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今の日本って女性が男女平等を都合よく利用してませんか?

これをいうと『まだ差別がある』だの『時代遅れ』とかを主張してくる方もいると思うのですが、私はそういう風習があると感じます。そして、語気を荒げたい所で今の男と女の関係じゃ不平等が『 当 り 前 』と思います。むしろ不平等は女性側にも問題があるでしょって思います。

まず女性自身が仕事自体に男と同じだけの義務感がないでしょ?
女性では『専業主婦になって弁当を作ってあげる』っていうのが優しさとして感じられますが、男が『主夫になってパートで一生懸命家庭を支えてやるから安心しろ』って言って安心する女性はまあ・・・聞いたことがないですよね。それどころか冗談にすらならない仰天発言ですよね。理屈で言う男女平等なら別にそれも有でしょ。

それに、一般的に収入が低いであろうショップの店員とか芸術系の仕事が気軽に選択肢に出来て、どう考えても定年まで働けないキャバクラとか『とにかくやりたいことができる』環境ですよね。でも、それ以降は明らかに男に頼る気満々でしょう。

逆に男は同レベルの月給じゃ、結婚は難しくなりますよね。最近の晩婚化・未婚化が原因として男の収入が低いということが言われてます。さらに『バンドで売れたい』『芸能人になりたい』なんていって夢を追いかけていたらとんでもない話です。逆に女性がピアニストや芸術面を仕事にし、収入が10万以下でもなんら問題ではないですよね。


ですから、逆にいえば明らかに女性にとって生きやすい社会ですよね。

でも、女性に対して上記のような発言をすれば、残念なことに僕は駄目な男としてレッテルを張られますよね・・・。男として情けないだの都合の良いことは『男らしさ』という便利な言葉を多用し、一方で『平等』を謳う。

僕の言ってることっておかしいでしょうか?


実際に今は女性の方が住みやすいとかなりの書籍で伺えます。そのうちの一つとしてかなり共感したのが勝間和代さんの書籍で、勝間さんが女性の差別問題について、女性に対して男性への『庇護』の排除、積極的に女性への『独立心』を促していたのですが、やっぱりそう思うんだと思いました。
同じ書籍を読んだ方からしたら、今回の質問にもいくつか垣間見えると思うのですが、これは以前から僕も感じていたことで、上手く表現されてると感じましたので引っ張りました。

昨今でも女性が男性にもつ経済的に頼る傾向は、結婚する際の希望貯蓄の統計にしても明らかですよね。そもそも結婚は経済的に頼れることを前提にしている。こうなると仕事では差が付くのが当り前ではないでしょうか?


ちなみに、勝間さんの書籍には触れられてませんでしたが、よく女性が経済的に頼るというのを、そもそも社会的弱者であるから頼る構図になっている。とする人もいるでしょうが、ここは鶏卵になっちゃいますので、視点をちょっと他へ向けるならば、少なくとも今の10代後半~20代前半の女性が以前ほど社会的弱者の立場に置かれてるとは到底思えませんので、次世代では女性が男性に経済的に頼る傾向は、平等とともに無くなっていくことが当然になりますよね。
僕はそんな世の中になるとは到底思えなかったのでそれを前提に質問しました。結局女性差別が無くならない原因は都合の良いことに甘んじていると解釈できるんじゃないでしょうかね。

A 回答 (10件)

今の日本って女性が男女平等を都合よく利用してませんか?


