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輪廻転生やスピリチュアルについてです

反対している方の意見も賛成の方のどちらの意見も理解できますが
今回は 賛成の方の意見をおねがいします*

わたしたちは何回も生まれ変わっているとします。
ですが
(1)最初に生まれた魂は どうやってうまれるのでしょうか?
神様から分裂したように うまれるのでしょうか(・・;)

もし神様からうまれたとしたら みんな最初は良い人(魂)のはずです
(2)なのに悪い行いをする人がいるのは最初の人生での選択分岐でわるい方を選んだからでしょうか?
だからカルマが生まれ、さらにそのあとの人生でも悪い行いを選択したため、いま現在も悪いままという感じなのですか

(3)みんなが心に平安な気持ちをもつためにはどうしたらいいと思いますか?

 

A 回答 (4件)

最初がどうかは聞いたことがないのですが、魂にも年齢があり、若い場合、色々な過ちを犯すと聞きます。



神様が絶対といえるかどうかは、戦争に正義があるかと同じくらい難しい問題ですね。

戦争においても、対局する2つの勢力があり、それぞれ正しいと思って行っている訳ですからね。

神の行いについても、それによってよくなった方からすれば良い神であるし、殺されるような酷い目にあえば、その神は破壊神とか邪神とかになるでしょう。

私は、生まれたばかりの人間が全てカルマを背負って生きてきていると思いますが、現世においてそのカルマが影響しているとは考えません。リセットされて初めからスタートするのだと考えます。
その人の行き方次第って事だと思います。それにカルマは影響しないと思っています。

平安な気持ちですか。
人は一卵性双生児であっても、その考え方は違うと認め合う事ですかね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
神とは 人を受け入れそして見守っていてくれてるものだとわたしは解釈しています。
良い悪いというのはそれぞれの人のとらえ方になってしまうでしょうね(><)

それと同じようにまた個人の個性があるからこそ戦争もおこってしまうのですね
正義とはじぶんも相手も大切にし、思いやることだと思いますが、その人の生まれた環境によってはどちらにも傾いてしまうし、また戦争により生活を補ってる人もいるでしょうから 何をもって正義とするのかは難しいですね

それらたがいの個性を認め合うこと(思いやり)が平安につながるというのは
とても 考えさせられる意見でした^^
ありがとうございました 

お礼日時:2010/09/03 11:18

創価学会員の立場で回答いたします。



1 人間の生命は始めもなければ終わりもない。無始無終です。死を迎えれば生命は宇宙空間に溶け込み、姿を消す。しかし、生命そのものは厳然と続いているのです。そして時期が来ると、再び具体的な姿を生じてこの地上に生まれてくる。そしてまた死を迎えて宇宙に溶け込む。これが永遠に繰り返されるのです。あくまで、その生命自体の動きです。したがって、神様から分裂するとか、他を介在するということはないのです。

2 永遠の生命の中で、人は様々な生命の傾向性を帯びてきます。例えば、怒りっぽいとか、感傷的になりやすいとか、自分中心であるとか、あるいは冷静沈着であるとか、人の世話をするのが好きであるとか、人によって千差万別です。悪行を行い、人を苦しめることによって喜びを感じる人も、永遠の生命の中で、そうのような悪しき生命の傾向を帯びてしまったのです。しかし、因果応報です。その行為によって、次の生において、自分がそういう行いを他からされて、苦しむことになるでしょう。

3 2とも関連することですが、心に平安な気持ちを持つ、そのためには宇宙根源にして宿命転換の大法・南無妙法蓮華経を実践し、仏界(仏の命)を自分の生命の中に現すことです。

「観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり」(観心本尊抄)と、日蓮大聖人は仰せです。「我が己心を観じて」とは「日蓮がたましひをすみにそめながして・かきて候」(経王殿御返事)である、大聖人書写の御本尊を信ずることであり、「十法界を見る」とは、妙法(南無妙法蓮華経)を唱えることです。御本尊を拝し唱題を重ねていけば、自身の生命の中に仏界を現すことができる。そして、悪い生命の傾向性も、良き生命の傾向性へと転換することができるのです。これを「宿命転換」とも「人間革命」ともいいます。

そうして平安になった生命の人間が増えれば増えるほど、社会はより良くなり、平和になっていく。これこそ、創価学会が目指していることなのです。

特定の宗教の宣伝みたいな回答となったことを、お詫びします。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
人の生命にはじまりもなければ、おわりもない このような考え方もあるのだなと
勉強になりました^^

因果応報はあるのでしょうね。。

平安、じぶんの心のなかに神様をみいだすとは素敵なことですね
じぶんの中に見出せば強くなれます、また暖かくなれます
そして人にも優しくなれます

それぞれ生まれた環境や個性はちがいます。なので見出すということに時間がかかる方も
いるでしょう

けどそれに気づいたとき 人は心に平安 心のゆとりを見つけることができるのかもしれません^^*
そういう人たちが増えていってくれるとよい平和が訪れるとおもいます

お礼日時:2010/09/03 11:53

まるで、仏教系の大学の試験のような質問です。

(ただし、神様の話は抜きです)
別にご質問者さんからベストアンサーを貰う必要はないけれども、試験だったら私は及第点は危ないかもしれませんね。こういう回答で、新興宗教(+スピリチュアル)系はすぐにバレてしまいます。スピリチュアルは、個人の思想であって恒久・公共のものではありませんから、その良し悪しは個人に依存するものです。仏教思想には、本来、輪廻転生自体を積極的に認めるものではありませんが、インド思想や仏教思想としては存在しています。

輪廻転生を言うのは、仏教やインド思想で、神様の世界とは結びつきがありません。神様の世界はあくまでも神様です。なお、仏教では、神様(デーヴァ)も輪廻転生があると言います。

>(1)最初に生まれた魂は どうやってうまれるのでしょうか?

