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二宮尊徳(金次郎)の事跡を『報徳記』『二宮翁夜話』などで見ると、人心の荒廃を正すことで荒れ地の荒廃も再建し誠に立派な人生を歩んだ人のように見えます。
戦前では全国の学校に銅像が建ち、苦学力行の手本とさせました。
戦後はなぜに打ち捨てられ、学校教育では省みられなくなったのでしょうか。
儒教や神道が、無宗教主義の学校教育と合わなくなったのでしょうか。
法律で禁止したということはないですよね。

どなたか、教えて下さい。

A 回答 (4件)

別サイトでの別人の回答になりますが、私にはこちらがもっともらしく思います。



http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …

なお、GHQ説も目にしますが、何も証拠がないのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
どうやらこれが真説のようですね。

ウイキを読み直しましたら、GHQは史上最大の民主的日本人と讃え
一円札に肖像画を載せることも妨げず実現しているようですから、
彼の人物像は国際的に通用する立派さだと感じます。近年中国でも
尊徳研究会館などが建ち、盛んに研究されたといいますから。

われわれ日本人ももっと彼を再評価しても良いのかもしれません。
(彼に注目した自分がちょっと誇らしくなりました。笑い。)

お礼日時:2010/07/21 20:59

高度経済成長により貧しさがイメージできなくなった。

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この回答へのお礼

追加回答をありがとうございました。

なるほど、高度経済成長期と忘れ去られた時期とが重なっていますね。
今また、貧困が広がり、思い出すべき人物となってきたのかもしれません。

私の直接の思い出しの原因は、ペシャワール会の活動を講演で聞いたからです。
江戸時代に完成されたという洗練された土木工法で彼らのやっていることは、
かつて聞きかじった金次郎の荒廃した農村の再興とまったく同じではないかと思い、
まじめに金次郎事蹟を読みだしたからです。『夜話』など教訓に富み、まるで
イソップ物語を読むようです。

お礼日時:2010/08/31 17:48

すみません。

修正です。
私の小学校にあったのが「石像」だったので、ご質問を石像と思い込んでいました。
「銅像」は、鉄道の線路やお寺の鐘と同様に、戦時中の物資供出のため、なくなったんです。
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この回答へのお礼

そのようですね。
私の出身小学校のも石像で、今もあります。

お礼日時:2010/07/27 20:59

打ち捨てられたのは「戦後」ではなく、占領中のGHQの指示によります。


偶像などが全体主義教育の象徴とみなされたためです。教育勅語や御影と同じ判断です。
占領された身が占領軍の指示に理不尽と知っていても従うのも仕方がないですし、占領側が不十分な知識で全体教育をやめさせようとしてやり過ぎるのも仕方がないでしょう。
私の通った小学校にはありましたが、地域の人たちの尽力で守られました。地域的にまだ生活ぬ余裕があったんですね。
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この回答へのお礼

GHQの指示でしたか!
私の小学校にもあり、現在もあります。
あれは指示違反をしていたのですね。
ご真影や教育勅語は消えても、日本の民衆は金治郎は守ったのですね。
すばらしい!

ちょっとこれから、どういう指示だったか現物を調べます。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/07/19 19:46

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