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日本国天皇の歴史について教えて下さい。

高校時代に日本史を受講していないので、全くわかっていないのですが、
現在の天皇は、昔から血縁関係が繋がっているのでしょうか?

確か、南北朝時代とかあって、いろいろ天皇を奉られたりした時代があったと思うのですが、
その時代も踏まえて昔から血縁関係が繋がっているのでしょうか?

もし途切れていたり確証が無い場合、どの時代にどういったいきさつでそうなっているのか、
知りたいです。

歴史に詳しい方、ぜひ教えて下さい。

A 回答 (4件)

●初代~15代


日本の初代天皇は「神武天皇」です。しかし2代「綏靖(すいぜい)天皇」から、9代「開化天皇」までは「欠史8代」と呼ばれ、実在したのかどうかも疑われています。10代「崇神(すじん)天皇」が実在した最初の天皇という説もありますが、これも曖昧で、15代「応神天皇」がほぼ確実に実在した最古の天皇というのが今の有力な説になっています。


●『謎に満ちた天皇』継体天皇の誕生~
それから25代「武烈天皇」までは確実に血筋は繋がっています。ところがこの「武烈天皇」は18歳で崩御、後継となる子供もおらず、跡継ぎの事を何も指示せずに亡くなったので、時の大連(おおむらじ・朝廷の重臣)「大伴金村」は「応神天皇」の6世の孫に当たる人を越前国(福井県)に訪ね、皇位継承を懇願した人物が俗に『謎の天皇』とも呼ばれる26代「継体(けいたい)天皇」です。その後はずっと血筋は繋がっています。そして時を経て「南北朝時代」に入り、ここでまた、ややこしい話になってきます。


●南北朝時代
事態は、96代「後醍醐天皇」が天皇親政を復活させようとした事から始まります。鎌倉幕府を統幕させたは良いのですが、その後の政策がもう無茶苦茶で新政権は崖っぷちに追い込まれてしまいます。その過程において、統幕の最大功労者である、かの「足利尊氏」が離反してしまい、後醍醐天皇は吉野に逃れ「南朝」を開きます。一方の足利尊氏は「北朝」を開き、京都の室町に幕府を開きました。以後、南北にそれぞれ天皇がたつという、所謂「南北朝時代」が幕を開けるわけです。北朝が立てた天皇「光厳」「光明」「崇光(すこう)」「後光厳」「後円融」の5天皇は歴代の125代には加えられません。「北朝の天皇」という事で別表記されます。そして時を経て南朝と北朝は合一し、正常に戻ったというわけです。100代「後小松天皇」が合一後最初の天皇です。余談ですが、一休宗純(一休さん)は後小松天皇の息子です。


●~現在
この後は、正当な血筋が皇位を継承していき、現在の今上天皇に至っているわけです。

●戦後、突如、自称「熊沢天皇出現!」 = 下記のURLを参照にしてください。


この様に歴史を紐解けば、「継体天皇」の出現が一つのターニングポイントになる事は間違いありません。確かに皇族は皇族なのですが、今で言えば「遠い親戚」で、大伴金村が何故に越前国まで行って、皇位継承を懇願したのかも謎のままです。


長々と済みません。参考になりましたでしょうか?

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%86%8A%E6%B2%A2% …
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この回答へのお礼

長々どころか、非常にわかりやすく、ご丁寧な回答ありがとうございます。
こんな質の高いご回答を頂きまして、むしろ恐縮してしまいます。

初代天皇以降の流れが理解でき、
長年疑念だった学校で習った南北朝時代のお話も詳しく書かれていて、
とても気持ちが晴れました。

ありがとうございました、心より感謝いたします。


P.S.
余談もとても楽しめました♪

お礼日時:2010/08/21 01:18

短く端折って書くと、



1、正当な歴史書の日本書紀、およびその後の歴史書には、初代神武天皇以後現在まで、万世一系と書かれている。学校でもそのように教えている。

2、しかし、そこに書かれている(1)天皇自体の実在性に対する疑惑、(2)父子・兄弟などの系譜血縁への疑惑、の2点から、初代神武から今日までの継続はありえません。

神代の神武以後9代は架空想像の時代、
さらにその後も、跡切れがほぼ明白なのが、(1)継体天皇、(2)欽明天皇、(3)(新羅系の)孝徳天皇、(4)(百済系の)天智天皇、(5)(新羅系の)天武天皇、(6)(百済系の)桓武天皇
などで、継続が断たれているのもと思われます。

桓武天皇以後は、途中に室町3代将軍・足利義満の皇統簒奪疑惑などを挟みますが、ほぼ今日まで継続していると考えてよいでしょう。
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この回答へのお礼

ご親切な回答、ありがとうございました。
継続がない可能性が高い旨、良く理解できました。
ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/21 01:13

 答えにはなっていないかもしれませんが、天皇に限らず、われわれがこの世に生まれてきたのは、ずっと祖先からの血がつながってるんですね・・・当たり前の話です。


途中で誰かが途切れていたら、我々は今ここにいないわけです。

 で・・・天皇家の場合、その血縁関係がちゃんと証拠として残ってるわけです。
しかも、1500年ほどの系図がですね。
しかし、本当に初代神武天皇はいたのか?となると・・・もちろん天皇家も今存在してるわけなので、絶対に何万年も継続してるわけですが、第15代・応神天皇以降を実在確実とする説と第26代・継体天皇以降を実在確実とする説とがあるみたいです。

 で、ようするに時の為政者である天皇が自分の祖先の歴史を誰かに作らせたわけで、そこをどう見るかってことですね。「日本書紀」は720年ごろ完成しましたが、いわゆる神代の時代から第41代持統天皇までが書かれています。今上天皇は第125代天皇です。15代からにしろ、26代からにしろ、100代にわたって、その系譜が遺されているのは天皇家だけです。

 最初に書いたように、私達がいまここにこうして存在しているのは、我々も連綿と血を受け継いでいるんですね。
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この回答へのお礼

諸説あること、わかりやすい説明で十分に理解できました。
日本史をご存知の方からすれば拙い質問で申し訳ありませんでしたが、
ご丁寧に回答頂きまして誠にありがとうございました。

お礼日時:2010/08/21 01:10

まず, 記紀にある系譜上は全員つながっていることになっています.


一方, 歴史的にそれなりに検証できるのは推古天皇あたり (もうちょっと前を見ると欽明天皇とか敏達天皇とか, そこまではできなくもない) からで, そこからはまあつながっているといっていいんじゃないでしょうか (大体 3代もさかのぼると天皇にあたる). 異論があるのは天武天皇くらいかな.
そこよりまえになるといろいろあるところだけど有名なのは
・欠史 8代: そもそも存在しない可能性あり
・継体天皇: 応神天皇の 5世孫とされているが, 現在では「今の皇室は継体天皇から始まった」とする説が有力. ただし, 欽明天皇は (したがってそれ以降の天皇も) 系譜上 (母系を通じて) それ以前とつながる.
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この回答へのお礼

こんにちは。早速のご回答ありがとうございます。
大変勉強になりました。
ありがとうございます。

お礼日時:2010/08/21 01:08

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