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「宮内庁制限の古墳、航空レーザー計測で3D画像」なんて言うニュースが出てきて
掲示板とか見ると天皇のルーツ云々まで書かれてますが、
日本神話や邪馬台国含めその他諸々の真実は

当時の先進国である中国や朝鮮の歴史書などに詳細に書かれたり、証拠が残ってたりしないものなんでしょうか?
すなわち、中国や朝鮮の中の歴史の事実から外国である東の倭の国の事を特定出来ないものなんでしょうか?

A 回答 (5件)

「邪馬台国」という文字そのものが『三国志』という書物の中に出ていて


初めて日本史に取り入れらたものです(魏志倭人伝という書物はありません)。
日本の歴史の言い伝えや日本書紀、古事記の中に「邪馬台国」という
言葉や文字は出てきません。中国の古代の書物の中で3世紀の日本について
書いたものはこれしかないのです。この後、書いたもので日本のことが
出てくるのは5世紀の『宋書』までありません。この2つの時代の間が
古墳の時代なんです。
韓国は歴史を大事にしてこなかった国のようでして、例えば古代朝鮮半島の
国「百済」の歴史を記した「百済記」は現存しておらず、『日本書紀』の
中に引用されて伝わっているだけです。
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古代日本について書かれている外国の公文書がいわゆる「魏志倭人伝」です。

いわゆる邪馬台国についての記載があります。魏志倭人伝の魏は三国志の魏で、金の印綬をしたのが曹叡で、曹操の孫にあたります。
魏に外交団を送る国力を持っていたのは邪馬台国だけなので、邪馬台国が「超大国が認める公式政府」ということになり、他の国々についてはよくわかっていません。

古代日本の日本での公文書が古事記と日本書紀になりますが、双方とも時の権力者によるねつ造や歪曲が相当に入っていて、矛盾する記述も目立ち正直言って資料としての価値はそんなに頼りになるものではありません。例えば出雲大社や諏訪大社は「国譲り」をしたとなっていますが、平和裏な統合なのか、武力征服なのか分かりません。当たり前ですが、公文書は「平和的統一」をうたっており、それが国譲りという形式になっています。
しかし他に頼りになる文書もないので、現在の日本古代史の定説は古事記と日本書紀に頼っており、特に保守的である主流派の研究者たちは「古事記・日本書紀にそんな記述はない」となればそれは否定されてしまいます。つまり日本古代史ってのは相当に閉鎖的で保守的なところなんですね。

しかし近年、考古学的発見が相次ぎ、古事記・日本書紀を中心にした研究より考古学的事実のほうが先行していて研究ははっきりいってやや混乱状態です。例えば三内丸山古墳の発見は、縄文時代と弥生時代について考え方を根底からひっくり返すものでしたし、出雲大社での巨大な柱の跡の発見は、それまで非現実的といわれていた巨大な木造建築がどうも実在したようだという流れになっています。
そうであれば、それほどに巨大建築を作る技術と資金力を持つ大国がなぜ大和に「国譲り」をしたのか、しかも譲るに当たっては「自分を丁寧に祭らないとよくないことが起こる」と脅迫しているので、それを意味するものは何かとまた謎が増えています。

また、宮内庁が管轄する古代大王(天皇)の古墳の発掘研究は、宮内庁が調査を拒否しているので全く進みません。おそらく、それらの古墳を研究すれば古代史の謎の解明が大いに進むと思われるのですが、宮内庁は頑なに拒否しています。
あまりに宮内庁が頑なな態度なため、その理由は研究が進むと天皇家が朝鮮半島から渡ってきた騎馬民族の末裔であることがバレてしまうから、なんて説もあるくらいです。実際問題、古代大和政権の異常なまでの百済へののめり込み度と白村江の戦いの前後なんかを考えると天皇家のルーツがあのへんと考える方がしっくりくる部分はあります。

また、朝鮮半島を通じての研究ですが、これが一番危険です・笑。韓国嫌いのネット右翼にとって面白くない事実ばかりが出てきます。どうやら想像以上に古代日本と朝鮮半島の関わりは深いようです。ま、それは当然で、青森から日本海を通じれば朝鮮半島と交易があったとしても技術的には全く問題ないんですがね。
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 文書として残っているケースもありますが、史書には一定のバイアス・偏見・論拠なき伝聞情報などが多く介在していますから、信用なりません。


 日本の扶桑社の教科書のように、自国に不都合な歴史を記述しないのが普通の国の史書ですから、多くの部分は信用性がないわけです

 ちなみに、証拠はあまり残らないケースが多いようです。

>中国や朝鮮の中の歴史の事実から外国である東の倭の国の事を特定出来ないものなんでしょうか?

 特定できないケースが多いと言えます。時代を遡れば遡るほど、特定できなくなります。

ただ、現在、海洋考古学の技術発展の恩恵から、交易に関する証拠資料が大量に見つかる可能性はありますので、気長に待ってみるのも、アリだと思われます。
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記録はありますが、遠い異国の話ですから情報量も少なく、関心も低いので「概略」や「憶測」でしか書かれていません。


そんな情報では漠然としかわかりませんし、特定できるならとくに古代史は解明されています。
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中国にとっては基本的に僻地の蛮族ですし、韓国は三国時代の戦乱のただ中で余裕のない時代。



日本にも安定した集権国家が確立し、互いを国家と認め、外交官として駐在する役人が出てこないと、本国との年表とすりあわせるネットワークがないので、他人のうわさ話による伝説しか残らないのです。
1300年代でも東方見聞録の黄金の国ジパングが日本の詳細なんですから。
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