No.4ベストアンサー
- 回答日時:
個人的に演歌の起源には興味があるので調べてきました。
演歌という言葉が新聞でいちばん最初に使われたのが、現在確認できるところでは1964年12月の朝日新聞「来年は演歌ブーム?」という記事です。
ですのでこの時点では「演歌」という言葉が現在の演歌と同じ意味として一般でも認知されていた事がわかります。
それより昔だと「演歌」ではなくて、「流行歌の中の演歌調の曲」という表現になります。
「演歌調の曲」というのは今の「演歌」よりさらに狭い意味合いで使っているようで、1959年の読売新聞記事によれば水原弘や松尾和子などは「演歌調と正反対のジャズ調の曲」なんだそうです。「黒い花びら」は名指しで「ジャズ調」とされてます。なお同記事によれば「演歌調」の曲の起源は大正時代の「船頭小唄」だとしています。
さらに村田英雄、三波春夫、畠山みどりは「浪曲調」で、「王将」も「浪曲調」と1962年に読売新聞記事で名指しで書かれています。なお同記事では北島三郎の「なみだ船」を「演歌調」としています。
「演歌調」という言葉がいちばん最初に新聞で使われたのが、現在確認できるところでは1952年11月の朝日新聞で、12月発売の新曲、鳴海日出夫「島は国境の彼方へ」、春日八郎「赤いランプの終列車」を「演歌調」だとしています。
水原弘の「黒い花びら」をジャズと分類するのに抵抗ないなら、北島三郎や春日八郎が現在確認できる最古の「演歌調の人気歌手」の部類となり、「赤いランプの終列車」がヒットしたのは「お富さん」が売れ出してからなので、強引ですが春日八郎「お富さん」が「演歌ヒット第一号」となるのでしょうか。
でも春日八郎の全盛時代に「演歌」という呼称は一般的でなかったので、個人的には北島三郎「なみだ船」が「演歌ヒット第一号」にふさわしいと思います。
ただ「演歌調」という言葉を、そうした単語が使われていなかった時代にまでさかのぼって適用するなら、大正時代の「船頭小唄」が「演歌ヒット第一号」になります。
No.3
- 回答日時:
戦前戦後はレコードの歌は全部、流行歌でした。
それがロックやらポップスやら何やらいろいろ出てきて、ジャンルをひとくくりに流行歌とするのが難しくなってきた時に、いわゆる日本調の歌として仕分けされたのが演歌です。
春日八郎も舟木一夫も、全盛期は流行歌の歌手でして、演歌歌手というくくりではありませんでした。本人が公演でそう言っているのだから間違いありません。「赤いランプの」は発売当初はまったく売れず、後発の「お富さん」がヒットしたおかげで売れ出した曲です。今でこそどちらも演歌として扱われていますが、両曲がヒットしていた当時は演歌という言葉は石田一松とか大正時代のバイオリン演歌を意味した言葉で、「お富さん」を演歌という人はいませんでした。
五木寛之が演歌をもじって「艶歌」という小説を書いたのは1966年ですので、その時点で演歌という呼称がすでに使われていたのは間違いないですが、1965年の北島三郎「函館の女」のレコードの歌詞カードにはバッチリ、流行歌と書かれているので、この時点において少なくともクラウンレコードでは演歌という呼称をまだ使っていなかったようなのです。
ちなみに1970年の鶴田浩二「傷だらけの人生」も元のレコードに流行歌と刻まれてますので、これまたこの時点でビクターは公には演歌の呼称をまだ使っていない証になります。
1978年にはテレビ東京で「演歌の花道」という番組が始まっていますので、同時点では確実に演歌というジャンルは一般に認識されています。1977年には「演歌チャンチャカチャン」というヒット曲もあります。
各レコード会社が一体、いつから流行歌という呼称をレコードから外したのかさだかではないですが、流行歌が演歌になったのは1960年代から70年代にかけて、じわじわと変わっていったもので、ある日突然に演歌というジャンルが登場したという訳ではなく、演歌ヒット第一号というのは、はっきりわからないのではないかと思います。
No.2
- 回答日時:
「リンゴ追分」も「赤いランプの終列車」も後からの見解で、あれって「演歌」かな?って感じだったと思うんですね。
要するに、曲調がマイナーで男と女の別れを歌っています。「リンゴ追分」はひばりが15歳のときの歌です。歌詞の内容からみても、たとえば中学を卒業し、集団就職をした初恋の人をリンゴの花びら、自分自身をリンゴに例えて歌ってる気がします。
私自身の見解では、やはり演歌とは森進一あたりからじゃないかと思うんです。
この回答への補足
ありがとうございます。
ネットで調べてみますと、実質的な演歌第一号は
大正10年の船頭小唄とする説が有力です。
その後古賀正男が「影を慕いて」などで完成。
それが戦後に復活して、演歌と名付けられる。
演説歌と演歌は全く別なものなので、同列に扱っているウィキペディアは疑問です。
「演説歌が「フォーク」と呼称される」とかは理解不能です。
No.1
- 回答日時:
一般に演歌の始祖として、明治時代~昭和初期にかけての演歌師添田唖蝉坊(そえだあぜんぼう)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B7%BB%E7%94%B0% …の存在を知る必要があります。もちろん今の演歌とはまったく違うものですが、演歌師と呼ばれたのも彼が最初かもしれません。
また「オッペケペ節」で知られた川上音二郎もいました。演歌とは演説歌のことで、自由民権運動の一つであり、当時の政治を批判した(馬鹿にした・風刺した)歌だったようです。
昭和に入ってからは演歌と呼ばれるものは廃れ、流行歌って言葉に代わり・・・これが後には歌謡曲となるわけですね。歌謡曲をPOPSと演歌と分けたのはやはり昭和40年代になってからだと思います。
で本来の演歌はそのポリシーはフォークソングに変わり、曲調がマイナーで男と女の情念の世界を歌ったものが演歌とされるようになりました。
たとえば美空ひばりの「リンゴ追分」などは演歌ではなく叙情歌だと思いますし、「悲しい酒」は演歌ですね。「柔」は歌謡曲ですし、「真っ赤な太陽」はPOPSです。「川の流れのように」はどう聞いても演歌には聞こえませんね。なので美空ひばりは演歌の女王ではないわけです。彼女はすべての歌を歌いこなせる天才でした。
と、まあ、話は横道にそれましたが、今で言う「演歌」風な歌はもちろん戦前からありました。先ほど述べたように、曲調がマイナーで男と女の情念を歌った歌ももちろんありましたが、これが演歌の第一号って言うものはないと思います。
また、同じ理由で「演歌」ヒット第一号も、「演歌」という言葉が現在のような感覚で昭和40年代になってから出てきたものなので、どれが第一号かは判断しにくいと思います。
長々と書きましたが、たとえばウィキペディアの「演歌」を読んでみてください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%94%E6%AD%8C
この回答への補足
ありがとうございます。
ウィキペディアの「演歌」見ました。
戦後の演歌に限定すると、
1952年 「リンゴ追分」美空ひばり
1952年 「赤いランプの終列車」春日八郎
1955年 「別れの一本杉」 春日八郎
1955年 「おんな船頭唄」三橋美智也
1961年「王将」 村田英雄
このあたりが戦後演歌創成期ではないかと思います。
三橋美智也のウィキペディアには、
【昭和30年(1955年)に「おんな船頭唄」で演歌デビュー。】
とかかれてありますので、このころには演歌が流行りはじめていたのでしょう。
「リンゴ追分」が演歌でないとすると、「赤いランプの終列車」が戦後演歌第一号候補でしょうか。
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