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アメリカにとって在フィリピン基地はどのような地位にあって、そこからの撤退に伴い、アメリカの世界戦略にどのような変化が生じ、何か補完するような措置をとったのでしょうか?

参考文献もあれば、ご紹介下さい。

A 回答 (2件)

 いくつかの要因が重なっています。



 基本的には、アメリカの対共産圏封じ込め戦略の転換です。

 フィリピンのアメリカ軍基地は、2つの重要な役割を持っていました。
 
1.第二次世界大戦後の冷戦構造の中で、日本列島→沖縄→台湾→フィリピンという防波堤によって、太平洋をアメリカの海として、制海権を保持すること。
2.ベトナム戦争の終了によって、ベトナムからアメリカの影響力が失われた結果、東南アジアの共産化を食い止める最前線基地としての役割。

 ところが1980年代頃から、ソ連・中国で共産主義が揺らぎ始め、

1、ソ連
1989年11月 ベルリンの壁崩壊
1991年12月 ソ連崩壊

2、中国
 改革開放経済路線
1978年経済体制の改革を決定すると同時に、対外開放政策も計画した。
1980年から順次、広東省の深?、珠海、汕頭、福建省のアモイ及び海南省に5箇所の経済特区を設置した。
1984年にはさらに大連、秦皇島、天津、煙台、青島、連雲港、南通、上海、寧波、温州、福州、広州、湛江、北海の14沿海都市を開放した。
1985年以降、長江デルタ、珠江デルタ、?南トライアングル(アモイ・泉州・?州)、山東半島、遼東半島、河北省、広西チワン族自治区を経済開放区として沿海経済開放地帯を形成した。
1990年、中国政府は上海浦東新区の開発と開放を決定し、一連の長江沿岸都市の開放をさらに進め、浦東新区を竜頭とする長江開放地帯を形成した。
1992年以降は辺境都市や内陸の全ての省都と自治区首府を開放した。さらに一連の年に15箇所の保税区、49箇所の国家級経済技術開発区と53箇所のハイテク技術産業開発区を設定している。

このように中国は沿海、沿江、沿辺、内陸地区を結合して全方位、多次元、広領域の対外開放構造を形成している。対外開放地区ではさまざまな優遇政策を実施し外向型の経済、輸出拡大、先進技術導入などの面で大きな役割を果たしている。


 このような、ソ連・中国の変化を背景に、クラーク空軍基地・スービック海軍基地の重要性が軽くなっていた状況で、基地の近くにあったピナツボ火山が大爆発し、両基地ともに大被害を受け、基地機能に大打撃を受けました。

 その結果、基地復旧に当たって、軍事的状況の変化を加味して、基地の役割を見直し、新たな機能も付け加えたり、不必要な機能の削除なども加味した基地機能の一新を行おうとしましたが、フィリピン側はそれを拒絶しました。(基地機能拡張に伴い、フィリピンはアメリカに対して、継続的な経済援助=実質的な基地使用料を要求し、アメリカは応じなかったようです。)

 結局、1991年11月、新たな機能を付加しないで復旧のみに巨額の経費を使うことに意味を見いだせず、ソ連・中国の軍事的脅威の減少を踏まえて、クラーク空軍基地・スービック海軍基地の返還に至りました。

 尚、フィリピンは東南アジア諸国連合(1967年8月成立)の原加盟国です。
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在フィリピン基地はフィリピンが東南アジア諸国連合に加盟する際に、加盟国の条件として外国の軍隊が駐留していないことが条件なので、アメリカは基地を撤収した。

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