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607年(推古15年) 第2回遣隋使、小野妹子らは、「日出処の天子……」の国書を持参しました。
この国書を煬帝に渡した都は洛陽ですか、それとも長安ですか。
Webではどちらの説もありますので、お手数ですがWeb以外で教えていただきたいと思います。
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

まあ、中国がこう言っているのだから仕方が無い事で。


http://homepage1.nifty.com/sawarabi/seian.rakuyo …

>Webではどちらの説もありますので、

覆したいなら中国へ飛ぶ。
研究したいなら図書館で隋書などを借りる。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
中国は、「洛陽」と言っているのですか。
日本は「蛮夷の国」であるから、首都・長安で会うほどのことではない、ということでしょうか。

遣隋使が「何という名の宮殿の、何の間」で、どんな礼儀(跪坐?)で皇帝に会ったのだろうかと想像して、長安(大興城)の都を調べ始めたのですが、まず、どこの都市で会ったのだろうかと疑問をもち、質問しました。
「研究」にはほど遠い、単なる興味本位の質問ですが、質問すればいろんなことを教えて頂けるので喜んでいます。

お礼日時:2010/04/07 20:42

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