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「男尊女卑」

洋画では(主にパニック映画)、男は体張って命投げ出して頑張りますが、女はキャーキャー言って逃げ回るだけです。

体力的に出来ないことが多いのはわかりますが、その中でもアイデア出したり、細かい作業は出来るはずなのになんら自主性を発揮せずキャーキャー言うだけ。女の自己犠牲など見たことがない。
さらに使えないだけでなく、むしろ往々にして足を引っ張りますよね。

しかし最後に生き残るのは、何故かカップルか女。

これ何かおかしくないですか?

これってモロ男尊女卑じゃないでしょうか、ということです。

男の理想を押し付け、女を一方的に無能者として描いている非常に強引な展開に思えてきました。

しかし逆に、women liveの精神に則って考えるなら、どんな場面でも対等であるべきだし、それが出来ないなら初めからそんな精神を宣わない方がいいと思うのです。

それが出来ないなら、女尊男卑とも言えるでしょう。

この映画のお決まりのストーリーと言うのは、アメリカ社会を男社会にしようとする企みでしょうか。或いは男に役割を強制しようとする女社会の企みでしょうか。

皆様の考えをお聞かせ下さい。

A 回答 (9件)

よくありますね


犯人に見つからない為に気配を消さなきゃならない時に限って、悲鳴をあげるとか
一刻一秒を争う際に、瑣末な事の説明を求めて対応を遅らせるとか
女性の描かれ方に「またか」とげんなりした覚えはあります

最近は女性がヒーロー役の映画も多くなりましたが
元研究対象者の特化した能力を持つとか、お金持ち令嬢でこれまた特化した立場を持つとかの
広告塔的なポジションの女性ヒーローであって一般的ではない描かれ方ですもん

アメリカでも専業主婦を望む女性は潜在的に多いですし、ガラスの天井に悩んでいるのが現状です
アメリカ人男性は(心身共に)マッチョであることを求められながら、家事の自立の求められることの
フラストレーションからDVが多いとも聞いていますので
お互いが男と女の役割分担を極端に求めすぎた結果であり、ひずみじゃないかなと思います


確か、ジーンハックマン主演の「ポセイドンアドベンチャー」では
年配夫婦の奥さんが心配する夫をなだめ、皆の為に
「昔は水泳が得意だったのよ」と一人暗い水の中に潜っていくシーンがありました
結局、奥さんは亡くなりましたが、脇役でありながら印象に残っています
昔の記憶ですので、間違っていたらすみません
冒頭で『神は自ら助くものを助ける』と説法があるので自助努力・自己犠牲がテーマであったせいか
男女ではなく人間としてのあり方が描かれた映画だったようです

アメリカの映画業界は政治と密接に結びついていますから
意図されたメディア戦略だとしたら質問者様の考察は非常に興味深いですね
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この回答へのお礼

2つに分けました。
いつの間にか映画に対するツッコミ大会みたいになってきてますが、全くの同感ですね。

ポセイドンアドベンチャーみたことある気もしますが、今度TSUTAYAでみてみます。ありがとうございました。

お礼日時:2010/07/31 21:31

はじめまして




確かにその傾向は強いです

それだけでなく現在のアメリカ映画ではマイノリティ保護の観点から
必ずといってアフリカ系等マイノリティの俳優が重要な役柄で出演していますね
例え映画がアフリカ系の人がこの時代場所に存在しているのかという古代ヨーロッパの歴史物であっても


ただ私が見たホラー映画の中で唯一と言っていい
女性たちが死んでしまい男性一人が生き残るという映画ありましたね
二組のカップルで女性二人は早々死霊にとりつかれ、男性の方も勇気あるイケメンの方はとりつかれてしまって
最後に生き残った方はちょっとした事でもブルってしまう貧弱そうな男性の方

この意外な結末の映画は
サム・ライミ監督の初の長編デビュー作の
『死霊のはらわた』という作品です
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この回答へのお礼

