プロが教えるわが家の防犯対策術!

宗教は、どこまでがセーフでどこからがアウトなんですか?

葬式や結婚式などは少なからず何らかの宗教を利用することになりますが、浄土真宗やキリスト教と創価学会などとの大きな違いは何ですか??
創価学会の葬式は故人を冒涜していると聞いたこともありますが、いまいちよくわかりません。

また、参院選でのテレ東番組で創価学会+公明党の特集?をテレビで多分初めて見たので、余計混乱しています。ネットで調べても、いまいち本質的な部分が見えてきません。

宗教の違いや、創価学会の活動内容などわかりやすくご教示願います。

A 回答 (7件)

日本の政教分離は世界の自由主義国の常識からすれば明らかに外れていて、世界では宗教を軸に議員が立っても政策に偏りを作らないというのが政教分離(欧米各国、イスラム国などを除く)、日本では宗教を軸にした政党まで否定しています(公明党)。

これはむしろ共産主義国や社会主義国に近い考えです。

各宗派の違いは説明が書ききれませんが、本来の仏教は宗教と言うより思想です。またキリスト教系では、キリスト生誕以前の旧約聖書を用いているのがユダヤ教。旧約聖書を説いて独自の理論を展開したのがイスラム教やロシア正教、ギリシャ正教。カトリックを批判して基本に戻ろうといったのがルターなどのプロテスタント。彼らはマリアに祈るのは偶像崇拝だとしています。
浄土宗や浄土真宗は死んだら仏様なので、穢れとか地獄いう感覚が少ないです。

宗教の是非はありません。これは信教の自由という憲法で保障された権利なので、どんな思想を持っていてもそれは自由です。但し、他の関係ない人や社会の権利を侵害すれば、処分の対象になりますが、これはあくまでも法廷で判断すべき問題で、それ以外で判断し実行すれば、場合によっては違法行為にもなります。

文字制限があるので、とりあえずこの辺で。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やはり難しいですね・・・

宗教(=思想)を軸にして政治を行うのはいろいろ問題はあると思いますが、今の日本のようにテレビ局すべてが本質に迫らずに、言い方変えればタブーから避けているように見えるので、余計にも宗教・政治がわかりにくくなって政治離れが進んでいるような気もします。

お礼日時:2010/07/16 09:35

僕はクリスチャンなんですが



別の宗教や教派で

聖職者が自分たちの利権や訳の分からない言葉などを教えながらお布施と言ってお金を無心する所が嫌。

あとは勧誘(伝道)で自分たちの目的や身分を隠して嘘をつきながら呼び出して何時間も軟禁するのは嫌。

ただ創価学会が母体の公明党は票数が集まらない所を見ると昔ほど
一致団結してないなと思う 昔はあの神棚がイケないとか言って排他的だったけど
大学などの教育機関ができたから それも評判に響くだろうからここ数十年は見てないな



プロテスタントの教会やミッション・スクールなどは本音を言う人が多いので隠している
教会の聖職者は避けたほうがいいね あとは敷居を低くしてほしいね 最近では福音派のゴスペル・ラップが
流行ってるね

    • good
    • 0

 宗教の名において、人を殺したり、人を迫害するものはアウト、


それ以外はレベル差はあるもののセーフでしょう。

オウム真理教==>アウト
地下鉄サリン、松本サリン事件で人を殺傷しているから

創○△会==>セーフ
色々あるでしょうが、殺人は犯していない

○福の科△==>セーフ
自分的には要注意、政治に興味関心があるところに不信感有り
オウムも政治に興味関心が高かった==>全員落選==>サリン事件
    • good
    • 0

質問には直接関係してませんが、宗教に対して、"セーフ"や"アウト"という言葉を使うのは


宗教の自由、という権利を侵害することになりかねませんので、自重したほうがいいかと思います。

私自身も無宗教ですが、宗教を信じないことはともかく、それぞれの考えを否定したり、
嘲笑したりすることは、極めてよろしくありません。

過激な信者の前でそのような発言をすれば、どのようなことをされるかわからないですよ。
    • good
    • 1

創価学会 壮年部の者です。



>浄土真宗やキリスト教と創価学会などとの大きな違いは何ですか?
>宗教の違いや、創価学会の活動内容などわかりやすくご教示願います。

●浄土真宗やキリスト教は宗教、若しくは宗派です。
創価学会は確かに宗教団体ですが、もともとは(宗派で言えば)日蓮正宗の信徒団体です。
平成2年の池田創価学会名誉会長の総講頭罷免、平成3年の創価学会に対する破門通告により
日蓮正宗 総本山 大石寺とは縁が切れていますが、、、、。

