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何も考えていなさそうな人達について。

私が最初高校生の頃、沸き起こるあらゆる疑問や考え事に関して、当時絡んでいたクラスメイトに「なぜ○○なのだろう」「なぜ○○だと思う?」と投げかけました。
その答えに対し、返ってくるのが「うーん、そんなこと考えてもない。難しいこと考えてるね。考えすぎじゃない?」という答えでした。
投げかけた相手がたまたまそういう人達ばかりで自分が答えに応じてくれる人を探し当てられなかった可能性も大いにありますが。
私の通っていた高校は、県内でも有名な進学校の部類でした。皆、勉強はよくできます。けれど、このような個のない人がわんさかひしめいていたような印象でした。
次第に、張り合いもないので、このような問いかけはクラスメイトに対してはほとんどしなくなってしまいました。

このような人は将来、どのような人生を歩むのでしょうか。一介の社会に翻弄されるだけの歯車になっていくだけなのでしょうか。
高校のクラス文集で「自分の5年後は何しているか」を書く欄に、「会社のOLになってお茶汲み」と書いている人がなんと4、5人もいたことに目を疑ったのを覚えています。(お茶汲み!)

ちなみにですがこれは、私自身の高校生の頃の話であって、進学した大学では、討論できる友人やクラスメイトに出会い、上の例えに全く当てはまらない人もまた確実にいるということもわかりました。美術を扱う特殊な大学だからかもしれません。高校の時の詰まらなさ、窮屈さは、一体なんだったのでしょうか。もし一般的な学部に進んでいたら、どうなのでしょうか。

A 回答 (6件)

何も考えていなさそうな人達って言うのは語弊がありそうです。


県内でも有名な進学校ということですから受験に対して真剣だから
、他のことを考える余裕がなかったのではないでしょうか。
どうもあなたはその方達を批判的な目で見ておられるのが気になります。

もしかしたら、その方達も受験期を終え大学入学後にそんな疑問を
持つかも知れないし、社会に出てから持つかも知れません。
人の成長には個人差があるのです。
一生に一度くらいはそんなことを考えたことが皆ありますよ。
ただ、そこまで真剣に考える必要がなければ一瞬でやめるだけです。

>このような人は将来、どのような人生を歩むのでしょうか。
>一介の社会に翻弄されるだけの歯車になっていくだけなのでしょうか。

これこそ大きなお世話だと思いますよ。人それぞれとしか言い様がありません。
社会の歯車というなら一国の首相であってもトップアイドルであっても、社会と
いう大きな機械の中では歯車の一つなんです。
ただ、その歯車が大きいか小さいかだけの違いです。
一流大学を卒業して官僚や大企業、研究者になるものや、学歴はなくても己の才覚
で起業家になるものは、より大きな歯車になれる確率が高くなるだけです。
あなたもいずれ社会に出れば、やがて社会の中の何かの歯車の一つになるのです。

もう一つ、高校のクラス文集ですが、お茶汲みという答えは気にいりませんか?
これは、その答えを聞いて「夢がない」と見るか「なかなか冷静な自己分析だ」
と見るかで変わるでしょう。
実際、17か18に「自分の5年後は何しているか」なのですから、4年生大学に進
学すれば5年後はまだ新人OLです。(間違いなくお茶汲みでしょう。)
短大だとしてもまだまだ新入社員、もし高卒ならずっとお茶汲みかも知れません。
とすれば彼女達は自分の5年後を非常に冷静に分析していると考えられませんか?
この文集の質問が「将来の夢」ならば違う答えが書かれていたはずです。

>もし一般的な学部に進んでいたら、どうなのでしょうか。

文学部あたりなら、わんさかいるはずです。

>高校の時の詰まらなさ、窮屈さは、一体なんだったのでしょうか。

進学校だからです。おそらく、その中ではあなたの方が異質だったのです。
価値観が違う集団に属していたからでしょう。
問いかけそのものが現実逃避になっていませんか。大きな問いはしばしば
人に価値あるものと錯覚させるものです。
しかし大きな問い(真理とは何かとか)の完全な答えを見出した人はいません。
それは夢想と同じものだからです。

