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なんか「無意識」ということばを思い出すと気が抜けます。

最近、「これかな?」とおもったのは、植木理恵さんが書いた「本当にわかる心理学」

にあった「集団になると人は手抜きをする」という話です

僕は、石井

裕之という人の本から生まれて初めて「無意識」という概念を知りました。

そこには、無意識=もう一人の自分という風にかかれていたせいか

「無意識が動けば、意識上はなんもせんでええんかな?」という

疑問系ながらそういう考えが浮かんでしまうようになりました。

つまり、「もうひとりに任せたらええんやろ」という発想から植木さんいわくの「手抜き」

が起こったのでは、なかろうかと睨んでいるのですが

みなさんは、どう思いますか?

A 回答 (3件)

うーん,どちらも読んだことがないのですが。


最近の「心理」関係の本,胡散臭いと感じることが多くて,手にも取らないです。

質問者さんの無意識の理解は,ほとんど間違いです。
本のせいならば仕方ないと思いますが。
といって無意識について書いたらとても回答の字数制限2000字では収まらないので,本を紹介します。

無意識については,古典ですが,宮城音弥『精神分析入門』を読んでみることをお勧めします。
集団による手抜きについては,もともと日本人の気質のなかに強くあるもので,これは南博『日本人の心理』を読まれてはいかがでしょうか。戦後すぐに書かれた本ですが,現代にも当てはまることが多くあります。
(「えらい先生はみんな亡くなってしまった」と思う昨今です)
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この回答へのお礼

 無意識に対する見解は、昔と今とで変わっているんですね。

 確かに、胡散臭さを感じるので一度古典で学んでみます。

お礼日時:2010/07/13 10:39

興味深い解析だと思いました。

免疫学の本を読むと自己非自己の識別というような言葉が出てきますが、似ているなと思いました。非自己というのが無意識に相当するように思えました。もう一人の自分というのは実は自分ではないと考えると話がぴったり合うように思います。あるいは意識が認識している対象以外のものはすべて無意識の対象と考えてもやはり話が合うようにも思います。
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自分の思考に自分自身が介入するという離れ技ができるのは人間だけです。

その特権を手放していいと思うならお好きにどうぞ。いいことばっかりでもありませんしね。
ただ、みんながみんなそうなってしまったら、それはブレーキのないダンプカーみたいなものです。あとで文句を言う資格はなくなりますが、それでもいいのなら。
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