本来宗教とは、教えを説く側と教えを受ける側に分類され、どちら側も必要要素として存在
します。ですから、単に、「浄土真宗やキリスト教と創価学会」このごちゃ混ぜにした質問
内容はおかしいのです。そこを一緒にしてしまうから、余計に訳が分からなくなってしまう
のでしょう。

整理しますと、、、、

■鎌倉時代の僧:日蓮(大聖人)が建長5年(1253年)に千葉の清澄寺で当時の諸宗の誤りを指摘し
「南無妙法蓮華経」こそが末法の衆生を救う唯一つの正しい法である事を宣言した事が始まりで
その中には、法然の説いた浄土宗も邪法として強烈に破折していました。
その後、千葉を追われた日蓮大聖人は鎌倉へ活動の場を移しますが、他宗を激しく非難する言動
は変わらず、他宗の僧は鎌倉幕府の要人を利用して、日蓮大聖人を亡き者にしようと迫害をします。
数々の難の中でも、文永9年、佐渡島に流罪されますが、日蓮大聖人を守る人もいて文永11年に
赦免になり、その後、山梨県身延に移り晩年を過ごされます。

これが現在の、身延山久遠寺です。

しかし、日蓮大聖人滅後、弟子の勝手な法の解釈、身延山の地頭と結託により、日蓮大聖人の
精神が失われた身延の山を出て、日興上人が富士宮に大石寺を築きます。

これが現代において、『日蓮正宗』の総本山となる富士大石寺です。

■創価学会は、昭和5年「創価教育学会」として、牧口初代会長、戸田第二代会長を中心に設立
されました。先にも書きましたが、あくまでも信徒団体としての設立です。その後、創価学会は
本山はもとより地方、海外の寺院の建立を供養し、正宗の興隆に尽力してきました。何よりも会員
を増やし、供養や参拝により寺を潤す事は、創価学会があったから出来た事なのです。
お金持ちになったお寺は、「もう供養はいらねぇ~」といって、創価学会を破門しました。
身延などは、「日蓮正宗は変わった宗派だ」と言っているらしいです。

教義、信仰内容は変わっていませんよ。

>創価学会の葬式は故人を冒涜していると聞いたこともありますが、いまいちよくわかりません。

だれがそう言っているのか分かりませんが、「故人を冒涜している」という意味が私にも分かり
ません。

>創価学会+公明党の特集?をテレビで多分初めて見たので、余計混乱しています。
ネットで調べても、いまいち本質的な部分が見えてきません。

●昭和30年頃の事ですので、現代の感覚ですと理解できない部分も多いとは思いますが、民衆を
救うために「宗教」は大変重要な事なのですが、人々の生活の向上、社会の復興については、
「政治」というものが直接影響してきます。そのために、創価学会は、民衆の事を真剣に考え、
行動し、人間の為になる政策が展開できるよう、文化部として同士を政界に送り込みます。
公明党という政党が出来たのは、これよりも少し後になります。当時は、自由民主党と社会党
を中心とした五十五年体制の真っ只中です。路上に佇む民衆が置き去りにされて政治が展開さ
れていたのです。
    • good
    • 0

>宗教は、どこまでがセーフでどこからがアウトなんですか?



宗教がどこまでセーフかというと、他者の信仰、他者の考え方、他者の文化・宗教を認めるかどうか、一般社会的常識と対立しないか、社会の一員として、地域社会に参加出来るかどうか、対立的にならないかという所に、境目があると思います。

