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中国が抗日一色に染まった時期は?

1)ある書物に於いて、ある元軍医は日中戦争の開始を昭和12年7月だといっています。これは7月7日の盧溝橋事件を指しているのだと思います。

2)別の書物に次の主旨の記述があります。
昭和12年8月、上海近くの揚子江で日中の艦船が出合ったときの話です。相手が攻撃してくれば反撃する積もりのところ、旗旒を掲げて互いに挨拶を交わし、無事に擦れ違ったということです。

2)に拠れば盧溝橋事件の後であっても、日中が出合えば無条件で戦闘になる状況ではなかったと思われます。
中国が国民軍、共産軍、軍閥の呉越同舟であったにしても、抗日という一点で纏まったのは何時頃ですか。2)を考慮すると昭和12年8月以降と推定します。勿論、2)は例外で盧溝橋事件の後は抗日一色だったかも知れませんが…。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%B8%AD% … 
可能であれば、この年表に記載のある年月(日)で示して下さると有り難いです(何時頃としか言えないのも理解できます)。
よろしくお願いします。

A 回答 (1件)

国民政府軍と共産党軍が纏まったという点ならば・・・


「8月22日、共産党軍の国民政府軍への編入。」


国民政府軍が日本との全面抗戦を開始した日ならば・・・
「8月14日、中国空軍機による上海疎開爆撃」
また、ウィキには書いてませんが、この日、国民政府の蒋介石が日本軍への攻撃を命じました。
かなり古い本で恐縮ですが、青木書店から1984年に出版された石島紀之著書の「中国抗日戦争史」には、この8月14日の蒋介石の命令で・・
「ここに中国は全面的な抗日戦争に突入するにいたった」と記してあります。

ちなみに国民政府が日本との全面抗戦を決定したのが8月7日の国防会議です。
なおウィキには蒋介石が陸海空軍の総司令官に就任したのは8月15日となっていますが、「中国抗日戦争史」では8月12日となっています。
つまり「中国抗日戦争史」では・・・
8月7日、国民政府が日本との全面戦争を決定。
8月12日、国民政府の蒋介石、軍の総司令官に就任。
8月14日、蒋介石、軍に日本軍への攻撃を命令。
となります。


盧溝橋事件の後でも8月14日までは、国民政府も開戦には慎重でした。
盧溝橋でも現地部隊による停戦協定が結ばれています。
しかし、その後も各所で日中の衝突が頻発し全面戦争への道を歩んでいきます。
ですから8月14日以前ならば、揚子江で日中両軍の艦船が出会っても戦闘にならなくてもおかしくないと思います。

なお、共産党の軍が国民軍に編入されたのは8月22日ですが、共産党は盧溝橋事件の翌日には、国民政府に国民党・共産党の両党の合作と抗日戦争の発動を呼びかけており、7月の半ばには共産党代表として周恩来が、国民政府の国防会議に招かれ正式に会議に出席するなど、共産党と国民政府は接近をしていました。
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この回答へのお礼

盧溝橋事件の後は連日、大きな動きがあって矢鱈に即断できないのが分かりました。実に入り組んだややこしい時期の質問で済みませんでした。

年表の7月19日、20日辺りの記事によると盧溝橋事件の後でも、中国側では戦線不拡大の動きがなくはないのが覗えます。これが国民政府の場合、8月14日まで続いたことが分かりました。
日本側の見解とは別に、中国側の立場でみると8月7日、12日、14日が重要な意味をもつことが分かりました。

いずれにしても8月14日以前ならば艦船同士が無事擦れ違っても不思議はないと分かりました。
1日~2日様子を見て、ご回答と大きく矛盾する寄稿がなければ締め切ろうと思います。
有り難うございました。

お礼日時:2010/06/12 09:04

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