あなたの発する「なぜ○○なのだろう」「なぜ○○だと思う?」という
問いの肝心の○○の内容がわからないので何とも言えませんが、問いかけ
には全くの無意味な問いも世の中に存在します。(愚問という奴ですね)

お釈迦さんの話に良い例があります。死後の魂はどうなりますかとか、死後の
世界はあるのでしょうかという問いに対しての釈迦の答え。
「今ここに毒矢に当たってまさに死に直面している人がいたとします。その時
に何故この人だけに矢が当たったのかとか、矢の木の種類は何だとかの問いは
無意味でしょ。どうしたら、この人を救えるのか、それが大切です。わたしはどう
したら皆の苦しみを取り除けるかを教えるのであって、そのような問いの答え
を教えるとは言ってません。」(記憶が曖昧で多少の表現は違うかも)

実は私も若い頃にあなたと同じように問いを周囲に発していました。
その問いを笑うものや避けるものを見下していた時期もあります。(両親にも)
でも、まさにその時の母親の答えが正論だったと今では理解しています。
「あんた、そんなこと考えて何になるのん?しょうもないこと考えてんと
勉強しぃ。」はい、その通り。考えているだけじゃ何もなりません。

問題意識を持つことは大切ですが、無意味な問いの答えを議論するのは親睦を
深める以上の意味はありません。
何故よりも「どうすれば、より○○になれるか。」「これをもっと○○する
にはどうすれば良いか」の方がより実利的と言えるでしょう。

一番の問いは「何故、私はこのような問いかけを彼(彼女に)するのか。」と
己に向かってすることです。
賢明なあなたなら、いつかきっと答えを見出すでしょう。
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芸術学部は、哲学的発想が出来る右脳発達型。

一般的学部は、受験競争をやり抜く左脳型。

企業は、左脳型の労働者を好みます。右脳は、なかなかお金儲けには繋がらない世の中…

自分の仲間が見つかれば、幸せなんじゃない?

ただ、社会人になったら、なぜなんて質問はナンセンスだから、自分で考えて、解決してください。回りは、タダで質問に答える、ボランティア人員ではありません。
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受験勉強に特化した勉強をしている人は、なぜ?という疑問を持たないようにしている人も多くいます。


受験勉強にはなぜ?という考えは不要で、言われたことをそのまま暗記することが大事だからです。

進学校に来る人はそういう受験勉強に特化した勉強をしている人が多くなる可能性があるので、受験勉強に特化しないといけない高校時代はそういう人が多くなる可能性も高いですね。
で、大学に入って視野が広がると色々変わる人もいれば、受験勉強の考えしか出来ないで社会に出ると仕事が出来ないとなる人もいます。
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社会に出れば「なぜ○○なんだろう?」という思考は必ず必要です。


私は仕事上いわゆる「社会的成功」を納めた人に会う機会が何度もありましたが
そういう方で「なぜ○○なんだろう?」という発想がない人はまずいませんでした。

ただ興味深いのは「なぜ○○なんだろう?」という発想をするようになったのは
質問者様のように早い段階からそういう思考があった人もいれば
「この仕事を始めてから」とか「入社3年目までは何も考えてなかった」など
意外と遅い人も多いということ。
そして社会にでれば「なぜ○○なんだろう?」という思考だけでは不十分。
「なぜ○○なんだろう?」と考え、自分なりの意見を言ったり、新しい発想を生み出す
能力も必要となってきます。
それらは日々のトレーニングも必要ですが、知識、経験、そして素質と才能も必要です。
もともとそういう素質のある人は、遅い時期から深く考えられるようになっても
面白い意見が言えるようになれますよ。

