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《 It rains. 》は 《あめ(天=雨)降る。》と採れば同じ発想

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  • 質問者:bragelonne
  • 投稿日時:2010/05/22 14:47
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《 It rains. 》は 《あめ(天=雨)降る。》と採れば同じ発想か?

 どうでしょう? 非人称主語とやら。
 《欧米か?!》と言っても それほど表現形式に変わりはないのではないか?
 あるいは
 
   《 It rains. =それが降らす。》
 
 と言っているとすれば やはり

   《あめが降らす。 / 天が雨(あも)らす。》

 という発想で応じればよい。それにやっこ(家つ子)さんらにしても 《 Rain falls. 》とも言えるではないか。
 さもなければ この《 It 》は何だ? いや カミでも何でもいいのだけれど それだからと言って 思考形式がそれほど彼我にちがいがあるとも思えない。というたたき台を提出しての質問です。

 《繊細の精神》は――いま欧米人を取り上げていますが――その西洋人にもそなわっているし 《幾何学の精神》は われらが東洋の人間にも当然のごとくそなわっている。こう言いたい。
 早く同じ土俵で話し合いができるようにといういささかせき込んだ問いです。
 (もっとも おとなりの国の人びととでさえ なかなか話が通じないのではないかとおそれる経験が少なからずという問題もあるのかなぁ)。

この質問への回答は締め切られました。
このQ&Aは役に立ちましたか?(役に立った:10件)
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  • 回答者:krya1998
  • 回答日時:2010/05/23 16:13

 英文を拝読しました。読解する努力をいたしました。私は取り組んでいる教えがあり、新たな単語は特にありませんでしたが、難しいものです。今の私には外国語としてとともに、日本語になってもハードルがあると存じました。
 ヒマラヤからエヴェレストにいくのは遠すぎますね。

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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 でも そうでしたか。
 人によって多少は違うかも知れないと思いつつ。です。

 でしたら 取り組んでおられる英文なりに 心の奥底にひびく表現は見当たらないというおおせなのでしょうか? 

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  • 回答者:krya1998
  • 回答日時:2010/05/23 16:02

  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5761266.htこれもアクセスができませんでした。
  ご記載の英文は今、コピーして解読に取り組むところですが、ご返事を省略させていただくかもしれません、あしからずご了承のほどを。平伏叩頭叩首。

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この回答へのお礼

 ほんとですね。たいへん失礼しました。

 【Q:name と名前 は同じ発想か?】
 その回答No.56お礼欄に 後半の部分の日本語訳があります。
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5761266.html

 ★ ご返事を省略させていただくかもしれません、あしからずご了承のほどを。
 ☆ 分かりました。仕方ありません。

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  • 回答者:krya1998
  • 回答日時:2010/05/23 15:57

http://www.newadvent.org/fathers/130108.htm
は、アクセスができませんでした。

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この回答へのお礼

 澄みませんでした。

 ただ わたしがクリックする限りでは アクセス出来たのですが どうでしょう。

 ▲ ▲ ( Augustinus: De Trinitate ( On Trinity )) § 2
 http://www.newadvent.org/fathers/130108.htm

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  • 回答者:krya1998
  • 回答日時:2010/05/23 15:53

補足
 ご自説をうかがったことになるわけですが ひととおりお応えしてまいります。

 ★ 天(あめ)というのを天帝や天という真理、ないしは神を指すとしたら、欧州言語族には考えられない事だと存じます。
 ☆ これにつきましては 勘違いをしておられます。つぎのようです。
 ☆☆ (No.3お礼欄) ~~~~~~~~~~
  ★ どうしても「it=神」という議論にしたいようですが、
  ☆ これは違います。《 it =かみ》という見方も出されているというのみです。しかもこのカミは ゼウスですとか そういうたぐいだと思います。 
 しかもわたしは
  ☆☆ (No.2お礼欄) 《雨を降らせるカミ》? あるいは《自然現象そのものの摂理のようなもの》でしょうか?
  ☆ と表現しているように いわゆる多神教のそれを当てている格好です。(つまりは たとえばゲルマン民族を取り上げてみても クリスチアニズムの洗礼を受ける前から 表題の英文に相当する表現形式を使っていたでしょうから)。

 以上については文意は一応理解しました。そして私は私の投稿をここで修正や変更をする必要がないと判断しました。

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この回答へのお礼

 ごあいさつ抜きにですが。

 つまり 《 It 》やそれについての《天(あめ)》というわたしの解釈において いわゆるクリスチアニズムのカミを言っているのではないということ。ですね。確認が成ったと捉えます。

