質問

 フランス語やイタリア語の文の中に駄洒落っぽく
出てくるので、韻を踏んだ面白い言葉である
ことは分かるのですが、よく考えたら、
具体的にどうゆう場面でのセリフなのか
読んだことがありません。
 多分、ガリア戦記で迫り来る敵軍を前に
シーザーが言った言葉だと思うのですが・・・

 そこで質問です。

この「来た、見た、勝った」
1)ガリア戦記のどのあたりに出てくるのでしょうか?

2)なぜこの言葉が有名になったので
 しょうか? そのきっかけは?

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回答 (5件)

いま手許に「ガリア戦記」がないので、記述箇所を調べられないのですが、この言葉は
前47にカエサル(53歳) エジプトでクレオパトラと出会い、6ヶ月もエジプトに滞在し、8月2日、黒海南岸の小アジアに転戦し、ポントゥスを滅ぼした際ゼラという町から、ローマ(元老院)に宛てて書いた戦闘の勝利を伝える手紙「来た、見た、勝った」( Veni,Vidi,Vici.) です。

その他
〇ブルタークによれば、小アジアでポンペイウス派のミトリダーテース・パルナケース
( Mithridates Pharnaces ) に勝利をおさめたユリウス・カエサルは友人のアミンティウスに Veni, vidi, vici と伝えた。

○英文解説・(Latin, "I came, I saw, I conquered").
According to Plutarch, it was thus that Julius Caesar announced to his friend Ammintius his victory at Zela(47 BC), in Asia minor, over Pharnaces, son of Mithridates, who had rendered aid to Pompey.(Brewer's)
 Plutarch プルタルコス (c. 46-after 119) :ギリシアの伝記作家・歴史家
 Pompey ポンペイウス :ローマの政治家、軍人
 スエトーニウスの『ローマ皇帝伝』からの引用です。

ガリア戦記は、足かけ8年にわたるガリア遠征について
前51公表されていますので、時代があわないと思います。

どうして有名になったかについては、完了の語尾によって脚韻が踏まれ、口当たり・耳触りがよい言葉であり、他の方が書かれている通りカエサルの言葉として、後の歴史書、文学等に引用されていったからではないかと思われます。

この回答へのお礼

皆さん有難う御座います。
ガリア戦記じゃないんですね。

 一生懸命探してました。

この回答への補足

もう少し自分で調べて、
また質問させて頂くかもしれません。

Veni, Vidi, Vici(我来たり、我見たり、我勝てり)

常勝のシーザが絶頂期にあった時(遠征先のエジプトでクレオパトラと恋に落ち半年も滞在)そのエジプトから紀元前47年、小アジア(現トルコの一部)で起こった反乱鎮圧に出向き、叛乱を鎮圧したとき元老院に送った報告書に書いた言葉です。従ってガリア戦記にはないはずです。

何故この文句が有名になったか。それはシーザの言葉だからでしょう。つまらない将軍が吐いた言葉なら、厚顔無恥な男の言葉として無視され歴史に残らなかったでしょう。
シーザはこの3年後に暗殺されています。

この回答へのお礼

>何故この文句が有名になったか。それはシーザの言葉だからでしょう。つまらない将軍が吐いた言葉なら、厚顔無恥な男の言葉として無視され歴史に残らなかったでしょう。

 今回の質問で、まだこの点は納得
入ってないんですよ。

 世の中には聖書から引用された言葉も沢山
あるんですが、広がっている理由を調べると
宗教絵画によく出てくるとか、有名な人が
皆の記憶に残るような有名な引用方法をしたり
してるんです。

ガリア戦記の記述はわかりませんが、
岩波文庫の『プルターク英雄伝(九)』のカエサル(シーザー)篇、第50章に載ってます。
そこではシーザーのクレオパトラとの出会いの後、
アジア(現在のトルコ地方)との戦争のときの言葉となっています。
三軍団を率いて敵を根こそぎ滅ぼした、
その際、ローマの友人に当てた手紙の中の言葉とあります。
(一説には、凱旋式で高札に書いた言葉)

ラテン語では「ウェーニー、ウィーディー、ウィーキー」と言うそうで、
「同じような音で終わっていて信じられない程短い言葉になっている」とプルタークが評しています。

この回答へのお礼

>ラテン語では「ウェーニー、ウィーディー、ウィーキー」と言うそうで、

 そうなんです。
その韻を踏んだところが、
ラテン語起源のフランス語、イタリア語等で
しゃれとして出てくるんです。

>岩波文庫の『プルターク英雄伝(九)』のカエサル(シーザー)篇、第50章に載ってます。

 参考になりました。

小アジアのゼラでミトリダテス王の息子
ファルナケスとの戦いに勝ったときに
ローマの友人に送った手紙の中の言葉です。

ガリア地方に遠征に行って、戦地から送った報告に書かれてあったようです。

勝利の法則として有名になったんでしょうね。

この回答へのお礼

有難う御座います。

 具体的な前後の話の流れを知りたいので、
ガリア戦記のどのあたりにどう出てくるのか
知りたいです。

例えば
第二回ブリタンニア遠征 中ごろ、
だれだれが報告書を読むシーン、とか・・・

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