第二次大戦の戦場において、日本兵とアメリカ兵に関するエピソードについて調べています。
敵国でありながらも、なにかそこに、人間同士の普遍的な心理のやりとりがあったのではないか、という視点で、国家としてのイデオロギーでなく、戦場・その現場で米兵と日本兵との間にどんな現象がおきたか、という具体的な事象を調べています。
例えば、私が資料をあさる中で読み知った中では、
銃撃戦の最中、やられた友軍の戦士の遺体を自隊陣営に引きずる間は敵兵は銃撃を中断した。それが終わった瞬間、銃撃を再開してきた。奴等も武士道精神がわかるのか?と思った。
自隊からはぐれ、迷い、ジャングルで遭遇した日本兵と米兵。互いに銃を構えるも、双方とも撃てない…。
etc…
このような事象そのものについて詳しい方、資料等ご存知の方、広く教授願います。
A 回答 (3件)
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No.3
- 回答日時:
太平洋戦争初期の話です。
巡洋艦「鈴谷」は敵輸送船と遭遇しました。巡洋艦と輸送船では結果が見えていました。
「鈴谷」からは「沈めるから船から退去するように」という警告が行われた後に返答が無く攻撃が始まりました。輸送船乗組員がボートで脱出を始めると、そのボートを攻撃しようとした部下に対して「撃っちゃいかんぞ」と艦長の怒鳴り声が響きボートへの攻撃を止めさせました。ボートが十分に離れた事を確認して、攻撃を再開し輸送船を沈めました。
輸送船乗組員が生還した事で、この事実が記録される事になりました。もしボートを撃っていたら、非武装の非戦闘員を撃つ事になり間違いなく戦犯です。
この頃は攻撃の前に警告をする余裕もありましたが、人道の指揮官もいました。
No.2
- 回答日時:
私自身の読書メモから、「米軍機に見逃してもらった例」と「敵軍の遺体に敬意を表した例」を紹介します。
元神風特攻隊員・浜園重義氏の体験談を『文藝春秋』(2008年何月号か失念)のエッセイ「翼を振ったカミカゼ」で読みました。
1945年4月、浜園氏は、爆薬を積んで国分基地から沖縄へと出撃しましたが、途中米軍機3機に遭遇、奇跡的に助かっています。
機銃で負傷しながらも敵3機の猛攻を30分以上しのいだ浜園氏は、燃料切れか爆薬切れか、何らかの理由で去っていく敵機の姿を見ながら、自分は彼らに命を救われたんだと、信じています。
それは、敵3機が三角編隊を組んで自機の方に直進してきたとき、浜園氏には抵抗する術はなかった、と言います。
「もうこれで終わりだと思いました。ところが編隊の先頭機は私の目の前で翼を振って急上昇し、他の2機も続いたんです。それを見た私も、バカじゃから翼を振りました。男同士で、命を掛けての戦いだったから、いつの日か決戦をしよう、そんな意味で翼を振りました」
米軍駆逐艦「ドレックスラー」の元搭乗員2名が浜園さん宅を訪れて、この体験談を聞いて
「翼を振ったのなら燃料切れではない。それは米軍機のパイロットがあなたに敬意を表したんです。まちがいありません」
と語っています。
映画「特攻/TOKKO」に出ています。
http://www.sakawa-lawoffice.gr.jp/sub5-2-b-07-17 …
次に「敵軍の遺体に敬意を表した例」。
下川耿史著『死体の文化史』を読んだ私の読書メモです。
http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-7872-3031-7. …
比戦線で激戦、米兵が白旗掲げて現れ山腹に転がった味方遺体を収容し始めたので自軍も真似た。途中で敵兵とすれ違ったが十字を切ってくれたのであわてて敵の遺体に合掌した、このショックは強烈で、米軍に投降するか、しないか部隊で激論したとき、自分は米軍を信じていたので躊躇せず投降。
(部隊名、地名などもう少し詳しく書いてありましたが、メモはこれだけです。)
No.1
- 回答日時:
今年WOWOWで始まった話題の豪華予算ドラマ、「ザ・パシフィック」の原作の一つにもなったユージン・スレッジ氏の「ペリリュー・沖縄戦記」が今は書店で平積みになっていたりして手に入りやすい状態です。
それによると、日本兵は米兵が負傷して味方が助けに行ったときも容赦なく銃撃を浴びせてきたそうです。だから、米軍も日本兵に対して決して容赦はしなかったそうです。
また、「生きて虜囚の辱めを受けず」としてきた日本軍は、そういった思想があったため「捕虜は恥」と考え捕虜にならない一方捕虜を取ろうともしなかったそうです。日本兵が捕虜を容赦なく殺すことを知っていた米兵もまた「決して日本兵の捕虜は取るまい」と思っていたそうです。
スレッジ氏によると、戦場ではそうした「むき出しの敵意」が蔓延していたそうです。
「戦場でも理性あるやりとりがあった」というのは私たちの願望であり、確かにそういうこともあったでしょうがそれは極めて例外だったのではないでしょうか。第二次大戦ではっきりと「虐殺がなかった戦場」といえるのは北アフリカ戦線だけだったそうです。これは、イタリア軍が主力であったことと関連しているかもしれません。
ただし、NHK特集によりますと米兵の戦闘参加率(戦場で敵に対して発砲した、つまり敵を殺しにいった率)は25%だったそうです。これが正しいなら、当時の戦闘は「やっぱり人を殺すことを躊躇する兵士が多かった」といえるのかもしれません。なお、この戦闘参加率は合理的であることを望むアメリカ人の努力によって朝鮮戦争のときは50%に、ベトナム戦争では100%になったそうです。
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