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こっくりさんについて

中学生の頃こっくりさんが流行っていた時期があります。
実は私はこっくりさん自体知らなくて、たまたま友人の家に行ったら、数名の友人が、こっくりさんをやっていて、「何をやってんだろうか・・・。」と、遠目に見ていたという感じなのです。
いわゆる、巻き込まれたような状態なのですが、その後こっくりさんに帰って頂けず、皆が凄く焦っていました。
その日の夜中、その時のメンバーが「大変なことが起こった!!」と言って、私の家の部屋の窓を叩いて、呼び出そうとしたのですが、その日はたまたま私の部屋で父が寝たので、気がつかず(勿論父も気がつかず)、結局その日の朝、家に来た友人の後に付いて、事情を聞きに行きましたら、こっくりさんに帰ってもらえず、「呪ってやる」「殺してやる」みたいな風に、動くのだとのことでした。
そうこうしているうちに、メンバーの一人がトランス状態になり、泣きながら「お前たちを絶対に許さない。一生呪ってやる。」みたいなことを言いました。
数時間その状態が続き皆「帰りたい。許して下さい。」と泣きましたが、聞きいれて貰えませんでした。
私は正直、なんで巻き込まれた上に、呪われなければならないのだ、とやりきれない思いでした。
この場に私と同様に巻き込まれた友人3名ほどいました。

結局、その家のおじいさんが、「お前たち何やってんだ!」と部屋に入ってきた時点で、トランス状態が解けて、事情を説明すると、「馬鹿馬鹿しい。」、気を使ってくれた友人のお母さんが「使った道具を持って神社へ行って、謝ってきなさい。」みたいに行ったので、その場に居合わせたメンバー全員で行きました。

なんと言うか、こちらのサイトで、こっくりさんは、潜在意識みたいなもので人間が指を動かしているだけの話で、トランス状態になるのも感受性の強い人が憑かれたらどうしようという恐怖心からなる、したがって、たたりも何もない、というのを見て、少し安堵したのですが、やはりあの時の凄まじい光景が忘れられず、時々思い出されて、嫌な気持ちになります。凄く怖かったんです。

いい大人になってこのようなことを気にするのも笑われてしまいそうですが、今年の2月にちょっと気になる夢を見まして、またふと思い出してしまい、気になってしまいます。

唯物論の観点からすると、気にせず、科学的に納得して、そんなものはない、と忘れることがベストでしょうし、そうではなく、霊的なものがある、という観点から考えても、気にせず忘れる方がベストなのかな、と思うのですが・・・。

ちなみに、呪われたかどうかは分かりませんが、元々実家が仏教で信仰の厚かった友人Aは順調に成長、Bは1年後登校拒否になり(原因はいじめではないです)中卒、その後18歳になりスナックで働いて遊びまくっているという噂を聞きました。(そういうタイプではなかった。)
Cは元々パッとせず、大人になってもパッとしない、という感じ。
他は不明。私自身は、割と起伏が激しい人生ですが(何をするにも間が悪いことが多い。)、これまで、呪われたからこうなったんだとは考えないようにしてはいるんですが(辛いさなかはそんなことさえすっかり忘れちゃいますし)、時々思い出すとやはり怖くなりますので、なんとか良い方に気持ちを持って行ける方法はないかと・・・。

科学的なお考えでも、オカルト的な考え方でも構いませんので、何か知恵をお与えいただけましたら幸いです。

A 回答 (4件)

あなたは既にご自分で回答を出しているではありませんか。


あなたが書いているように、「こっくりさんは、潜在意識みたいなもので人間が指を動かしているだけの話で、トランス状態になるのも感受性の強い人が憑かれたらどうしようという恐怖心からなる、したがって、たたりも何もない」のです。

立命館大学の安斉育郎教授がNHK人間講座「だます心だまされる心」の第3回で、「こっくりさん」が19世紀の後半に欧米で流行り、1884年に伊豆半島沖で漂流したアメリカの船員によって日本に紹介されたこと。

