人間ってなぜ幸せになりたいと思うのでしょう?

楽しいとなぜ笑うのでしょう?

わたしは抑うつでずっと病院に通っている者です。

感情をうまく表現できません。

今は幸せになりたいとあまり思えません。夢もあまりもてません。

どなたか教えてください。

A 回答 (7件)

物質の根本を追求していくと、どんどん極少の宇宙が広がっていくのがわかりますね。


同じように自分という存在を掘り下げていくと、知情意以前にあるものにぶつかります。
理屈や感情や行動は、その核心から見れば、表層にしか過ぎないのです。
その核心にあるものこそ、「喜びを得ようとする衝動」です。
喜びを得たくて、得たくてたまりきれない衝動だ自分の奥底にあるのです。
そのたまりきれない衝動から知情意が生み出されたのです。知情意によって、真美善を求めようとし、自らがその実現体となるためです。
感情や知識や行動に捉われている限り、それは表層であり、上辺の姿であるから、真相は見えてこないのです。
真相に迫り、自分の中にある根源、すなわち本源的自己に到達した時、本当の意味で自分が何を求めていたのかがわかるのです。
そこまでいったなら、「自分は喜びたいんだ!喜びたかったんだ!!だから何か(誰か)を愛したいんだ」となり・・・愛する対象を求めて知情意が発動するのです。
自分・自分の心の構成要素・自分の中にあるもの・一番の核心は何か?・それはどんなものか?
初めに「衝動」ありきです。
まさに、宇宙の始発点がビッグバンだったように、人間の心の中心にはマグマのような爆発的純粋衝動があるのです。
理屈や経験から得た知識や観念、概念は一旦忘れて御覧なさい。
自分の中にあるその衝動を、かすかにでも感じられれば、まぎれもなくあなたも人間なのです。
よけいな知識や感情を脱ぎ捨て、あなたの中の純粋中の純粋に出会って下さい。
答えは、そこにあります。
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この回答へのお礼

丁寧なアドバイスありがとうございます。助かりました。

お礼日時:2010/05/31 23:09

笑う、泣くは赤ちゃんがお母さんとのコミュニケーションを


取るためのものが継続して使われているんだと思います。

そう考えれば、ごはんを食べたいと思うから幸せになりたい
と思うんだと思います。眠りたいと思うから幸せになりたい
と思うんだと思います。

> 今は幸せになりたいとあまり思えません。夢もあまりもてません。
・・・という事は少しは持てるんだ?なら十分では?
いや。。。ずーーーっと「幸せになりたいー!」って思いながら
生きてる人って少ないんじゃ?日常生活では、ほとんど考えて
ないですよ?「この夢をかなえたいー!」も然り。

「幸せ」とか「夢」とかよく分からない言葉に振り回されて
いないですかね?忙しくてご飯が食べられなくて、おなかが
きゅるるーって鳴って切ない時にご飯が食べられたら幸せだし、
3日くらいお風呂に入れなくて頭がかゆくなってきた時に
シャンプーできてスッキリしたら幸せを実感できますが。。。

> 感情をうまく表現できません。
してませんよ?・・・独身だから一人で居る時間が多くて
一人でそんな表現・・・全くしてないです。。。いや、顔が
にやけている時はあるかもしれませんが。。。

わざわざ表現するのは他人に伝える時であって、それこそ、
店員さんが営業スマイルを練習するように、自分の感情を
伝えるという目的のために下手なら訓練すべき事で、それと
「幸せ」とか「夢」とか関係ないですよ?
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この回答へのお礼

とても参考になります。ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/31 23:11

充実してる世の中にいると幸せなことも当たり前に感じてしまう気もします。

ふかふかのベットで寝れる幸せ。屋根がある幸せ。それだけでも十分幸せだと思います。私は原因不明の病気を数個持っていますが、幸せのラインを引けるのは自分の中だけだと思っています。楽しい事が見つけられないのであれば、逆に不幸な人たちのドキュメントとか見ても現状のありがたみを教えてくれたりするかもしれません。
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この回答へのお礼

なるほどですね!ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/31 23:12

人の作り上げたイメージに準じることはないのですよ。

あなたはあなたのやるべきこと、できる限りのことをすればいいのです。自分にできる以上のことを望むのは夢ですらありません。幻想、もしくは妄想と呼ぶべきでしょう。
あなたが自分自身を病人であると思うならば、その病を治すことがあなたが最優先にすべきことではないですか。将来のことなどそれから考えればよいことです。
幸せを望む、素直に笑う、それができないというのは立派な病気です。本気で治療に専念することをお勧めします。
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この回答へのお礼

とても心の支えになります。ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/31 23:14

幸せになりたいのはみんな幸せを感じるためにうまれてきたから。



楽しいと笑うのは幸せだと感じるから。

今は、そう思えなくてもきっと思える日がくると思います。

あせらずに、ゆっくり、ゆっくり自分を休ませてあげて下さい。
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この回答へのお礼