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  • 回答者:krya1998
  • 回答日時:2010/05/23 15:46

 ANo.5
 お導きを感謝申し上げます。コピーして拡大し、拝読します。
 

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この回答への補足

 No.5の補足欄・お礼欄に引用しましたアウグスティヌスの文章の和訳です。
 そこでは 神について しかも神は何でないかという切り口で 議論しています。この《神ないし真理》のことを 《頭の体操》ではない《こころ》の問題に当てはめて捉えていただくなら 文例としてふさわしいと考えます。

 ▲ (アウグスティヌス:三位一体論) ~~~~~~~~~~~~~~~
 第八巻 第二章
 さて 物体の場合には この金とあの金は等しくて真実であるが これはあれよりも大きいということがあり得る。それは物体の場合には 大きくあることと真実であることが同じくないし また金であることと大きくあることとは別であるからである。
 このようなことはまた心( animus )の本性においても言われる。心が大きいと言われるのと心が真実であると言われるのは同じことではない。大きな心でない人も真実な心を持つからである。
 すなわち 物体と心の本質は唯一の 偉大な 真実な 誠実な 真理なる神でいます三位一体のような真理ご自身の本質ではない。

 私たちがもしこの三位一体なる神を 神許し与えたまう限り 思惟しようと努めるなら 場所の空間をとおして接合され 包まれている いわば三つの物体のようないかなるものをも考えてはならない。また神話が語る 三つの身体を持っているゲーリュオンのように いかなる結合された部分集合体をも考えてはならない。単独におけるよりも三つにおける方がより大きく また二つにおけるよりも一つにおける方がより小さいというようなことを考えることはみな 躊躇することなく拒否すべきである。
 つまり すべての物体的なものを拒否しなければならない。また霊的なものにおいて私たちの念頭に浮かぶすべての可変的なものを神と思ってはならない。

 私たちは神とは何か を知り得る前に 神が何でないか をすでに知り得るなら この深みからあの高みへ向かって一息するのであるが それは無価値な知識ではない。神は確かに大地でも天体でもなく また天と地を一つにしたようなものでもなく 私たちが天において見るような或るものでもなく また見ないようなものでも またおそらく天にあるようなものでもない。たとい 君が出来る限り思惟の想像力によって太陽の光を容量であれ 明るさであれ それを何千倍または測り得ないほど増加させたとしても それは神ではない。
 また 天体に生命を与え 神に仕えるその意志によって天体を動かし誘導する純粋な霊としての天使について考えるように 神について思ってはならない。また千の幾千倍の天使(黙示録5:11)がすべて一つのものに整序されて一つとなったとしても 神はこのようなものではない。また君が身体のない霊について――勿論 それは肉の思惟にとっては極めて困難ではあるが―― 思惟したとしても それは神ではない。

 それだから おお壊敗される身体で重くされた地的な多くの様々な思念によって束縛されている魂よ 出来るなら視よ。出来るなら視よ。神は真理にまします(知恵の書9:15)ことを。《神は光である》(ヨハネI 1:5)と聖書に記されているから。その光は私たちの眼が見るような光ではなく 神は真理にまします と君が聞くとき 心( cor )が見るような光である。

 真理とは何か と問い求めてはならない。
 というのは そのとき直ちに物体的な似像の雲霧と虚妄の雲が君を遮るからである。
 それらは 私が 神は真理にましますと言った その最初の瞬間 君を照らした清澄の光を曇らしてしまう。
 真理 と語られるとき 君がいわば電光によって捉えられるその最初の瞬間に 出来るなら留まれ。
 しかし君は留まり得ない。
 そして君は再びあの習慣的な地的な表象の中へ滑り落ちるであろう。

 私は尋ねる。君が再び滑り落ちるのは 情欲の黐(もち)や異郷への巡礼の誤謬によって感染された汚辱でないなら いかなる重さによるのであろうか。
 (中沢宣夫訳) 
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 引用した英文のほうには 省略した部分があります。

この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 よろしかったら サイトでもご覧いただくとよろしいかと思いました。

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  • 回答者:krya1998
  • 回答日時:2010/05/23 09:48