まず魂(たましい)というのは、霊魂のことで、仏教の無我説では否定していますが、やがて死後の輪廻の主体として認められ、心と同じように考えられています。こうした思想は、インド人全体の持つもので、仏教では、上座有部に受け継がれました。

輪廻は、人の魂の最初を言及していません。三世(前世、現世、来世)があると信じ、輪廻(サンサーラ)の根本は、人の持つ「無明」であり「迷い」です。「業(カルマン)」は、単なる行為であり、悪いことも良いことも含めて、輪廻の原動力になります。それを、善業・悪業という言います。里見八犬伝の中に、「因果はめぐる糸車」という言葉がありますが、ひとつの力を与えると、糸車(輪廻)が回りだします。最終的な目的は「さとり」であり、輪廻からの脱出です。そのために、上部仏教では、ひたすら阿羅漢(アラハン)を目指すわげです。

>(2)悪い行いをする人がいるのは最初の人生での選択分岐でわるい

「因果説」というもので、古代インドで考えられた思想のひとつですが、本来は、合理的なものだったと言われます。原因があって、その結果があるわけですが、それに輪廻転生が加わることによって、エネルギーが時間を越えて作用するというように考えたものだと言われます。本来は、「さとり」に至るための「因」を行うことであって、それに、人の行為そのもの「業(カルマ)」が、結果として現われると信じたものです。

>人生でも悪い行いを選択したため、いま現在も悪いまま

善悪は、親鸞の思想の「悪人正機」というものもありますが、この「悪」の意味がまったく違います。本来、仏教の教えに従わないということであって、時代や社会が作った悪の概念とは違います。不幸の根源を求める時に、他律的・他罰的にするためで、自分の問題でありながら、過去の自分の問題とする責任回避と考えます。それと同時に、他者の悪業に対して、未来のその者の苦を想定するわけです。だから、現在の苦は、過去の精算で、それは、未来に繋がると考えるわけです。

>(3)みんなが心に平安な気持ちをもつためにはどうしたらいいと思いますか?

人は、衣食住足りて、健康な体を持ち、適度な人間関係を持ち、自分が死んでも、置き去りになることもない、という確信が出来れば、平和な気持ちにはなれるはずです。国が豊かなら人々は平和になれます。これは、本来、仏教が持つ社会活動性でしたが、次第に薄れてしまったようです。ただし、直接、政治に関与するということは、仏弟子はしてはならないとされています。

なお、キリスト教系の異端思想なのか神秘思想がかなり前からあるようです。こうしたものは非常に難解な思想ですから、なかなか理解しにくいです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます^^
とても哲学的で私は仏教などには詳しくないため理解がむずかしかったです。理解できてなかったらごめんなさい(;;)

輪廻転生の最終的な目的はさとりというのはわたしもそう思います。
過去、現世、来世でのじぶんの行いにより学びそして悟っていく

人はみなこの目的で生きてるのではないかと考えています

悪といってもその定義はひとつではないのですね。
考えさせられました

平安なきもちでいるために
豊かな国でも貧しい国でも みなが同じで支えあいができる国なら平和な心を持てるのかな
と思います。たがいを認め合い、思いあえると心にゆとりができるのでそれが平安につながるかなと考えました
あなたの答えどおり豊かな国で、支えあうことができたらさらによいのだと思います^^

お礼日時:2010/09/03 11:43

輪廻転生というのは仏法で、神や魂というのは神道です。

玉石混交、ごちゃ混ぜですので、仏法で回答します。

1、永遠を感得しなければ最初が理解できません。最初とは今です。神から生まれてません、両親から生まれてきます。何で?というでしょうが、これを理解すれば悟ったということになります。何でという間は悟っていないので修行が必要です。

輪廻は仏法ですので神の話はしません。これは釈尊からの戒めです。これも何故?でしょうけれど、同じ答えです。悟りはそれほど深いのです。

2、悪い道に入るは法律を理解できないからでしょう。悪いことをすれば捕まり刑務所に入るということが理解できないのです。当たり前のことです。カルマのせいにするのは屁理屈です。小乗仏教もカルマのせいにします。

また、神を信じる人はよく言うそうです、人を殺しておいて神が命じたと。テレビでもそういう場面がよく報じられますね。全ての仏教は神を信じますのでこれと大同小異ですね、

3、仏法修行をすることです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます
最初とは今。これは大きなことばですね^^

仏教のほうは詳しくありませんが、「わたし」という存在は今しかありえませんし、
この人生を有意義なものにするには
両親から生まれたことに感謝して 
じぶんの道を進み人生を充実させていくのがもっともなのではないかと思います。

お礼日時:2010/09/03 11:24

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