その後日本でも大流行となったこと。当時は三本脚の上におひつの蓋を乗せて行い、脚がコックリコックリと動くことからコックリさんといい、それに狐・狗・狸の文字を当てたこと。

コックリさんの原理は19世紀半ばにイギリスの科学者で物理学者であるマイケル・ファラデー(1791~1867)が実験によって「潜在意識が手に反映している」と解明していること。

など、実験の道具とともに説明していらっしゃいます。

あなたの子どものときの体験については、「人間って暗示にかかるとあんな風になってしまうものなんだなあ」という程度に、一つの体験としておけば良いのではないかと思います。

深く考えて、それこそおかしな暗示にかからないことです。
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この回答へのお礼

ご回答頂きましてありがとうございます。

科学的な根拠に基づいて説明して頂き、安堵感を得ました。

例えば人間というのは、何かうまくいかないことがあると何かのせいにしてしまいたい心情があるんだと思うんです。
私もさすがにそれは客観的に理解できるので、そう考えないようにしようと努めて来ました。
そう考えることによって、自分で、恐怖の実体を作ってしまうことにもなりかねないからです。
実際、本当に呪われているのなら、とっくに死んでいてもおかしくないし、
もっとひどい目に遭っている、と考える方が妥当なので、ただ、今一つ人によっては「本当にあるんだ」、「いいや迷信だ」と判断が分かれるところで、いまいち吹っ切ることができずにいました。

そう考えると、自己暗示というのはとても凄まじいものがあるんだと驚くばかりです。
声色や、表情まで変わり、中学生の私にとっては、「とり憑かれてる!」としか思えなかったのです。

しかしながら、疑問に思ったのは、友人のおじいさん(非常に気難しい方)が入ってきた時に、
トランス状態が解けたことです。
もしも本当の心霊現象としたら、たとえ、おじいさんが来たとしても、状態は変わらなかったと思います。

回答者様のご意見で、人は思い込みで、本当に時として凄いことをするのだと、
改めて考えを巡らせました。
そのパワーを、私は良い方向に使っていこうと、決意した次第です。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/16 17:46

#3の内容の訂正:



6段目の
#悪魔的な儀式とされる横浜を本拠とするN宗教団体は一流の人たちも加わっているのに
   ↓
横浜を本拠とするN宗教団体は一流の人たちも加わっているのに

思い当たる方、関係者の方には、大変申し訳ありません。悪魔的な儀式や猟奇的事件を起こした人たちと、元の本部とは直接関係ありません。
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カテゴリが違うと思いますが、この話は、とても難しいことだと思います。

それに向き合うことは、虚無や混沌の世界と対決することだからです。

中学生だった方たちが、大人になって、どうなったかは、ひとつの出来事には関係はありません。それは、その人たちが持っている運命というか、その人たちに備え付けられた運命の筋書きで、なかなか、変わるわけではありません。

ただ、私が着目するのは、私たちの心の中に、
>「お前たちを絶対に許さない。一生呪ってやる。」
という、悪魔的な心があるわけで、私たちは、ふだん、それを理性で閉じ込めているだけではないでしょうか。「こっくり」さんでなくても、退行催眠術や、場合によっては、瞑想でさえ、閉じ込めていたものが、あるきっかけで、はずれて目覚めてしまうものだと思うのです。単なる表面的な言葉では解決しないものだと思います。科学でも、宗教でも、問題を個人に帰してしまうので、その社会性の問題を見失ってしまいます。

最近、ある在日の人の本を読んで、「恨(ハン)」という意識というものが、私たちにも似たものがあるのではないかと思いました。一般的な一方向性の「恨み」ではなく、抑圧された感情で、怨恨・憎悪・嫉妬などの感情が繰り返されて内向していき、そこに社会的に上下の階層構造が加わり、それを解決しようとして行動することだと言います。私たちは、必ずしも社会に完全に適合しているわけではありません。その歪が、「悪魔的」な行動となるわけだと思います。

