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日独伊三国同盟+ソ連の日独ソ伊四カ国同盟は可能だったか?
第二次世界大戦中、ソ連は独ソ不可侵条約を結び日ソ不可侵条約も結んでいました。日、独が、ソ連の外交交渉に金を使い、枢軸国側に参加させられる可能性というのはあったのでしょうか?また、ソ連が枢軸国側で参戦したら世界はどう変わっていたでしょうか?

A 回答 (4件)

おそらく、可能性は低いと思います。



ナチス・ドイツは、ポーランド・フランス・イギリスを相手にするために独ソ不可侵条約を結びましたが
それは、フランス・イギリスという当面の敵に対処するためだけのものでした。そのため、独ソ不可侵
条約を結ぶ一方で、対ソ連戦を企画立案していました。ドイツは、アメリカがヨーロッパ戦線に参戦する
ことを恐れていましたが、ソ連は「潰すべき敵」でした。ですから、実際はヨーロッパを完全に支配下に
おいてからアメリカと事を構えるなら構えたかったというのが本音でしょう。
そのため、日独伊三国軍事同盟を結んだのです。これは、独ソが開戦したら、シベリア方面から日本が
ソ連に圧力もしくは攻撃をかけることの期待が込められてていました。
しかし、日本はその情報を得ていなかったため、日ソ中立条約を結びます。日本としては、資源確保の
ため、南進を企図します。その時、ソ連を放っておくと満蒙が大変なことになりますから、日本としては
南進のために必要な条約でした。
ところが、ドイツにとっては、独ソ戦が間近に迫っている中、正直迷惑な話でした。日ソ中立条約の
日本側全権大使の松岡洋右は、意気揚々とドイツの外相リッペンドロープに報告しますが、
リッペンドロープの反応は冷めたものだったそうです。
結果、ソ連は背後を心配することなく、ドイツとの戦いに専念することが可能となりました。

>ソ連が枢軸国側で参戦したら
というよりも、日本がアメリカを無視してシベリアに攻め込んでいたら、違った展開になったかも
しれません。
ただ、そうならなかった時点で、日独伊三国軍事同盟は根本的な機能不全に陥ってしまったことに
なります。
なぜなら、ドイツと日本の思惑が結果的にずれたからです。
「ドイツはソ連を叩き、アメリカとは事をなるべく構えたくない。」
「日本はアメリカを叩き、ソ連とは事をなるべく構えたくない。」
ドイツは、第一次世界大戦の記憶がありますから、なるべくアメリカがヨーロッパ戦線に参戦する口実を
与えたくありませんでした。
一方日本は、ノモンハン事件等でソ連に痛い目にあってますから、北進ではなく南進、つまりアジアの
資源、権益が欲しい。そのためには、ドイツと一緒になってアジアの英・仏・蘭勢力を一掃したい。
しかし、アジアには、英・仏・蘭勢力だけではなく、アメリカも遅ればせながら関わって来ています。
日本と敵対する中国国民党はアメリカが肩入れをし、また、東南アジアにはフィリピンもあります。
結果、日本がアジアの資源と権益を確保するためには、最終的にアメリカを叩かなければ
ならなかったのです。

ですから、ソ連を敵に回したくない日本と、ソ連を攻撃目標としていたドイツの思惑は一致しないため
共に、ソ連に働きかけて日独伊にソ連を加えるという可能性は極めて低いと考えられます。
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wikiの独ソ戦の記事:


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8B%AC%E3%82%BD% …
によると、

ソビエトは第二次世界大戦開始当時の状況を考えると侵略軍であった。それはポーランド、フィンランド、ルーマニア、バルト三国に対しての行動から見ても考えるまでもない。これらの状況をふまえてイギリス・アメリカは困惑を含めて眺めていた。連合軍の目的は全体主義国家であり地政学的なランドパワーとしての地位を復活しようとするナチス・ドイツの殲滅である。では、ソビエトはその対象であるのか? 反共で知られるイギリスの首相チャーチルは、ナチス・ドイツの敵であるがゆえに「敵の敵は味方」という判断をくだしたのである。

要するにチャーチルが超・反共だったら、イギリスはソ連に宣戦していたかもしれません。
そうすると、独ソ同盟はそのまま続き、日独ソ伊四カ国同盟が成立するかもしれません。
ヒトラーは反共ですから、同盟はいずれ崩壊するでしょうが、
対英米用の同盟として機能する可能性もあるのではないでしょうか?
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ソ連が枢軸側参戦した可能性は決して低くありません。


独ソ不可侵条約とその後のソ連によるポーランド、バルト三国、フィンランド侵攻から英仏はソ連を「ドイツの同盟国」として、ドイツに対する石油輸出を妨害する為にバクー油田を空爆する計画を立案し、実行直前まで行っていました。
(当時、バクー油田偵察のために煩雑にイギリス軍機が領空侵犯を行い、スターリンがイギリスに抗議しています)
しかし実行の直前になってフランスが予想外に早く屈服した為に、イギリスは戦略の練り直しを余儀なくされ、このバクー油田空爆作戦はお蔵入りとなってしまいました。
もしフランス屈服が数ヶ月遅れ、バクー油田が実際に空爆されていればソ連は枢軸側で参戦したでしょう。
この場合、フランス屈服後にイギリスが講和に応じた可能性が低くありません。ただしソ連、ドイツ、イタリアが束になっても海軍力ではイギリスに遙か及びませんので、イギリスを屈服させるところまでは無理です。
この結果「鉄のカーテン」が英仏海峡にしかれる事になるかもしれませんし、対英戦終結後にやはり独ソ戦が始まり、それにより「第3次世界大戦」が勃発する可能性も高いでしょうね。
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四カ国同盟


無理かなと思う
近代欧州の覇権構造を考えると、バルト海沿岸に覇権国はひとつ。それがスウェーデンだったり、ポーランドだったり、ロシアだったり、ドイツだったり。スウェーデン・ポーランドが候補として残らないから、あとはロシアかドイツ。
で、ドイツのポーランド侵攻はロシアのポーランド侵攻&バルト三国の併合なので、早晩激突は避けられない
http://en.wikipedia.org/wiki/File:Second_World_W …
※ バルト三国が白いのは1940年つまりポーランドのかたが着いてから、ロシアが支配したから。
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