 ANo.4
 bragelonneさんが、天というのを天帝や天という真理、ないしは神を指すとしたら、欧州言語族には考えられない事だと存じます。
 おおぜいの他人さんが出入り交流する文化と民族の語族ですから、客体世界の具体的事項をザッハリッヒに思考し、把握し、共通にしていかなければ為りませんから。
 私も英語でインドの哲理を精進しており、指導機関はそちらにあります。
 でも英語もドイツ語も、不可視のこと、現象客体存在の範囲を出たことがらの把握や観念、その共有という媒体としては非常に限界があります。
 物象科学には適した言語原理です。そういう意味では、欧州の哲学というのは科学の代替か代用、科学の次元範囲を超える事はできない論説であり、そういう言語だと存じます。人間界の知覚経験の範囲を彷徨し、咆哮している、頭の体操に過ぎない無意味なものだと存じます。
 しかし、科学や物事の処理実務での業績だけは素晴らしいというより、大きいと存じます。
 価値性からは素晴らしいとは、私は存じませんが。
 bragelonne さんのお気持ちに沿う、投稿ができませんがどうかお許しください。
 つまり、“It”なるものにあまり深い意味はないとぞんじております。
 従いまして、みんさんのご回答を静にまっているのみです。

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この回答への補足

 ご自説をうかがったことになるわけですが ひととおりお応えしてまいります。

 ★ 天(あめ)というのを天帝や天という真理、ないしは神を指すとしたら、欧州言語族には考えられない事だと存じます。
 ☆ これにつきましては 勘違いをしておられます。つぎのようです。
 ☆☆ (No.3お礼欄) ~~~~~~~~~~
  ★ どうしても「it=神」という議論にしたいようですが、
  ☆ これは違います。《 it =かみ》という見方も出されているというのみです。しかもこのカミは ゼウスですとか そういうたぐいだと思います。 
 しかもわたしは
  ☆☆ (No.2お礼欄) 《雨を降らせるカミ》? あるいは《自然現象そのものの摂理のようなもの》でしょうか?
  ☆ と表現しているように いわゆる多神教のそれを当てている格好です。(つまりは たとえばゲルマン民族を取り上げてみても クリスチアニズムの洗礼を受ける前から 表題の英文に相当する表現形式を使っていたでしょうから)。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
 私も英語でインドの哲理を精進しており、指導機関はそちらにあります。
 でも英語もドイツ語も、不可視のこと、現象客体存在の範囲を出たことがらの把握や観念、その共有という媒体としては非常に限界があります。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ということは このヨーロッパ語という言語ないしその構文については その表現の形式がどうであれ言語じたいの表現能力にかんして ひとの心を表わすのには限界があるということを突き止めるために取り扱っているのだ。こういうおおせでしょうか?

 文例を出しましょう。原語ではありませんが 英文が《不可視のこと、現象客体存在の範囲を出たことがらの把握や観念、その共有という媒体として》どうかという主題です。
 ▲ ( Augustinus: De Trinitate ( On Trinity )) ~~~
 Chapter 2.? Every Corporeal Conception Must Be Rejected, in Order that It May Be Understood How God is Truth.

 3. But in respect to bodies, it may be the case that this gold and that gold may be equally true [real], but this may be greater than that, since magnitude is not the same thing in this case as truth; and it is one thing for it to be gold, another to be great.
 So also in the nature of the soul; a soul is not called great in the same respect in which it is called true. For he, too, has a true [real] soul who has not a great soul; since the essence of body and soul is not the essence of the truth [reality] itself; as is the Trinity, one God, alone, great, true, truthful, the truth.
 Of whom if we endeavor to think, so far as He Himself permits and grants, let us not think of any touch or embrace in local space, as if of three bodies, or of any compactness of conjunction, as fables tell of three-bodied Geryon;

この回答へのお礼

 ≫ But also in spiritual things let nothing changeable that may have occurred to the mind be thought of God. ≪

 For when we aspire from this depth to that height, it is a step towards no small knowledge, if, before we can know what God is, we can already know what He is not.
 For certainly He is neither earth nor heaven; nor, as it were, earth and heaven; nor any such thing as we see in the heaven; nor any such thing as we do not see, but which perhaps is in heaven.
  Neither if you were to magnify in the imagination of your thought the light of the sun as much as you are able, either that it may be greater, or that it may be brighter, a thousand times as much, or times without number; neither is this God.
 Neither as we think of the pure angels as spirits animating celestial bodies, and changing and dealing with them after the will by which they serve God; not even if all, and there are thousands of thousands, were brought together into one, and became one; neither is any such thing God.
 ・・・ behold and see, if you can, that God is truth. For it is written that God is light; not in such way as these eyes see, but in such way as the heart sees, when it is said, He is truth [reality].