これは私の会社での話なので、すべてには当てはまらないかもしれませんが
社会人になって初めて「なぜ○○なんだろう?」という思考が持てるようになり
自分なりの新しい発想が生みだされるようになるスピードって
進学校出身の人が早かったたように思います。
たぶん彼らは日々の会話の中で「なぜ○○なんだろう?」という発想は持てなかったのでしょうが
普段の勉強の中で「なぜ○○なんだろう?」というトレーニングをいっぱいしてきたのでしょう。
学力も高く、知識もあるので、「なぜ○○なんだろう?」という思考が生まれれば
ものすごいスピードでいろんな発想ができるようになるんだと思います。

>このような人は将来、どのような人生を歩むのでしょうか。

まだ彼らは発展途上なのでしょう。
社会に出て数年後会って同じ質問をしたら、学生時代とは比べ物にならないくらい
面白い意見がでるかもしれませんよ。

>「会社のOLになってお茶汲み」と書いている人がなんと4、5人もいたことに目を疑ったのを覚えています。(お茶汲み!)

私も同じようなことを文集に書きましたね(苦笑)。
本当にそう思っていたか?というと違います。
本当はちゃんとした目標があったのですが、書くのが恥ずかしかったのでそう書きました。
他にも「OL」とか「早くお嫁さんになる」とか書いている人がいましたが(進学校です)
ほとんどが競争率の高い人気企業に入社したり、
いわゆる人気職種(私の時代はスチュワーデスやマスコミ系)に就きました(笑)。
たぶん私と同じで恥ずかしかったのでしょう。
そういうタイプは私も含め試験前に
「えー私、全然勉強してなーい」なんていいながら影で勉強して
ちゃっかりいい点数を取るようなタイプでした。

>高校の時の詰まらなさ、窮屈さは、一体なんだったのでしょうか。

たまたまそういうタイプの人がいなかっただけでしょう。

>もし一般的な学部に進んでいたら、どうなのでしょうか。

物理系、化学系、法律系質問者様のようなタイプが多いと聞きました。
ただ高校時代は何も考えていなくても
大学になって考えられるようになった人も大勢いると思います。
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確かに質問主さんがおっしゃるような人はたくさんいますよね・・・。



ただ、見方を変えれば、そういった「あれこれ考えること」をしない人ほど
やるべきことをこなせやすいともいえるでしょう。
考える時間があったら、勉強をする(何かを覚える)からです。
より現実的な人だともいえます。

私も、質問主さんと同じく「あれこれ考える」人なので、
勉強する時間とかを「大分ロスしたなーw」と今考えると感じます。
ただ、そのとき考えていたおかげで、センター試験の点数は下がりましたが
社会で役立つものを見通せました。
その結果、ピンポイントで学べる大学に進学し、今その業界で働けています。

どちらがいいということはないでしょうが、個人的には後者のほうが
「自分に責任が持てて楽しいんじゃない?」とお勧めはします。

おそらく、高校の中には、数パーセントくらい、あれこれ考えて、
ある意味時間をロスしている人はいると思います。
一般的な学部でも同じでしょう。そういう人は、そういう同じ類の人に
出会えると幸運ですね・・・。
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>、県内でも有名な進学校の部類でした



進学校には多いかもしれないですね、こういう方。
どうしても中学、高校という多感な時に受験勉強に時間を多く割くので、知識は多くてもそれ以外の部分で逆に成長していないと言うか。
進学校じゃなく大学の付属の学校などだと、受験に追われていないし余裕もあるので意外と将来について真剣にプランを考えている学生が多かったりもします。

>このような人は将来、どのような人生を歩むのでしょうか

遅かれ早かれ、あなたのように大学や社会で将来を真剣に考えている人たちと出会って、その影響を受けていくので、変わっていくと思いますよ。もともとの頭は進学校に行っているくらいですからそれほど悪いわけじゃないと思いますので、それなりに修正してビジョンを持つようになると思います。

ちなみに、私は小学校の時考えた事を高校で練り直し、大学で準備をし就職、転職とすべてほぼ計画通りの生きかたをしていますが、高校の時「10年後はなにをしているか?」と言う問いに「フリーターかな・・・」と表面上答えた時はあります。
人によっては、真面目に考えていることを他人に分かるのが「照れくさい」人間もいるのですよ。
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