さんは、脳死を死と認めたいわけです。
そうじゃなきゃ、臓器提供を受けられず、残された道は死だけです。
こんなこと考えたくありませんが、臓器提供を待っている患者さんの中には、早く脳死患者が出ることを願っている人がいるかもしれません(実際にいるか知りません。勝手な妄想です)。
人の不幸を心待ちにするってのも、嫌ですね。

まぁ、極端な例は置いておいて、でも、脳死患者のアイデンティティーは失われているわけです。細胞は生きていたとしても、もはや、脳死患者は動きません。
これを生きているとするのは、患者の家族のエゴですね。
人間の生死の境は、アイデンティティーがあるかどうかだというのが、脳死を死とする人たちの意見です。


余談ですが、脳死患者から臓器移植が行われると、当然、体の中の臓器はかなりなくなります。すると、遺体の体重は減ります。家に遺体と一緒に帰るため、棺を持ち上げた時、遺体がとても軽いのを感じて、悲しくなったという話を聞いたことがあります。

ここからはディベートと全く関係ないのですが、
私は、脳死を人の死と認めて、臓器移植をするのも一つの選択肢として確立しておくべきだと思います。

しかし、自分がもし、脳死になった時、もしかしたら臓器移植が行われるかもしれません。自分は脳死ですから、
意思を表示する事もなく、家族の気持ちだけで、自分の体がいじられるかもしれません。
なので、臓器提供の意思を、ある程度の年齢から「義務付ける」べきだと思います。
自分の体のことは、自分で決める。
臓器を提供して、人助けをしたいという人は、臓器提供の意思を示せばいいし、自分の体をいじって欲しくないという人は、臓器提供をしないという意思を示せばいいのです。
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この回答へのお礼

そうですね。ありがとうございました。

お礼日時:2003/06/19 19:08

医療の問題というよりも.刑法の問題です。



臓器移植法が制定されるまでは.
刑法??条殺人の罪の判例で.どの時点で「人が死んだ」とするか(殺人か.傷害か)に関する判例の山があり.「心臓停止をもって人の死とする」事になっています。
刑法??条で.「多の法令に定めがある場合には他の法令の規定に従う」という.ことになっています。
臓器移植法が制定されて.「臓器移植の場合には.殺人罪を適応せず.臓器移植法違反とする」ことになりました。
このため.心臓が止まってない状態で取り出して移植していた医師(制定以前は殺人罪が成立する)の場合に.「3年以下の懲役とする」という減刑が決定されました。

この「臓器移植法」で「心臓死」以外の「死」が定義され.現在では2つの「死」が存在します。

ただ.「心臓死以外の死」の状態が.本当の「死」か動かは疑問です。というのは.手続きを定めた省令で.「脳に酸素を送らない状態にして調べてから.他の検査をする」規定になっているので.極端な言い方をするならば.「意識不明の獣病人の口をふさいで呼吸を出来ないようにして放置し.その後.脳はけいを見て.死んでいる」から.「脳死」であるというやり方です。適正な治療をすれば幼児の場合等は比較的簡単に回復する場合が多いのであり.適正な治療をせず.「脳死検査」と称して医師がよってたかって病人を殺している状態とも取れます。

アメリカでは.医療費が払えない貧乏人がたくさんいるので.臓器移植に同意する家族も多い(医療費を払わないで現金をもらう)と聞いています。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2003/06/19 19:06

脳死は人の死かどうかの前に、


脳死とは何かを調べてみてはどうでしょうか。
脳死と一言でいっても大脳の死、小脳の死、
あるいは大脳の半分だけが死、
などがあると本で読んだことがあります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2003/06/19 19:06

中学3年生のデイべートなので、簡単にまとめます。


1、脳死を人の死とする場合
「人は考える葦である」つまり
自ら考え、自らの意志を表明することが、人として存在する事であり、生きている証明である。

2、脳死を人の死としない場合
生物は全て、物理的・化学的作用を基に、生命活動が維持されている。この作用が継続する限り、人は生きている。

ちょっと難しい言い方かもしれないけど、視点をどこに置くかが、デイベートの基本です。頑張って下さい。
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この回答へのお礼

ありがとうございました

お礼日時:2003/06/19 19:04

こんにちは。


大変難しく、奥の深い問題ですので回答したいけど他の方と重複する部分は避けます。m(__)m

「死」の定義が時代により、その時の医療を始めとする各種の技術レベルにより変わっているという事をまず頭においてください。
つまり江戸時代は確実に「死」であっても今は全然「死んでない」という状態が存在します。
これは国によっても地域によっても違います。