そうですよね。ありがとうございました。

お礼日時:2010/05/31 23:15

それは『意識している』せいです。

人間は意識している時と、『意識していない時が在ります』オリンピックなどのメダルに直結する演技をしている選手達は『自我意識』が出ないように出来ています。あるいは優勝が掛かった一打をうてるのか?打てないのか?と言うときにも言えます。

誰もいない野原で歩く事を想像してください、自由に歩く事が出来ると思います。処が大勢の人の前で歩く事を想像してください。体も心も自由にはならないはずです。その違いは『意識してするのか』或いは『無意識的に』出来ているのか?と言う違いしかありません。

人間の心も体も『意識』した場合には自由にはならないように出来ているからです。その事をメンタル面が弱いとか、強いと言います。或いは神経質と言う言い方をする場合もあります。その違いは『自我意識』が出やすいのか、あるいは出ないでやれるのか、と言う事です。

その訳は自分自身にあります。環境や人のせいでは在りません。神経質と言う性格や、メンタル面で弱いという事は、自分自身に敏感という事になりますL。どういう風に敏感かと言うと、自分自身の心や体に敏感と言う意味になります。

本来的には、人間の体も心も一つでは在りますが、厳密に言うならば、体と心は別のものとも言えます。そうして心というもの、精神と言うものも厳密に言うならば、又別のもので出来ているとも言えます。『神経質な性格』と言う場合には、その違いに気が付いた『自分自身に敏感な人』と言う事が言えます。

私の書いたものは、今は分かりにくいと思いますので、ただ読み進んで下さい。分る時期が来たならぴたりと分るはずです。本当に分かった時に、貴方は神経質と言う性格を受入れて、本当の意味で『安楽』な境涯で生きる事が出来るはずです。いまはその自分の性格に戸惑っていると言う時期にあるのかと思います。

人間は意識している自分と、無意識的に生きている自分の二通りの部分が在ります。意識して動作した場合には『本来』体は震えたり、或いは自由にはなり難いところが在ります。それは脳の働きがそうなっているからです。自我意識が感情を支配する場合が『意識する時』です。この場合にも言えています。

自我意識が体を自由にしようとして『違和感を抱いてその違和感が拭えない場合』書く時の事を自我意識で書こうとする場合を『書痙』と言います。話す時の事を『吃音』と言います。

自我意識が単独で『心』を支配する時が『心を病む』と言います。或いは悩みがあるという言い方でも同じです。その時にもう一つの意識が『救いの手を差しのべています』この手が、分らないうちは『症状』という事になります。従って症状を受け入れた時が、心を病んでいる人にとっては『完治』という事になります。

その訳は、症状とは本当は『嫌うべきものではなかった』と分かるからです。心の奥底から、或いは意識の根底から『症状を受け入れられるからです』それが悟りです。

この経験で症状の正体が分かるからです。不安が安心に変わるからです。此処を持って人間の障害が取り払われるからです。是は究極の癒しの心理学です。心の矛盾が解消された事になります。

この境涯を『神と和解する』と言います。仏教では心の矛盾が解消された姿を『涅槃』と言っています。それは、もう二度と心が騒がしくならないと言う意味になります。それは『絶対の安心』と言う言葉で表現しても差し支えありません。

心の違和感の解消が『宗教』の本来の目的です。それは特別の教団に加入すると言う意味ではありません。自分自身の宗教心が、いま此処に自分の頭に『元から在った』事が分かるだけのことです。意識の根底には誰も持っています。只神経質で不安になりやすい人が今言った事に『気が付きやすい』人ということになります。
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この回答へのお礼

わざわざ長文ありがとうございました。参考にしてみます。

お礼日時:2010/05/31 23:16

不健康で、いまの世界に麻痺しているから


笑うことや幸せになりたいと思うことや
ポジティブになろうとすることで
自分の尻を叩いて、自分を生かしているから
と考えます。
本来、人はみは「うつ」です。
生きていることが嫌でたまらないのに
無理して生活をしているのですが、それでも
なんとか生き延びていこうと考えますと
「幸せ」とか「笑い」とか
そういうもんに繋がる人が圧倒的に多い。ということです。
そんなもん、必要ないという人もいるでしょうし
幸せや笑いがうっとうしいとおもう人もいるでしょう。

楽しいと笑うということについては
なにが楽しいのかということも個人差がありますが
その個人差のなかの楽しさから
自然に産まれるのが「笑み」でしょう。
笑うまでいかなくても、にんまり微笑んでしまうこと。
そういうことだとおもいます。
夢、というのは
生きて存在していることが夢であったりすることがある
ということも、忘れてはいけません。
夢、ではなくて「希望」だとしたら
わたしは、「生」をまっとうして
自殺などしないで、老衰とか病気で「死ぬ」ときだとおもっています。
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この回答へのお礼

よくわかりました。ありがとうございます。

お礼日時:2010/05/31 23:17

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