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日米安保紛争で、まともな肯定の意見を求めます。


池上彰さんの番組で『日米安保紛争』が取り上げられていたのですが、よく日米安保紛争で「否定派」の意見は

「あれは、大儀は日本を戦争に巻き込まないと言うものだったが、実際は条文の内容など二の次で、岸内閣の強行採決による反感がもとで、感情的な不満があのようになっただけだった」

「左翼運動に参加している学生も、卒業後は手のひらを変えるように国の味方である企業に就職する。それで左翼運動に参加したから内定が決まらないと嘆くものが多くいたが、その程度の骨抜き集団だった。」

「あの時代は、戦時中に戦争を反対したら非国民と言われるのと同じように、あの時代の学生は反対運動に参加しないと白い目で見られたので嫌々参加した人間が多い。」

「日米安保に反対と言うのが目的だが、そもそも運動の中心メンバーすら条文を読んだ事がない者が大半だった」


などの意見が多いのに対し、「肯定派」は

「あの時代の若者は元気があった。今の若者よりよっぽど良い。」

「あの時代の若者は今の若者より問題意識が強く、何事にも情熱的だった」
などの精神論や思い出話が大半で、否定派の意見のほうが客観的説得力があり、まともに思えます。



しかし、それは私が知らないだけかもしれません。

良いと思えるような意見がありましたら、お聞かせ願います。

A 回答 (4件)

[日米安保闘争」ですか。

懐かしい時代ですね。
今から振り返って見ると、一部共産かぶれの教師や学生によるアジから始まったと思いますが、何故あれほどまでに全国的に広まったのかですね。
当時は、戦後25年、高度成長時代に突入していましたが、学校や社会は未だ戦前の息苦しい影響が残っていたのですね。その打開、改革の意味で情熱が注がれた点はありますね。
私もあの真っ只中の卒業生の1人ですが、まともな卒業式さえなかったですね。どこの学校も同じでしたがね。
今は学内や社会はかなり自由でしょ。その自由はあの「安保闘争」以降に実現しているのですね。
当然、学校はあの安保の世代が教授や学長やってるのですからいうまでもないですけどね。
つまり、ある意味、戦後の決算を終戦前後生まれた若者が模索した時代ということでしょうね。
戦後の高度成長は生き残り戦前派の富国強兵モードだったわけですね。そのモードを自由で豊かな成長モードに切り替えるための一大改革と捉えても良いように思ってます。事実そのようになりましたしね。
そういう意味で[日米安保闘争」は肯定的に捉えても良いように思います。
共産かぶれの教師や学生は、血の粛清で終焉し、彼らの[日米安保闘争=共産国家礼賛」の意義はうせてしまいましたがね。
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ご返信ありがとうございました。


質問の主題とちょっと反れるのですが、ご返信内容に関係して補足の意味で付け加えておきます。
私の説明不足で、少し意味を取り違えられて解釈されておられるのですが、

まず、極右は暴力を肯定します。これはほぼ全ての極右全般に渡って言える事であり、まず間違いないと思われます。
ただし、極右の暴力行使は主として「治安の維持」や「道徳の主張」とか… そういう面に向けられ、尚且つ極右の暴力行使は究極的な最終手段であります。
例えば警察が暴力を行使せずして、いかにして治安を維持できるのか。
或いは自衛隊が非暴力を貫き通して、国や国民を守れるのか?
又は、民間最終防衛部隊が全くの非暴力にて侵略軍に抵抗できるのか。
そういうことですね。

この面で極右は極左の暴力思想とは根本から異なります。
極左は暴力行使を「秩序の破壊」と「変革へ向けた主張」として行います。この点、極左は暴力的体制破壊者であり、善良な風俗に対する妨害者なのです。
そして日本の過去の歴史が示すように、極左は暴力をいとも簡単に行使します。

私が前の回答で、
> ひょっとしたら彼らこそが極右じゃなかったのかな? と思うことはある。<
と申したのは、彼ら学生運動家たちが暴力を行使したからではなく、その主張の背面に日本を思う純粋な心があったのかもしれない… と考える事があるからです。

勿論彼らとしては最初から最後まで純粋に日本を思っていたのでしょうが、更に言えば、民族自存・国家の自立性・近隣諸国への不干渉… そういう極右的な命題の上で日米安保闘争を行なっていたとも言えるのですから。