また実質的には、日本でだって医療過疎の地域と大学病院などがすぐ近くにある場所では、助けられる命に違いが生じる事も確かですよね。
ある意味ではそれでさえ、「死」の定義が変わってしまうのです。

将来、脳死でも生き返らせる技術ができるかもしれません。
その時には脳死は「死」ではなくなるでしょう。

このように「死」そのものが流動的な物であり、それを技術、文化的背景にてらしてその時々、場所で勝手に定義しているのだという事をまず頭においてください。
その上で、他の方々の回答、もう一度読んでみてください。
随分違うと思いますよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2003/06/19 19:04

難しい問題ですね。


私も#1の方と同じ考えを持っています。
現在日本では脳死は人の死とされているようです。
というより、もう意識が回復する見込みがない(不可逆)ことを脳死と呼んでいますね。

また日本での臓器移植は、生前の臓器提供意思表示カードによる本人の意思表示、家族の同意の両方が必要です。
外国では、18歳になると臓器提供の意思を確認する書類が送られてきて返送しなければならない国とか、家族の同意のみで臓器提供が出来る国などもあります。
この辺は調べてみる価値はありそうです。

それと、脳死について考えるためには人の生死の定義が問題になってくると思います。
生きているということはどういう状態なのか。
死んでいるということはどういう状態なのか。
その上で脳死とはどういう状態なのか。また、人の死といえるのか。
難しい問題だからこそ、議論が生まれるのですね。

心臓も動いている、(人工呼吸器がついているとは言え)呼吸をしている、まだ体が温かい・・・
それなのにその人の事を「死」とするのには問題があるように思いますが、その人は元のように意識を取り戻すことはない。
どうせ生き返ることがないなら死んだことにして、その人の臓器を生きる可能性のある人に移植すればいい。
というような考えの下にできたのが臓器移植法です。
これが正しいかどうかは私にも判断がつきません。
さらに、臓器移植には新鮮な臓器が必要ですから、まだ助かる見込みが少しは残っているのにもかかわらず
延命治療を打ち切り、臓器を保存する方向にもって行かれる可能性があるようです。(実際はどうか知りません)
これでは臓器を提供するために死ぬようなものですよね。

まぁこれくらいにして・・・
ディベートをするためには議題に対する十分な理解が必要ですので、下記のサイトを紹介します。

参考URL:http://www.medi-net.or.jp/tcnet/index.html
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この回答へのお礼

大変参考にさせていただきました。 ありがとうございました!! 

お礼日時:2003/06/19 19:02

脳死は人の死であるか、についてディベートとか、議論する時、人の死は何か? どうなったら死? 人が死んだとするか? 考えるか? が簡単に決められないのです。

一般的には心臓が動いていたら生きているとずっと考えてきましたし、今でも多くの人はそう思っています。実際、自分の家族が心臓が動いていて他の体の反応が無いとき、医師にこの人は死んでいます、と言われてそうですと簡単に受け入れられるでしょうか、むずかしい問題なのです。
今、脳死が問題になっているのは、心臓のように新しい心臓がないと生きられない、臓器移植が必要となる為に脳死による死を認める必要があるのです。心臓移植をしようとする時、生きた心臓が必ずいりますね、そして、心臓を取られた人は必ず死にますね、ですから、心臓は動いても死んだとしないと、医師は殺人罪で訴えられます(訴えられています)。この問題には現代の医療技術が進歩して、色いろ生きるための手を尽くして、脳の組織はダメになったけれど心臓は簡単には止まらないところにまで技術があることも要因になっています。(この状態でほとんど生きない、生還しないところまで医師は治療を続けていることも承知していますが、)
臓器移植をするために脳死の定義がいるのですが、その為だけに脳死があるのは私には釈然としないものがあります。(よけいなことを言ったかもしれません)
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この回答へのお礼

ありがとうございました。 今日ディベートをやった結果見事勝ちました!!

お礼日時:2003/06/19 19:00

死亡と認定する3条件(現時点の概略、法律上もほぼ同じ)


1.心臓が止まる
2.呼吸がとまる
3.瞳孔が光に対して反応しない
脳死の条件(現時点の概略)
1.大きく言って脳が機能していない
2.人口心肺を止めたら、上記の死亡条件になる
問題点
1.脳死の条件を、満たしていても生き返った例がある
2.一般の人は、心臓・呼吸が止まらないと死亡したと認めてない
3.臓器移植には、新鮮な臓器が不可欠
以上が私が提供できる事です
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この回答へのお礼

ありがとうございました。 みなさまのおかげで今日勝ちました!!

お礼日時:2003/06/19 18:58

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