あーなるほど。
そういえば黒も必ず出ますしね。
なんというか映画という娯楽はアメリカでは重要で社会的な意味を持っているのですね。


確かに、ビビりの生き残り率も高いですね。

しかしあの映画、私はホラー好きで色々見てますが、古臭い割に怖かったですね。。どこか非合理で異常な映画だった気がします。

あれデビュー作だったんだ・・すごいですね。

回答ありがとございました。

お礼日時:2010/08/01 23:13

ああ、まだそういうご意見があるのですね。

これでもだいぶマシになったのですよ。「women live」は「woman's lib(woman's liberation movement の略で女性解放運動のこと)」と解釈して回答します。

もともとウーマンリブこと女性解放運動が本格化したのは70年代初頭です。とりわけ1975年には、『ステップフォード・ワイフ』が公開され、「村の従順な妻たちが実はロボットだった」という筋書きで男尊女卑を批判しました。
http://www.imdb.com/title/tt0073747/plotsummary

その後も、ご回答にもあるような強い女性を配した映画が続出しましたが、私にとって印象深いのは『スターウォーズ』です。レイアのような“従順ならざる姫”があそこまで大々的に登場したのは、あれが初めてではなかったかと思います。しかもヒーローは、いとも簡単に彼女に恋してしまう。つまり、はなから、ああいう女性を肯定するという前提で話が進むわけです。思えばルーク・スカイウォーカーは元祖草食系男子だったのかもしれませんね。

その後も皆さんが挙げておられる作品のほかに、「特化していない女性ヒーロー」としては、2002年の『パニック・ルーム』などが印象的で、ジョディ・フォスター演じる、離婚で気弱になった主婦が、キャーキャー言わずに一味をやっつけます。

ちなみに、92年は「女性年」でした。それで93年のアカデミー賞は「女性が、女性が」と盛り上がっていたのですが、そんな中、バーバラ・ストライサンドはプレゼンターを務めた際に壇上で「こういうのもステキだけれど、わざわざ女性を優遇せずとも、女性の功績が当たり前に認められる日が来るのを願う」と言ったのを、よく覚えています。それが今年、女性の監督が作品賞を射止め、再びプレゼンターを務めたストライサンドが、時代の変化を喜んでいます。
http://www.barbrastreisand.com/us/statement/time …

ただ、やはり人間、常に自分が強くありたいと思うもの。とかく男性客が集まるアクションというジャンルにおいては、男ウケを狙って男性を強く見せる作品が多く、反面、恋愛映画などでは、女ウケを狙って強い女性が活躍しているように感じます。

ちなみに、くだんの『ステップフォード・ワイフ』、75年版はサスペンスですが、2004年に公開されたリメイク版はブラック・コメディです。時代とともにそれだけ男尊女卑が“バカバカしい”存在になったのでしょうね。でもオチは怖いですよ。
http://www.allcinema.net/prog/search_all.php
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この回答へのお礼

woman's lib

いやー恥ずかしいですね。「女性も生きている」だとずっと思ってました。恥かく前でよかったです。ありがとうございました。

しかし実にお詳しいことで驚きました。映画の内容はわかりましたが、女性史?みたいなのがわかって興味深かったです。

ステップフォーワードのリメイク版見ましたが、アレはモロそういう映画でしたね。。

ただレイアは従順でこそなかったですが、権力は持ってなかったので初めてみた時、弱々しい感じを受けた気がします。

・・初めこそ映画見ながらの適当な質問でしたが、色々考えさせられるところが多くて良かったです。ありがとうございました。

お礼日時:2010/07/31 21:42

よくありますね


犯人に見つからない為に気配を消さなきゃならない時に限って、悲鳴をあげるとか
一刻一秒を争う際に、瑣末な事の説明を求めて対応を遅らせるとか
女性の描かれ方に「またか」とげんなりした覚えはあります

最近は女性がヒーロー役の映画も多くなりましたが
元研究対象者の特化した能力を持つとか、お金持ち令嬢でこれまた特化した立場を持つとかの
広告塔的なポジションの女性ヒーローであって一般的ではない描かれ方ですもん