 ≫ Ask not what is truth [reality], for immediately the darkness of corporeal images and the clouds of phantasms will put themselves in the way, and will disturb that calm which at the first twinkling shone forth to you, when I said truth [reality].
  See that you remain, if you can, in that first twinkling with which you are dazzled, as it were, by a flash, when it is said to you, Truth [Reality]. But you can not; you will glide back into those usual and earthly things. And what weight, pray, is it that will cause you so to glide back, unless it be the bird-lime of the stains of appetite you have contracted, and the errors of your wandering from the right path? ≪

 http://www.newadvent.org/fathers/130108.htm
 ~~~~~~~
 →【Q:name 】No.56お礼欄
 http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa5761266.ht

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No.4ベストアンサー20pt

  • 回答者:krya1998
  • 回答日時:2010/05/23 08:06

 bragelonne さん #1で英語に出会ったときに感じたことを云いました。日本語なら、『やや雨か』ですね。それがなんていいませんね。
 当時“It”を、神とか天(こう並べると、神たる天ともなりますが)とまでは思いませんでした。
 ただ、どうしても理屈をつけて納得したい性格でしたので、英語語族は雰囲気や状況を“It”で示しているのであろう、起源はそういうことだろう。という推量論理とそういう慣わし性だから、“It”を最初に出さないと、思考・抱観念ができないのであろうし、表現も受け取りもできないのであろうという、理解で結論をつけました。そういうことでいえば、漢文の“それ(夫れ)”と変わらないのだろうと。
 もう一方の推量は、奴らはなんにでも動作や状況の主語、主体がないと済まないんだろう。
 いろんな民族が往来し、他人さんのなかの言語生活だろう。我々はに自他(一人称、二人称、三人称)でさえ主語を省くが、奴らにはそうはいかない他人ばかりの世界なんだろうと。
 そんなふうに思っていましたよ。もう60数年前の頭でのことでして。
 今は何にも考えていません。ヨーロッパ語を、心性としては低いし、本質に突入する媒体としては不適切だと感じていますので、関心がありません。

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この回答へのお礼

 まあまあまあ たとえ《心性としては低い》としたとしても おなじヒトです。それぞれの民族に低い人も高い人もいましょう。
 いやいやいや。
 というよりも このように品性をうんぬんすることじたいが おのれの品性をみづからはづかしめていることになりゃあせんですか?
 とひとまづは――みづからをもいましめつつ――《説教》および《譴責》をすらぶっておきまして。
 クリアさん ご回答をありがとうございます。
 (あれーっ――くどくなりますが――クリアさんは ヨーロッパ語を媒体として研究をおこなっていたのではなかったですか)。


 さて
 ★ 日本語なら、『やや雨か』ですね。それがなんていいませんね。
 ☆ 春雨ぢゃうんぬんではありませんが そしていま思い浮かんだことですが どの言語かにかかわらず まづは《その場の情況を全体としてとらえる》と言えるでしょうか? 言えるのでしょうか? それゆえ 《それ(夫れ)》うんぬんと言い出すこともあれば 《うぬ?》とか《やや?》とかと受けることもある。
 つまりは この場合のように自然現象にかんして まづは《 It 》で受けた? それより先に《情況》の全体に対して《 Eh ? 》とか《 Uh ? 》とかで受けたことを 代わりの言葉で受けた? のでしょうか。そのかんの事情を:
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 当時“It”を、神とか天(こう並べると、神たる天ともなりますが)とまでは思いませんでした。
 ただ、どうしても理屈をつけて納得したい性格でしたので、英語語族は雰囲気や状況を“It”で示しているのであろう、起源はそういうことだろう。という推量〔をおこない そのような〕論理とそういう慣わし性だから、“It”を最初に出さないと、思考・抱観念ができないのであろうし、表現も受け取りもできないのであろうという、理解で結論をつけました。そういうことでいえば、漢文の“それ(夫れ)”と変わらないのだろうと。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ しかもそのあと(言葉遣いが 荒っぽいのですが):