でも、浄土真宗もキリスト教も、一部では、とても危険なものがあります。有名な浄土真宗のカルト教団もあります。また、日本のキリスト教でも、少なくとも異端と呼ばれる「エホバの証人」よりも遥かに危険な団体な危険な人たちがいます。警察はとり合ってくれませんが、自分たちと意見の合わない人に対して、しつこく攻撃的に、時にはストーカー行為や迷惑行為を、なぜ、繰り返すのか分かりません。それを秘密裏にするならともかく、悪びれずに公言するわけです。私たちが、常識的な範囲で、忠告すれば、とたんに、私たちも敵だと言い始めるのです。そういう宗教家たちを、何人も見てきました。そういう人がキリスト教団体の代表とは思えませんでした。日本には、未だ、数々の問題のある宗教があります。

>参院選でのテレ東番組
>ネットで調べても、いまいち本質的な部分が見えてきません。

テレビで、本当のことを公開するはずがありませんし、ネットでもずいぶん間違った内容が出ています。2chが元のようですが、困ったものです。それに、一般の信徒さんには分からないものも多くあると思います。日本の宗教のようで、そうでない宗教団体もありますし、外国の宗教というのに、本当は日本人がウラで動かしている宗教もあります。

端的に言って、宗教とは、自由主義の旗のもとに活動するもので、社会主義や共産主義とは結びつくものではありません。政治とは常に揺れ動くものですから、宗教というものは、直接政治運動などに関係するものでないというのは、古代仏教はともかくとして、曹洞宗の道元が気をつけていたことです。しかし、残念ながら、最終的には、彼は、政治利用されてしまったように思うのです。今では、経済問題や軍事問題まで、宗教団体が口を挟むわけです。

多くの宗教団体は、政治に関係しています。ただ、いずれにしても、現体制を否定するものであってはならないはずです。自分たちのルーツがどこの国であろうと関係ありません。今まで住んでいる人たちの生活や文化を否定して、自分たちの思うとおりの社会を築きあげようとするなら、それはカルトでしかないと思います。これは、一部の日本のキリスト教団体も含めての話です。
    • good
    • 0

創価学会の会員です。



>創価学会の葬式は故人を冒涜していると聞いたこともありますが、いまいちよくわかりません。

創価学会では、葬儀に僧侶を呼ばず、いわゆる在家信徒のみで葬儀を行う「同志葬(友人葬)」を行っていますが、おそらくそれが、個人を冒涜しているということなのでしょう。葬儀には僧侶を呼び、引導を渡してもらわねば、個人は成仏できず、地獄に堕ちる。そういう観念が、この日本ではいまだに根強い。だから、これに“反する”葬儀を行う創価学会は、個人をないがしろにしており許せない、という理論が成り立つわけです。

しかしながら、「葬儀には僧侶が必要」というのは、仏教本来の姿ではありません。葬儀に坊主が付きものという観念が確立されたのは、江戸時代の檀家制度によってなのです。これは当時盛んであったキリスト教の勢いを削ぐための、徳川幕府の政策にすぎず、仏教の教義とは関係ないものです。そもそも仏教の創始者・釈尊(釈迦)は、「出家は葬儀には関わらず、在家信徒に任せ、修行に専念せよ」と戒めているのです。

「同志葬」のことを「冒涜だ」だの何だのとケチをつけるのは、真の仏教がわかっていない証拠です。すべての僧侶がそうだとは言いませんが、信徒のお布施で贅沢をし、遊興に耽って堕落している僧侶がいます。私も以前葬儀の席で、坊さんが信徒からお布施を受け取ると、遺族へのお悔やみの言葉もなく、「もらうものさえもらえば、もう用はない」とばかりに、逃げるように帰っていった、そういう光景を目にしたことがあります。こんな僧侶に葬儀に携わられては、それこそ個人への冒涜ではないですか。

「真心こもった葬儀だった」「在家信徒のみでも、すがすがしい葬儀だった」「何よりも、坊主へのお布施も戒名料もいらないから、安上がりで済む」(笑)と、同志葬を賞賛する声も多い。それが学会への理解にもつながっています。「僧侶がいるかいないか」といった形式ではないのです。要は、いかに故人を悼み、送り出すかという真心があるかないかです。創価学会の行う「同志葬(友人葬)」は、本来の仏教の在り方に則った、正当な葬儀なのです。

参考URL:http://www.sokanet.jp/sg/FWIM/sn/soka-info/infor …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

自分の父親が創価の人(隣人)の葬儀に参列した際に、学会員がお経を読む光景が異様だったと言っていました。

お礼日時:2010/07/16 09:30

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!