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三菱創始者・岩崎弥太郎さんのことで・・・。
wikipedia で、岩崎弥太郎さんが、獄中で出会った商人から、算術や商法を学んだという話を読んだのですが、この獄中で出会った商人というのは、どなたなのでしょうか?
そして・・・弥太郎さんは、この商人に、お礼とかなさったのでしょうか?
なんだか気になるので、ご存知の方、教えて下さい!
宜しくお願いします。

A 回答 (1件)

あくまでもネット検索の範囲内でのお話ですが、



三菱グループ公式HPの三菱人物伝>岩崎彌太郎物語には、
「ひまつぶしに同房の商人から算術を学び、商売の機微を教えられた。
彌太郎の将来に大きな影響を与える入牢体験になったのだった。」とあるだけで、
残念ながらお礼をしたとかの記述はありません。

http://www.mitsubishi.com/j/history/series/yatar …

同様に、明治42年2月に出版された
『名流百話/渡辺斬鬼編/東京:文錦堂』内の
「岩崎彌太郎算術を獄中に學ぶ」
(125~126頁=72~73コマ目/87)の中の記述でも、
「偶ま商人某亦事を以て獄中に在り、彌太郎と室を同ふす、彌太郎乃ち
其商人に就き初めて算術を學び、大に通達することを得たり。」とあるだけです。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/778898/72

一方、大正3年に出版された
『岩崎弥太郎/山路愛山著/東京:東亜堂書房』内の
「(八)板面小僧岩崎彌太郎」
(54~55頁=38コマ目/152)の中の記述には、
「…此時丁度彼と同室した囚人に梁魚瀬郷(やなせがう/原文のまま)の樵夫(きこり)があつて、
十露盤の上手であつたので彼は獄中に居りながら日々其樵夫から算術を習つた。
以て彼の平然たる態度を見るべきである。
さうして或日此十露盤の教師と獄中で共に食事をした時に、彼は急に箸を止めて、
我、他日志を得た時には、此の盛甑櫃(もつそうびつ)に一杯の黄金を盛つて汝の好誼に報ゆるであらうと話した。彼は此約束を忘れず、後に至つて奮約を践み夥多の金を其樵夫の子に贈つたと云ふことである。…」とあります。

http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/950727/38

また、司馬遼太郎の小説では、弥太郎が牢の中で出会った服役者は、
太助という名の魚梁瀬村(現在:安芸郡馬路村魚梁瀬)の木こりで、
藩の専売品である木材を盗伐して大坂商人に密売した廉で捕縛されていた。
弥太郎は太助の商業教育に感謝し、
金持ちになったら小判を物相櫃に詰めて恩返しすると言い、
実際に後年、岩崎家が太助の子孫に夥しい金を贈って恩に報いたとある様子です。

http://critic6.blog63.fc2.com/blog-entry-242.html

あと、司馬遼太郎の小説の中での、太助自身の後日談としては下記URLを御覧下さい。

http://www.fusing.jp/yorimitsu/3-2-020523b.html

以上のとおりですが、私見としては、
算術を学んだ恩人即ち犯罪者ゆえに、
彌太郎自身の立場では恩人の名を公にする事は憚られたようにも思いますが
如何でしょうか?
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この回答へのお礼

わぁ~・・・ありがとうございます!!
回答がつかないので、諦めていました・・・。
なんだか、スッキリしました・・・。
本当にありがとうございます。

回答者様の、弥太郎の立場では恩人の名を公にする事は憚られたように思う・・・というご意見を拝見して、私は逆に、恩人の名を出すことで、その恩人が犯罪者であったことが公になることを避けたのでは・・・と思いました。

ちゃんとお礼をなさっていたのですね。
そんな律儀な人だったからこそ、運も味方してくれたのでしょうね。

ありがとうございました。

お礼日時:2010/08/29 18:26

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