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
 もう一方の推量は、奴らはなんにでも動作や状況の主語、主体がないと済まないんだろう。
 いろんな民族が往来し、〔互いに〕他人さんのなか〔に交じって〕の言語生活だろう。我々は自他(一人称、二人称、三人称)でさえ主語を省くが、奴らにはそうはいかない他人ばかりの世界なんだろうと。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ まぁ わたし自身も《やっこさんたち》と抜かしていますが――みなさん 澄みません―― ぎゃくに言えば われわれは ひととの交通にはウブだと言わなければならず 鎖国をしない限り 《やつら》を見習いおそわらなければならないこともあるやも知れず・・・。
 つまりは こうではないですか クリアさん すなわち かれらと接してかれらの言語習慣や文明と称する内容を採り入れてからというもの わたしたちもその色に染まってしまったわけでしょ? なら われわれも大したことなかった。仲間内の交通における言葉遣いだけでは脆かった。っていうんぢゃありませんか?
 ★ 今は何にも考えていません。ヨーロッパ語を、心性としては低いし、本質に突入する媒体としては不適切だと感じていますので、関心がありません。
 ☆ いってえ どうなすったんてんで?

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  • 回答者:psytex
  • 回答日時:2010/05/22 23:26

#2の者です。
どうしても「it=神」という議論にしたいようですが、僕の指摘は「自明」で省略してもいいもの=雨と直結した存在、空か天候だという事です。

日本語では、itに省略するどころか、主語自体を省略する事が多いです。

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この回答へのお礼

 つづけての説明をありがとうございます。

 ★ どうしても「it=神」という議論にしたいようですが、
 ☆ これは違います。《 it =かみ》という見方も出されているというのみです。しかもこのカミは ゼウスですとか そういうたぐいだと思います。 
 しかもわたしは
 ☆☆ (No.2お礼欄) 《雨を降らせるカミ》? あるいは《自然現象そのものの摂理のようなもの》でしょうか?
 ☆ と表現しているように いわゆる多神教のそれを当てている格好です。(つまりは たとえばゲルマン民族を取り上げてみても クリスチアニズムの洗礼を受ける前から 表題の英文に相当する表現形式を使っていたでしょうから)。
 つまり ですから
 ★ 僕の指摘は「自明」で省略してもいいもの=雨と直結した存在、空か天候だという事です。
 ☆ と同じ趣旨です。

 ですが
 ★★ (回答No.2) しかし it のように世俗なものの代名詞を流用する事は、一般的ではありません。
 ☆ ということですから 
 ☆☆ (No.2お礼欄) ○ それではなぜその《一般的ではない》使い方をしているのか? つまり《 it 》はここで何か?
 ☆ とお聞きしたまでです。

 ☆☆ (No.2お礼欄) ~~~~~~~~~~~~
  そうしてですが そうして いづれにしても このような表現形式は 一見すると日本語では見かけないものだと思うのですが それでも実質的に意味内容とも照らし合わせるなら 日本文でもそれに相当する表現形式はあるか もしくは あると見なし得るかである。と考えられないか? こういう質問になっています。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ すなわち 今回は つぎのお答えをもらっています。
 ★ 日本語では、it に省略するどころか、主語自体を省略する事が多いです。
 ☆ ですが これは 非常にあいまいだと考えます。
  1. 日本語では 《 it 》に置き換えることはないと考えます。《それは / それが 雨(あも)る。》とは言いません。〔雨(あも)るというのは 仮りに雨を動詞にして勝手に造った言葉です〕。
  2. 《降りますねぇ》と言って 《主語自体を省略する》ことはありますが その省略は 《雨が》であって 《それが》であることはないですね。
  3. 微妙にもし《天(あめ)が降ります》と言えるとすれば この主語の《天(あめ)が》は省略が利くということになりますが 果たしてどうでしょう?

 ☆ そうして質問の行方ですが 今度は この(3)の表現形式――《天(あめ)が降る。》――がもし日本語として妥当であるならば その主語の省略が 一方では利くが 他方(英文)では利かないという違いがあるにもかかわらず 発想のかたちは ほぼ同じだとなる。それでよいか?
  それでよいとなれば このような或る種の仕方で特異な文型にかんしてでも 同じ発想をしているというのであれば 互いにそれほど 言語習慣として違いはないではないか。
 こういう趣旨です。

 《欧米か!?》という文句も こうなると あまり違いを言い当てているのではないことになり 廃れていくのではないか? つまり 欧米人とわれわれは 言語習慣の上で 地続きである。話し合うに何の差しさわりもない。違和感を感じるのは それまでに感じて来ていた互いの地理的な遠さや体つきの違いだけであって 対話を大いに互いにやっていけるではないか?