していると思います。

ただ、このような議論をする際に、女性が意識的に(あるいは無意識に)混同させて議論を別の方向に持っていき、男性を混乱させるテーマもあります。まずはそれらを分けるべきです。

重要なのは、「結婚」して「子供」を授かった場合は、男性の負担と女性の負担は必ずしも同じではなく、特に授乳期から幼児期の子供に対する男性(父親)の負担はより経済的に、女性(母親)の負担はより保護者的になっていくことは必然であり、その点においては男性の仕事に対する負担は女性より重くなり、だから結婚に際して(子供を作る前提であるならば)女性が男性の経済的事情を斟酌するのは合理的である、という事実です。

問題はこの前提に立ったとき、保護されるべきは母性であり、女性ではない、というコンセンサスが男女間で異なっているという点です。
端的にいえば女性は「いずれ母になるのだから、男性より優遇されるべき」と考え男性は「仕事への扱いは同じなのだから、平等であるべき」と考えていることです。またさらに話がややこしくしているのが、キャリアを優先したい女性(だから仕事に対して平等であるべきと考える)と仕事は腰掛で結婚したい女性(だから女は優遇されるべきと考える)がいて、それが男性からはどちらのスタンスなのか分からない、また状況によって使い分けることです。
一番良い例が、キャリア志向だったのに挫折して「ああ、お嫁にいっっちゃおうかな・・」と考えるような場合でしょう。

私は基本的に、仕事への男女の能力の差はほとんどなく、その点については平等であるべき、と考えているほうですが、同時に(だからこそ)仕事に対する責任感が薄い女性を見ると腹立たしく思います。
特に、たとえばその人に与えられた仕事なのに「重いものは女性でもてないから男性がやるべき」などと公然と放言する女性が一番腹立たしく感じます。
男女平等思想の進んでいる欧米の女性でそのようなことを言う人はほとんどいません。なぜなら、そのような発言は「私にはこの仕事に対する任務遂行能力が無いのでクビにして下さい」と言っているに等しいからです。
欧米の男女平等は機会が均等である代わりに、義務も平等なのです。

日本の女性の一番の問題点はまさにこの点で「権利は平等」と主張する割には、社会や仕事に対する責任(または義務)を放棄し男性に押し付けている点です。

このような押し付けをする際のキーワードが「男性だから・・」とか「男の癖に・・」というセリフです。男性はこのような発言を許すべきではありません。

また結婚制度ももうすこし手直しするほうがいいでしょう。保護するべきは母性なのですから、子供のいる家庭には税の減免や保証を充実する代わりに、結婚しただけでは配偶者控除などのメリットは享受できないように改正するのです。
また、子供をつれている親に対しては、飛行機の搭乗などで行っているような優先措置をもっと広範囲に取り入れるべきでしょう。たとえばバス停で優先的に乗り込めるとか、スーパーで優先的にレジを通れるなどです。
こうすれば保護するべきは「母性(または父性)」であることが明確になり、逆に女性であっても社会人の属性しか持たない人々は男性とまったく同じ程度の優遇でよくなる、ということです。ああ親子連れサービスはあってもいいですが、当然レディースデーは廃止ですね。(経済的、マーケッティング的な有効性はここでは対象にしていません。あくまでも男女の義務平等だけの観点からの指摘です)

これからは「男女の権利平等」ではなくて、「男女の権利義務平等」と表記してもらいたいところですね。
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この回答へのお礼

非常にまとまっていて感心しました。ありがとうございます。

母性と女性の区別ですか。確かにそれには合理的根拠がありますね。多方面からの考え方に納得しました。
僕は今の世の中で職業までも女性と全く平等であれば、男は安定的に働くことが第一で、働けない人は不幸になっています。一方で女性は好きなことにチャレンジして失敗しても、結婚で男性が考えるリスクのほとんどが解決されるという大きな選択肢が出来てしまいます。
これは明らかに女性の方が経済的にも、生活的にも一方的に豊かになると思います。

ちょっと話がずれますが。
勝間さんは女性が独立しないことについて離婚のリスクの点から触れてましたが、正直それは僕たち男が会社に入っても倒産リスクがあるのと同じことですし、そもそも離婚には男にもリスクが全く無いわけではありませんよね。法的にも婚姻後の夫婦財産は2分割されますし。熟年離婚は女性主体と聞きますし。

確かに現在も男は仕事上有利は否定できませんが、そのために様々なチャンスを捨てているということには全く配慮されてません。実は僕も学生時代は芸術関係の仕事をしたくて切磋琢磨していましたが、やはり人生それだけではありませんし、その道は諦めました。このことに対しては、男は仕方がない等と一笑されて終わります。

