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藤原定家が百人一首という歌集をわざわざ選んだのはどうしてでしょうか?

A 回答 (8件)

まず、藤原定家の息子の妻の父親である宇都宮頼綱という人がいたそうです。


彼は定家に、京都の小倉山にある別荘の障子(今で言う襖)に、色紙に和歌を一首ずつ書いた紙を貼るために、天智天皇から順徳院までの歌人、一人一首ずつ選んでほしい、と定家に頼んだそうです。
特に決まりごとはなかったようなので、百人一首には定家らしく一番多いのは恋の和歌、次に多いのが秋の和歌です。
また、藤原定家が百人一首を作った、という説が強い理由は、定家の日記、国宝にもなっている『明月記』にそれらしいことを書いたからだそうです。
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>藤原定家が百人一首という歌集をわざわざ選んだのはどうしてでしょうか?



わざわざというのはあたっていないと思います。わざわざ、という感覚があったらできないことだと思います。
彼はそういうことが大好きだったのです。どこから命令されなくても、時間さえあれば彼はそういったことを日夜だらだら続けてこよなく楽しんでいたのだと思います。つまりそういう趣味に淫していたのだと思いますよ。結果的に百首を選ぶということになったのでしょうが、最終的にどういう基準でえらんだのか、彼にしかわからないような結果にしたのも彼のいたずら心なのでしょう。
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wikipediaの説は、信用ならないのかな……?


これによれば、宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)から頼まれて、山荘の襖の装飾のために100首選んだのが原型――ということになっています。

摂関家藤原北家道兼流・宇都宮蓮生(宇都宮頼綱)が京都嵯峨野に建築した別荘、小倉山荘の襖色紙の装飾の為に、蓮生より色紙の依頼を受けた鎌倉時代の歌人藤原定家が、上代の天智天皇から、鎌倉時代の順徳院まで、百人の歌人の優れた和歌を年代順に一首ずつ百首選んだものが小倉百人一首の原型と言われている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E4%BA%BA% …
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百人一首というものは、藤原定家だけが編纂したものではないそうです。

定家のものは”小倉百人一首”とも言われている”私撰和歌集”であり、彼の好みだけでで編纂したものです。幾つか異なった歌が入っている短歌集を定家は編纂しているそうです。
万葉集に入っている歌で、多少表現が異なっているものがありますが、恐らく新古今的に変えたのでしょう。
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いつも物議を醸す「逆説の日本史」6巻(だったかな)にも「百人一首は鎮魂歌である」という説がありますね。

「読み物」としては面白い説だと思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%86%E8%AA%AC% …
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聞きかじりで申し訳ないですが


呪い封じだとか?
特に六歌仙の番号が鍵らしいとか?

都市伝説の域を脱しませんけど…
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「百人一首の秘密」


http://www8.plala.or.jp/naomichi/
未来の日本人に、暗号解読を期待して、本当の気持ちを百首に託したのだと思います。
800年くらい解けなかった暗号ですから、ギネスブックに申請してもよいでしょう。
それにしても、傾いたものです。

参考URL:http://www8.plala.or.jp/naomichi/
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個人の自由です


好きだから選んだのです
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