アメリカでも専業主婦を望む女性は潜在的に多いですし、ガラスの天井に悩んでいるのが現状です
アメリカ人男性は(心身共に)マッチョであることを求められながら、家事の自立の求められることの
フラストレーションからDVが多いとも聞いていますので
お互いが男と女の役割分担を極端に求めすぎた結果であり、ひずみじゃないかなと思います


確か、ジーンハックマン主演の「ポセイドンアドベンチャー」では
年配夫婦の奥さんが心配する夫をなだめ、皆の為に
「昔は水泳が得意だったのよ」と一人暗い水の中に潜っていくシーンがありました
結局、奥さんは亡くなりましたが、脇役でありながら印象に残っています
昔の記憶ですので、間違っていたらすみません
冒頭で『神は自ら助くものを助ける』と説法があるので自助努力・自己犠牲がテーマであったせいか
男女ではなく人間としてのあり方が描かれた映画だったようです

アメリカの映画業界は政治と密接に結びついていますから
意図されたメディア戦略だとしたら質問者様の考察は非常に興味深いですね
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この回答へのお礼

アメリカの内事情?ありがとうございます。
ほほぅ・・。と思って読まさせて頂きました。
役割のひずみという表現気に入りました^^

映画のストーリーが少なからず世相を反映してるというのは言えそうですね。
それがわかっただけでも収穫でした。ありがとうございました。

お礼日時:2010/07/31 21:28

以前はそうなのですが、最近は女性が活躍する映画もふえてきていますよ。



バイオハザードでも、主役はもちろん、後半まで奮闘するのは女性の兵士です。
エイリアンシリーズ、ターミネーター2、サイレントヒル、キルビルなど、強い女性の映画ってけっこう増えてきています。
上にあげた作品では、男性は添え物で、全然活躍していません。

SFやアクションに限らず、「あなたのために」「イーストウィックの魔女たち」「マンマ・ミーア」「マグノリアの花たち」「キューティブロンド」などの女性の自立心あふれる映画もありますよ。

「エバーアフター」「プリティプリンセス」のような、王女、王子がでてくるような映画でも、女性のほうが強くなっています。

ある時期をさかいに、強い女性の映画が増えてきたように思います。
女性は守るべきもの、か弱きもの、なんて考えはふっとびましたね。
時代の流れによる世間での女性の意識の違いが反映されているみたいで、おもしろいですよ。
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この回答へのお礼

>時代の流れによる世間での女性の意識の違いが反映されているみたい

確かにその通りだと思います。
最近の映画はあまり見ませんが、これからはどうなっていくのでしょうね。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/07/31 21:23

こういうフィクションの話ではなくても、日本でも戦国時代には敗戦したほうの男は全員殺されますが女は残されます。

なぜでしょう?よく考えたら分かりますよね?

 洋の東西を問わず、フィクションノンフィクションに関わらず、女性を残すんですね。
で、私がそのときの為政者でもそうすると思います。
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この回答へのお礼

邦画はあまり見ないですが確かにそんなイメージありますよね。。

男は理想に死に、女は愛に生きるっていうか。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/07/31 21:22

自分も同意見ですね。


24のような刑事やCIAなどが主役だと女はいつも人質要員ですね。
ジャック・バウアーの妻・娘・妻の死後の恋人は全員足を引っ張りまくってましたね。
アウトロー刑事や、かつては有能だった落ちこぼれ刑事なんかが主役の映画も大抵、恋人あたりが人質になり銃を置かされてから犯人のモノローグが始まり、その隙に銃をはじきとばして最後は格闘戦という映画は山ほど見てきました。
あと犯人も似たパターンが多すぎですね。
大概、単独犯で機械に強く警察に事件のヒントを送ったりして自己顕示する。
昔の映画の悪役のような快楽殺人犯は最近みないですね。

でもガチ格闘で女が男に敵うわけがないのも事実です。
女の筋力と体重は男より劣っているのは男女差別だと神を訴えるわけにもいかないでしょう。
柔道やボクシングで男女を分けるのは差別だというようなものです。

まあ、そういう人は24とかを見ないでエリン・ブロコビッチやセックス・アンド・ザ・シティを見ればいいと思います。
わざわざ嫌いな分野の映画を見る必要はないんですからね。
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この回答へのお礼