 果たしてそうか? となります。どうでしょう?

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  • 回答者:psytex
  • 回答日時:2010/05/22 18:10

itは、自明なものを省略する代名詞です。
多くの言語に於て、高貴なもの、神秘なものの名をじかに呼ぶことははばかられ、「お上」とか「かの栄光(his Majesty)」といった間接的な表現をとります。
しかし、itのように世俗なものの代名詞を流用する事は、一般的ではありません(僕の8年の海外経験では耳にした事がありません)。

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この回答へのお礼

 サイテックスさん ご回答をありがとうございます。

 そうですね。
 のっけから問い返しをしてもいいでしょうか?
 ★ it は、自明なものを省略する代名詞です。
 ☆ この《自明なもの》とは何でしょう? 《雨を降らせるカミ》? あるいは《自然現象そのものの摂理のようなもの》でしょうか?
 そうしてそのあとの文章を復唱すれば:
 ★ (要約) 《神秘なものをぢかに呼ぶことをはばかり 間接的な表現をとる》のはめづらしくなく多くの言語で一般的だが 《しかし it のように世俗なものの代名詞を流用する事は、一般的ではありません》。
 ☆ すかさず疑問なのですが:
 ○ 《 it 》が代理する《自明なもの》が 《世俗なもの》だという意味でしょうか?
 ○ それとも 《 it 》という代名詞じたいが 一般に《世俗なもの》と受け取られているという意味でしょうか?
 ○ そして それではなぜその《一般的ではない》使い方をしているのか? つまり《 it 》はここで何か?

 ☆ そうしてですが そうして いづれにしても このような表現形式は 一見すると日本語では見かけないものだと思うのですが それでも実質的に意味内容とも照らし合わせるなら 日本文でもそれに相当する表現形式はあるか もしくは あると見なし得るかである。と考えられないか? こういう質問になっています。
 どうでしょう?

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  • 回答者:krya1998
  • 回答日時:2010/05/22 17:56

 bragelonne さん久方に私も投稿できそうです。
 英語を習い始めたとき、先生は『そういうふうにいうことになっている』という説明でした。
 この語族の心性や思考回路ないしは、自己と世界の紡ぎの大事なキーかもしれませんね。
 
 でも漢文でも、それ(夫れ)天地、玄黄にして、・・・・と、言い出し初めますね。
 調子を整えるのか、契機を造るのか。そんなものかなぁと、自分を昔から納得させていましたが。
 欠陥がありましょうね。

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この回答へのお礼

 クリアさん ご回答をありがとうございます。

 そうですね。まづ 質問のねらいは
 ★ 『そういうふうにいうことになっている』〔ところの〕この語族の心性や思考回路
 ☆ は 日本語の文にもあるのではないか。互いにさほど違わない。どうお考えですか? です。
 ○ 《あめ(天)》が 神格化しうるものとして 《 It 》に相当するとさえ見得るのではないか?
 ☆ です。
 
 たぶん クリアさんは 彼我のあいだに違いを見るという立ち場に立つと思われます。
 おそらく この《自然現象》をあらわす表現形式に見られる《非人称主語》がひとつの
 ★ 自己と世界の紡ぎの大事なキーかもしれませんね。
 ☆ とわたしも考えたので 問うています。
 ☆☆ (趣旨説明) 《 It rains. 》は 《あめ(天=雨)降る。》と採れば同じ発想か?
 ☆ うんぬんと続きます。

 ★ でも漢文でも、それ(夫れ)天地、玄黄にして、・・・・と、言い出し初めますね。
 ☆ なるほど。ものごとの――言い出しにかんするでしょうか――きっかけには 《それ(夫れ)》というふうに《非人称》の言葉が用いられるというわけですか。
 ただし 漢文の場合には 話題をみちびく役目を持つもののようで その言葉が何かである もしくは 何かをするというふうに表わすかたちにはならないのでしょうね。つまり 主語になるのではないでしょうね。
 ★ 調子を整えるのか、契機を造るのか。そんなものかなぁと、自分を昔から納得させていましたが。
 ☆ なのでしょうか。
 ★ 欠陥がありましょうね。
 ☆ これは わたしには分かりません。表現の形式がちがうだけなのかも分かりませんから。どうなんでしょう?

 ☆☆ (趣旨説明) ~~~~~~~~~~~
 どうでしょう? 非人称主語とやら。
 《欧米か?!》と言っても それほど表現形式に変わりはないのではないか?
 ・・・
 この《 It 》は何だ? いや カミでも何でもいいのだけれど それだからと言って 思考形式がそれほど彼我にちがいがあるとも思えない。というたたき台を提出しての質問です。
 ~~~~~~~~~~~~~
 ☆ どうでしょうかねぇ。

  
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