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伊藤博文を内閣総理大臣に指名したのはどこですか?
また どのような経緯で伊藤が選ばれたのか
教えてください・

A 回答 (3件)

法律上うんぬんは、抜きにすると指名したのは 伊藤本人と言う事になります。


経緯としては、憲法や内閣制など、国の体制を作る事を伊藤が担当していたと言うか、主導していた事によります。

官邸のサイトにあるように、憲法の方があとですので、憲法の規定による天皇任命ではありません。

王政下における内閣制は、主権者たる王が、相談相手を選んで、そのトップを首相と呼びますので、戦前では 明確な法規定はありませんでした。

2の方のいうように、習慣です。

実際は、元老会議(これも、法規定の無い組織ですが)で、元老や、首相経験者が 天皇に奏上して 天皇は その指名をそのまま よしとする体制でした。

参考URL:http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/1-1.html
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 これから後の方々が詳細な回答をされると思いますので、自分としては分かる範囲で(想像もありますが)回答させていただきます。


明治初期、新政府の大きなテーマとして、「不平等条約の撤廃」がありました。「ペリー来航」当時、西洋諸国からみると、日本という国家はまだ未開の非文明国家にしか見えなかったようです。また、そのままいくと国益を損なうことも相当あったようで、欧米諸国の理解を促すために憲法を制定する必要があったのです。だから、自分個人としては「自由民権運動」の盛り上がりが最も大きな理由ではなかったと思います。もちろん憲法制定に伴って多くの運動家が輩出したのもじじつですが。

 さて、この憲法制定にあたり最も尽力したのがほかならぬ博文であります。欧米へ長期間出張し、多くの憲法の研究をかさね、多くの国内外の研究者たちと討論をかさね、相当な苦心のすえできた憲法なのです。
 現代のわれわれにはなじみのないものとなってしまいましたし、特に太平洋戦争の引き金にもなったとの指摘もあり、逆に悪い印象をあたえているようですが、現在の「日本国憲法」と比較しても、実はかなり良い憲法であったようです。

 さて、そうして発布された憲法ですが主権者は「天皇」にありました。当時の総理大臣という役職もあくまで天皇の補佐という立場であったと思います。
 よって、初代内閣総理大臣、伊藤博文を指名したのは「明治天皇」です。こうした「習慣」は明治憲法が続いた昭和20年代まで続きます。だから実は戦後何人かの総理大臣も天皇の指名によって就任、という手続きをとっているはずです。もちろん現代は日本国憲法に基づいて「国会」の指名によって総理大臣は決定すると思います。

 全く文献などを参考にしたわけでなく、記憶を中心として申し上げましたが大体以上のような感じだと思います。
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直接ではありませんが、Googleでキーワード:伊藤博文 内閣総理大臣 経緯 で


関するような話が複数出ます。
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