学生闘争というのは、ある意味当時の流行りだったという印象が個人的にある
学生闘争というのは、ある意味当時の流行りだったという印象が個人的にあるのですが、実際のところどうだったのでしょうか?
つまり、そういった流行りの中で周りに流されていた人たちが多くいた、という印象です。
学生運動もその当時の親も大人も同じレベルだよ。
学生が国会議事堂を燃やしていたとすれば、その大人は校庭で子どもたちの目の前で漫画を燃やしていたからな!!
大人がもっとしっかりすればよかったのよ。
私は既に佳境を過ぎた頃に大学に入りましたが、確かに「祭りの後」と言う感じでしたね。
流行と言う事では日本だけのものでは無く、世界各国で流行っていたものが少し遅れて日本でも始まったと言う事でした。
当時の大学では、米国においてはベトナム反戦活動、欧州においても反政府活動が活発で、フランスでは5月革命と言う一般民衆も巻き込んだ騒動が発生し、当時の政権が解散総選挙を行なう処まで影響を与えました。
当時の中進国であった韓国やインドネシアでの学生運動や中国の文化大革命と言う意図的に発生させられたもの除き、日本も含めた先進国の学生運動は、大学の閉鎖性に対する反発とベトナム反戦運動を媒介に燃え上がったと言う経緯には共通していましたが、日本においては「出遅れた」と言う気持ちがあった気がします。
既に5月革命を題材にした歌謡曲や、米国の学生運動を題材にした映画が発表された後の流行でしたから、当時は未だ今の様に流行発信国にはなっていなかったという事ですね。
流行りだったと言うのはその通りでしょう。
しかし信念を持っていた人もいた事も事実です、
何かの本で読んだ事が有りますが、
戦争で死んだ人が多く生まれ変わって来ているから
「これに関しては信じない人も多いですが」
反戦、反米、反権力の意識が強い人が多いのだそうです。
国家の理不尽な命令で人生の希望を断絶させられた人達です
アメリカでもベトナム反戦世代は同様です、
開戦時に商工大臣だった岸伸介首相が学生に刺されたのも偶然とは思えないのです。
死亡時に強い怨念を持って死んだ多くの青年がその世代に成り国家に反逆した
と考えれば納得出来るのです、しかし大半の青年はいつの時代でも中庸です。
日露戦争がある意味流行であった理由は、この辺を読むとよくわかるかと。
http://www.amazon.co.jp/dp/4062584530
どう考えても勝ち目のないロシアとの戦争を政府(特に伊藤博文)は避けようとして居たのに対し、発行部数の多かった東京・大阪の朝日新聞は「ロシアと開戦すべし」と開戦論を強力に唱え、世論を「開戦やむなし」にある意味「誘導」したんですね。「マスコミの誘導に踊った」のですから、ある意味「日露戦争は流行」だったんです。
その通りですよ。
なぜなら政治運動はプレイではなく実用品なので
勝ち目が無ければやらないものです。
あんな物理的な戦いなら国家権力の方が質は10倍量は千倍ぐらいあり
勝てるわけないのは中学生でもわかります。
つまりそれはプレイでしかありません。
学生チームにそこそこの質・量があるのだから
同じ主張の中年を候補に立てて選挙運動すれば
落選しても広報活動として大いに有意義なのに
それはぜんぜんやってない。なぜなら、それよりも
スクラム組んだり火炎瓶投げたりする方が
「遊びとして面白い」からです。それは闘争ごっこにすぎません。
当時の大学生が標準的にそんなに愚かだったとは
考えにくい。
流行だと言えばそれまでですが、当時の学生は少なくとも今の学生よりは日本の将来を真剣に考え、どうしたら日本が貧困に悩まされることなく、皆が幸せな生活を送れるような国になるかを議論し合っていましたよ。今の学生にはそのかけらも見えないですね。それも流行だとも言えますね。
日本人は「大多数の状態に流される」のが通常ですので、学生闘争も流行と言えば流行でしたね。ただし、そう言う言い方をするなら、日露戦争は明らかに「流行」ですよ。ま、「流行」という言葉の定義をどうするかで「流行」かどうかが決まると思います。
ちなみに当時「思想が無い=ノンポリシー=ノンポリ」と揶揄された連中でも、かなり深く「日本のこと」を考えていたことは確かです。
この回答への補足
日露戦争が流行ということですが、それについてお聞かせ願えませんか??
- 最新から表示
- |
- 回答順に表示