暴力は使用形態と使用目的により、正義にもなり犯罪にもなります。
拳銃を持った警察官は暴力行使予備軍であり、その警官の存在は正義であるが、法にと道徳に依らぬ拳銃使用は犯罪となります。

単純に全ての暴力を否定するのは誤りであり、それは国家統治そのものを否定し、民族・国民…人間そのものの存在を否定することとなります。
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アレは、流行性感冒だったと思いますよ。


自民党の加藤さんはリベラリストで自民党議員をしてますが、彼も若い頃は大学紛争に燃え、日米安保紛争に参加していたそうです。
そして時々親元に帰ると(記憶に依れば彼の親御も政治家だったそうです)、「日米安保は米国が日本を守る条約なのに、なんで反対するんだ!」と叱られたと言う…

そして加藤さんは、その昔話を淡々と、当たり前の如くの反論点として紹介しているようなのです。
つまり彼にとっては日米安保に反対するのは絶対的に正しく、その行動に対する親御のような言葉は偽善である…とか、暴論である… とか。何と言えば良いのか。つまりは親御の言葉を持ち出して、自分の正当性を主張する… とでもいう考え方なのかなぁと思ったりしました。
これは私のただの感想なので、彼の真意は彼本人に聞かなければ分かりませんけどね。

その加藤さんを除くにしても、普通は、
日米安保闘争は「学生さんのお遊び」、流行性感冒。
若いから洗脳されやすく、そして三つ子の魂100まで、と。

日米安保の他にもその頃の時代には様々な闘争論点があった。
大学には機動隊が導入され、ノンポリシーの学生までもが敵扱いされてた。
構内には大量のビラが撒かれ、教官は学生に小突き回され、学生同士で準暴力的なイザコザが学生食堂のサンマ定食並みに当たり前に起こってた。
拡声器が煩く喚き、覆面をした学生がどこで軍事教練を受けたのか整然と棒などを振り回し、機動隊が来襲する前から準備体操してた。
機動隊幹部数人の偵察があり、それら幹部が大学外で地面に絵を書いて作戦を練り、その数十分後にどこからもなく駆けつけた機動隊車両から100人単位で機動隊員が構内に侵入した。
装甲車に乗り、あたりかまわず写真撮影して証拠を残し、何人かの学生は逮捕されていった。

そしてそういう事一切合財が、学生の遊びそのものだった。
日本には徴兵制は無かったですからね。多分、兵隊にあこがれる年齢、時代… だったのかも。
私は当時からノンポリシー。極右になったのはずっと後だね。
まだが、あの時、私が極右になってても、大学紛争コモゴモ、彼らとの闘争はしなかったと思う。
私から見れば遊びに見えた。

だが、遊びだから許してあげようよ、とはならんね。

しかし、ひょっとしたら彼らこそが極右じゃなかったのかな? と思うことはある。
今一般に思われてる極右の虚像が、日本では通用しない。
また、自分が極右だと思っている人たちの主張は、今の日本人に通用しない場面も多々ある。
これからの極右は、大日本帝国時代の亡霊を引きずるんじゃなくて、今の時代に合致した正しい考え方をせんとねww
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この回答へのお礼

回答有難うございます。

>ひょっとしたら彼らこそが極右じゃなかったのかな? と思うことはある。

それに近い事は私も思います。

彼らは「戦争反対」という大儀を抱えながら、無闇に応戦出来ない機動隊を、火炎瓶やレンガを投げつけ暴行してきました。

暴力反対と訴えながら、暴力行為を行っている。


やはり、「肯定的なまともな意見」があまりないのは、「暴力を肯定する言い分に、まともな倫理は少ない(無いとは言わない)」からなのかもしれません。

お礼日時:2010/07/15 14:19

で、日米安保問題の肯定意見なの?


それとも紛争の肯定意見が欲しいの?(^_^;

この回答への補足

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E4%BF%9D% …

これ

質問文の「岸内閣の強行採決」「あの時代の学生」「反対運動」などの単語で
普通何の事、指してるかわかると思うけど(^_^;

補足日時:2010/07/14 23:58
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この回答へのお礼

(^_^

お礼日時:2010/07/15 14:19

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