確かに、スピリチュアルカウンセラーとか称する人も、ひとつの権威の名の元に行う儀式には、その社会構造から生み出された呪縛を開放し、いっときは、解決することは可能なのだろうと思います。ただ、現実の社会に戻り、その社会構造に巻き込まれてしまえば、同じ繰り返しになるものだと思います。こういう不況の時代で、生活の張りや生活の目的を失うと、私たちは、心の暴走をしかねないのです。

某宗教団体は、光のまえでは、影は消えるとは言います。そういう社会で生活できれば良いとは思いますが、皆がみな、そういうことはできません。悪魔的な儀式とされる横浜を本拠とするN宗教団体は一流の人たちも加わっているのに、なぜか離れていった一部の信者が猟奇的な事件を起こします。

「悪魔」を認めれば、「悪魔」が現れるのかもしれません。単純な唯物論では、とても解決できないものです。私たちの心には、聖もあれば邪もあるものだと思います。亡くなられた方にはお気の毒なのですが、秋葉原の無差別殺人の犯人を、別のみかたをすると、「魔」が差したという言い方も可能ではないかと思うことがあるのです。私たちは、きちんとした仕事をし、衣食住の環境さえ整えていれば、「魔」が出てくることはないものだと思います。もちろん、私たちの多くは、それほど、封印した心の一部が外れて、犯罪を犯してしまうという人はないと思います。ただ、私たちが、「魔」の世界に陥らないようにするためには、私たち自身だけでなく、その周りにも気を配らなくてはならないことなのだろうと思うのです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

回答者様のご意見で色々なことを思い返しました。

このトランス状態になった生徒の家庭は非常に複雑で、当時小さな田舎に住んでいたのですが、この町では、なんというか、とても変わってる家族、というように見られていました。
(というより、お母さんが変わっている??)
本当は妹がいたけど赤ちゃんの時に家のお風呂で溺死していた、と話していて、その時は衝撃的に思いました。なんというか、子供心に、心に何か抱えていたのでは、と思いを馳せました。

秋葉原の殺人事件の件ですが、この事件だったかどうか忘れましたが「レッサーパンダ」という事件に関して、新聞記事を読んだことがあります。
この犯人の妹さんのことに関しての連載だったのですが、父親が借金だらけなのにギャンブルに溺れ、母親は、子供二人を置いて逃げてしまい、父、兄、妹、と貧乏暮しをしていたそうです。
妹は働き者で、とにかく生活するために身を粉にして働きましたが、そのお金を父親がパチンコに使うと毎度持ち去っていたそうです。
そのうち、兄は東京で犯罪を犯し、妹は自分の人生のために自立を決意しましたが、自立して数年もたたないうちに、癌で亡くなった、という非常に不憫な話だったように記憶してます。
この話を読んで、殺人を犯した犯人自体が絶対に許されるものではありませんが、生い立ちにこんな辛い思いがあると考えた時に、安易に同情するわけにはいきませんが、こういう殺人者を作り上げたのは一体誰なのか、ということを考えなければならない、と思いました。
また同様の環境で育ったにも関わらず、妹の方は良心に従って行動していました。
自暴自棄になることもできたでしょうに、それを選ばなかったのです。

大変意義深い内容でした。
本当にありがとうございます。

お礼日時:2010/05/16 18:05

恐怖の出来事は忘れません。



以上。


戦時中、アメリカの恐怖に怯えながら
沖縄で必死に戦った人から見たら、
なんとも馬鹿臭い話ですな。
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この回答へのお礼

一番にお答え頂きましてありがとうございます。

>戦時中、アメリカの恐怖に怯えながら
沖縄で必死に戦った人から見たら、

貴方様にはこのような経験がおありになるのでしょうか?
おありになるからこそ、引き合いに出したということでしょうか?

勿論時代変われば、ところ変われば、私が質問した内容のようなことより、
尚、恐怖に思うことが山ほどあるのはさすがに承知しております。

こういう内容の引っかかりを外す為に有効な考え方は無いのか、という質問だったのですが。

お礼日時:2010/05/16 17:34

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