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パスカルのデカルト批判について質問です。
センター試験のために倫理を勉強しているものですが、パスカルについて、参考書に以下のような解説がありました。

このように、無限と虚無の双方に広がる宇宙の中で、人間は最も弱い悲惨な存在ですが、同時に思考の力により宇宙全体をも包み込むことが出来る偉大な存在でもあります。
(中略)
パスカルは「私はデカルトを許せない」などと激しくデカルトを批判します。
パスカルは、無限の宇宙に対して人間の理性が無力なことを認識しています。
このため、人間の理性の力だけで絶対確実な第一原理に到達できるとするデカルトの考えを徹底的に攻撃したのです。


「宇宙全体をも包み込むことが出来る偉大な存在でもあります」
という記述と、
「パスカルは、無限の宇宙に対して人間の理性が無力なことを認識しています」
という記述が矛盾するような気がします。

どういうことなのでしょうか?

A 回答 (5件)

ご質問は、要するに、その参考書の記述は合っているのか、あるいは、ということですよね。


矛盾しているように読めるので、
1)読者の自分の読み方に問題がある。
2)参考書に問題がある。
3)パスカル本人が問題を持っている。

その部分の解釈ですが、??哲学史上の専門の意見は他の方に任せます??
1)矛盾をお感じになることについては、全く同感です。矛盾に感じるということは、正当なことのように思います。「宇宙全体をも包み込むことが出来る」と「無限の宇宙に対して人間の理性が無力」は相矛盾しています。「偉大な存在」と「最も弱い悲惨な存在」は矛盾していますが、見方に依ればという感じですね。
2)受験参考書というものは、微妙な問題でも、「正答」を決めているものです。即ち、出題するからには「あれかこれか」を確定しなければならないので、誰それの考えはこういうものだと、特徴を際立たせています。そこの記述は、間違いではないにしろ、??他の部分でフォローしているかも知れませんが??強調過多で、両者が立つ同一点を見難くしているように思います。したがって、参考書の記述は、受験用に記憶するに留めるべきでしょう。これはいいこととは思いません。本来なら云々、と言うのはやめておきましょう。
3)これは試験には出ないと思いますが、『パンセ』はキリスト教護教論として構想された断片の集成を柱としていますが、体系的著述にまだなっていない。加えて別のノートも含んでいる、したがって、内部に矛盾的な部分を持っていて当然でしょう。

で、「どういうことなの」?と突っ込まれそうなので、追加します。

デカルトとパスカルは、実年齢でも親子ほどの関係で、一度会って、パスカルはいい印象を持たなかったようですが、
デカルト??世知に長けている、宗教論争に巻きこまれるのを避けようと苦労した。
パスカル??繊細な感受性の持ち主だけど英才教育を受け理屈では誰にも負けないと自負している、特定の宗派に肩入れする。
二人とも数学・自然科学に関して大きな足跡を残しています。
と見ますと、パスカルの激しい言葉は、近い関係にあるからこそ出た言葉と読めますね。デカルトの開いた地平の先に出ようと、もがいている面がある、のではないでしょうか。

で、他の方の御意見も参考に、その矛盾に見える記述の解釈を??受験対策とは別に??、考えられたら如何と思います。
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難しいですが・・・



哲学を勉強したわけではないですが、文章からいくと、

イメージとして、科学などで実測不能な宇宙の果てや原子などのミクロの世界をイメージできるのは人間特有の技術であるが、その技術をもってしても所詮人間の脆弱な頭では絶対確実な第一原理へは到達できない、ということでしょうか。
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デカルトの述べる理性は、良識(ボンサンス)に基づき、その良識は人間に生まれたときからあらかじめ備わっているとの観点ですね。

これはカントの述べる「純粋理性」から「実践理性」が生まれるという考え方と同じですね。
一方、パスカルは「無限と虚無の双方に広がる宇宙の中で、人間は最も弱い悲惨な存在」と述べていますので「良識」あるいは「純粋理性」は考えていないということですね。
つまり、人間を神の子と考えるか、神と悪魔の中間と考えるかで「理性」の捉え方が違っているということかなと思います。
デカルトはより「純粋理性」に忠実であり、パスカルはより実践的(後天的)だったということでしょう。デカルトは仏教僧的でパスカルはより科学者的な発想と言い換えることもできますね。
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「無限宇宙に対して人間の理性は無力なことを認識しています。



つまり、個々の人間の理性では無限の宇宙を認識できないし、何もできない。
つまり無力だと言っています。

「宇宙全体をも包み込むことが出来る偉大な存在でもあります」

人間の持つ思考は宇宙全部を知ることができます。
例えば、地球の裏側にいる友人。その友人を思うことができれば、
その友人が思考の中で、どんなに遠くても存在しうるのです。
宇宙全体だって想像できます。


理性は広大な宇宙を認識できないし(無力であり)
思考はどんなに広大な宇宙であっても想像しうる。

矛盾はありません。

パスカルの「パンセ」の「パンセ」とはフランス語で「思考」という意味です。

デカルトは著書「方法序説」の中で「理性を正しく導き、もろもろの知識の中に真理を探究するための方法」を説いています。
つまり、論理や理性だけで広大な宇宙の真理を探究できると唱えたのです。

しかし、パスカルは個々のちっぽけな理性では宇宙全部を認識できない。
思考(想像)のみが広大な宇宙を感じることができると言っているのです。

さて、これはどちらが正しいのか。
それは大学へ行ってから答えを導き出してください。
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いくら頭のいい人間でも、女にはモテない、ていう話?


認識できる事と、それらを操作できる事(力)の間に、ギャップが
あるのは当然です。

(量子論的世界像において「有限的な存在性は認識により派生する
=環境は自我仮説に対する相補(ただし原理的根源にまで遡った)と
して生じる」という事において、「自己の必要として世界があるなら、
なぜ思い通りにならない」という反論がある。
その答えは、「『原理的根源にまで遡った』必要であって現象表面的
な肉体的自覚(=自己チュー的利己的欲求)の『必要』ではない、
そんな短絡的「自覚」が、本質的自我仮説の相補と起こす“自己矛盾”
として“ぶつかる”のが外的存在性だ」という事。
自己の生存の社会生命性の認識&量子的有限性の源泉の自覚化による
深い愛(他我化)に基づけば、その意思は予め宇宙の果てにおいても
充たされる)
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