確かに。と思って読まさせて頂きました。

>大概、単独犯で機械に強く警察に事件のヒントを送ったりして自己顕示する。←それでいて狙いは別にあったりしますよね。
昔の映画の悪役のような快楽殺人犯は最近みないですね。←クレイジーな敵役サイコが懐かしいですね。

24のキムは見事でしたね。あぁ~やっぱり~・・っていう。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/07/31 21:20

>>この映画のお決まりのストーリーと言うのは、アメリカ社会を男社会にしようとする企みでしょうか。

或いは男に役割を強制しようとする女社会の企みでしょうか。
 そんな奥が深いものではないとおもいますよ。単純にその方が売れるからでしょう。
 まず、テレビドラマをみれば分かると思いますか「お決まりのストーリー」というのは、視聴率がそこそことれるんです。いわゆる「ベタ」というやつです。
 叫ぶのが女性の声というのも、「キャー」という甲高い声のほうが、男性の「ウワー」とかよりも、響くからでしょう。音響効果も含めた演出に過ぎないと思います。
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この回答へのお礼

一理ありますが期待していた回答ではないですね(^_^;)
しかし、ありがとうございました。

お礼日時:2010/07/31 01:28

まず最後の2行の前提から突っ込まなければなりません。



アメリカは、日本人が思っている以上に、男社会な部分が多分にある国です。
みんながみんなとは言いませんが、保守的な男性年配者がいるような職種では、未だに女性の同僚は「おねーちゃん」「可愛い子ちゃん」と呼ばれることもあります。これは「仕事仲間として、対等であることを認めていない」という意図を少なからず表しているようです。どんなに男性と同じように仕事をこなしていても、その人にとって女性は「その辺のおねーちゃん」でしかないのです。

そして、そのスタンスは異性関係においても表れていますね。
アメリカにおいてモテる女というのは昔から今に至るまで「おバカで、自主性はあまり無い、男にとって都合のいい女」です。(例えばBritney Spears。彼女は典型的な「アメリカ男のマドンナ・恋人」みたいなものです。)その点は、ある程度自意識を持ったクールな女性がモテるヨーロッパとは大きく違う点です。


だからこそアメリカでは「フェミニスト」という概念や女性運動というのが未だに根強いのですね。
中東の「女性に不便な習慣や文化」にやたら過剰反応する様や、「生き残るのは、何故かカップルか女」というような描き方も、その「女性が下に見られている」というアメリカの社会実情の裏返しなのではないかと思います。(要するに、自らの国の抱えている問題を持ち出して、他国を振り回しているのですね。)


その点、日本では今となっては「女性の権利を」「男女平等」等と過剰に反応する人はめっきり減りました。
「女性が社会進出するか、自主性を発揮するか、頑張るか・・・は全て本人の意思次第」という社会状況が確立し、わざわざ声を上げる必要も無い共通意識になってきたからですね。
現に、最近は主婦として家に閉じこもる事を自ら望む女性は多いですね。「男と女、どちらが得か」という質問に迷わず女と答える日本人は、男女問わず少なくないと思いますし。
仕事において、女性を特別扱いするような男性がいようなものなら、その人の信用はガタ落ちするのは目に見えていますね。


・・・こう考えれば、water-さんのその疑問も一新されるのではないでしょうか。ご参考までに。
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この回答へのお礼

アメリカのレディーファーストだったりエスコートって概念は素晴らしいと思いますが、確かにその背景がやや気になるところですね。
日本の男女平等感(出世などはまだやや不平等な気もするが)は素晴らしいですが、確かに主婦志望が多いのは共働きメインのアメリカとは違い残念ですね。自己実現という点で劣っている気がします。
子供を産み育てることが自己実現となっているとも言えますが、人間なので種の存続だけでなく、社会的に自己実現しないと不十分な気もします。

芯がない質問なので、不明確なやり取りになってしまいましたが、長文読みごたえがありました。

楽しかったです。ありがとうございました(^^*)

お礼日時:2010/07/31 01:42

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