「妨ぐるほどの 悪なきゆえなり」なき ゆえなりは どういった 意味でし
「妨ぐるほどの 悪なきゆえなり」なき ゆえなりは どういった 意味でしょうか
「ないからである」という意味ではないでしょうか。
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一
弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、
往生をばとぐるなりと信じて念仏もうさんとおもいたつこころのおこるとき、
すなわち摂取不捨の利益にあずけしめたまうなり。
弥陀の本願には老少善悪のひとをえらばれず。
ただ信心を要とすとしるべし。
そのゆえは、
罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願にてまします。
しかれば本願を信ぜんには、
他の善も要にあらず、
念仏にまさるべき善なきゆえに。
悪をもおそるべからず、
弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆえにと云々
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と、言い換え、言い換え、言い換えの連続で論理が積み重ねられている文脈の一部ではなかろうかと思います。
なので、最初の一文を私なりに読むと…
「弥陀の誓願不思議」という主語は何なのかは、最初から読むのを立ち止まってしまって考えると非常に難しくなってしまいますのでそのまんまにしておいて、「弥陀の誓願不思議」なるものによって、そのような働きによって、私たちの中に、自分のような人間でも往生(←これまた考えたら何のことやら難しいですのでそのまんまにしておきます)することになっている、往生することが決まっている、自然に往生するのが法則であるということが信じる気持ちが生まれ、そして自動的にありがたいという報恩のこころで念仏を称えているとき、そのときに既に、もう、摂取不捨の利益、人間誰でも全員、すくい取られて、誰一人、捨てられないという利益を、もう既に頂いている、賜っている、全ての救いはもう既に与えられ終わっている……
と、私の文章がへたくそでわかりにくいかも知れませんが、そんなようなことを言っているのだと思います。
以下、同じ事を、何度も言い換えながら、論理が積み重ねられていると考えます。
摂取不捨の利益=人間誰でも全員、すくい取られて、誰一人、捨てられないという利益、
と考えますと、たとえば五重塔を寄進した善人も救われて捨てられないということになりますが、一方で、ドーンとお寺を建てて寄進するような善人ではなくて、自分の手で魚を捕ったり、イノシシを捕ったりして暮らしている庶民、つまり、悪人であっても救われて捨てられないということになると思います。
善悪というのは、ある時代、ある社会において、人間が勝手に線を引いて、人間が勝手に名付けている、ある時代、ある社会での習慣として、もちろん、その時代の社会生活には必須ですし、なくならないし、大事なんですが、阿弥陀如来による全ての人を救うという誓いが既に成就していると信じるならば、その物語にコミットした人に取っては、別世界、別次元のものの見方、別様の考え方がありえるということだと思います。
なので、ご質問部分の…
なぜなれば阿弥陀如来による全ての人を救うという誓いの障碍になるほどの悪はないからである…
という信仰が、だから、俗世間的にわざと必要もないのにわざわざ悪いことをしてやろう…ではなくて、信仰の次元であり得ると思われます。
言い換えますと、阿弥陀如来が「ほとんど全ての人を救おう、但し、仏教の悪口を言った人は除きます」等、例外的な悪があるんだと思った場合には、救われない悪というのはあるんだなぁ…となってしまいますが、阿弥陀如来は例外規定を設けていないんだと信じるということになると思います。
人間が考えるような善悪の線引きはどんぐりのせいくらべというか、阿弥陀様から見たら、関係ないということなのかも知れません。
>「妨ぐるほどの 悪なきゆえなり」なき ゆえなりは どういった 意味でしょうか
↓
「障害や拒む程の悪事・問題は無いという理由からです」
なき:無い
ゆえ:故・理由・わけ
なり:です。とかの末尾の締めくくりの言葉
と言う風に解釈が出来、使用されているのでは・・・。
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