何故か大前提として男は有利だから大丈夫という感覚があるような気がします。


私は女性が社会進出があるのと同時進行で男も主夫やパートが同レベルで浸透していくことが、一層平等になるんではないかと思うのです。

とりとめのない回答になりましたが、ありがとうございました。

お礼日時:2010/09/14 22:45

>不況の中、給与も少なくなり失業率も高いのに求められる経済的水準は昔を保っている。



その通りですね。
娯楽等はがまんすればいいのですが、教育費はバカになりません。
小学校など、昔は公立で野放し(笑)で問題なかったのが、地域によっては私立を選択肢に入れざるを得ない所もあるでしょう。


>むしろ女性の方が稼いでる状態が格付けとして恥ずかしいという風潮はあるでしょう。

恥ずかしいと思っているのは男性だと思うのですが、だとしたら男性は女性が自分より収入が少ないことを望んでいるのでしょうか。
真の理由は不明ですが、確かに女性の方が収入が多いとうまくいかないというケースをよく聞きますね。


>男女の差別問題は私は女性の方も意識的に歩み寄らないと決して進むことは無いと思います。

うーん、私はこれでもずいぶんと歩み寄っていると思うのですが…
つい最近まで、女性は結婚したら退社し、専業主婦になるのが当たり前でした。
私は40代なのですが、私が知る限り、私の母の世代の子供を持った主婦で、働いていた人はパートですら本当に少なく、正社員ともなるとかなりのレアケースです。
でも、今は共働きで、夫婦共に正社員というのも珍しくないですよね。


あと、男性らしさ・女性らしさって何でしょうね。
私は男性と同様の業務を行うことに抵抗はありません(能力が追いつかないという可能性はありますが)。
先に書きました通り、ファッションや化粧にあまり興味がありませんが、男性に歩み寄るというのでしたら、それでも問題ないと思います。
ですがもし私が男性並に業務をこなしていたとしても、化粧をせず、毎日同じものを着ていたら、女性として好意を持ってくれる男性は少ないと思うのです。
同様に、男性に家事能力を求めるのなら、いわゆる「女性的な細やかさ」も要求されることもあるでしょう。
でも、ナヨナヨした旦那は嫌!という女性も一定割合でいると思います。

うまく言えないのですが、異性が好もしく思うそれぞれの性の特徴を残しつつ、社会的な立場を同じくせよというのは、なかなか難しいものではないでしょうか。
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この回答へのお礼

>恥ずかしいと思っているのは男性だと思うのですが、だとしたら男性は女性が自分より収入が少ないことを>望んでいるのでしょうか。
>真の理由は不明ですが、確かに女性の方が収入が多いとうまくいかないというケースをよく聞きますね。

果たして一般的かどうかわかりませんが、僕は平等であるならそれで問題は無いと思います。まあ現在の経済社会を考えるなら、一般的には恥ずかしいと感じるんじゃないでしょうか。ただ、それは前提として、男の収入が男の平均水準にも満たないケースで且つ女性が女性の平均かそれ以上であれば恥ずかしいと思うんじゃないでしょうか?(女性が男性に求める期待収入差は置いておくとして)一般的を想像すると、男もそれなりに稼いでいて、女性がそれを上回っているケースでは、男も恥というより尊敬を感じる気がします。上手く言えませんが、結婚後は、本性が出るので男女はどこかで有利不利の辻褄を合せないと上手くいかないんじゃないでしょうか。それを考えると藤原紀香さんもそうでしたよね。陣内さんの女癖が悪かったようですし。結局人間的な思考は男女差は無いんでしょう。逆たまになっても男が男だから浮気は良いなんて言ってて上手くいかなかったケースということですよね。


>あと、男性らしさ・女性らしさって何でしょうね。

これは主観の要素が大きいので非常に難しいですが、性差の洗練具合じゃないのでしょうか。大きく言うなら男は強さや食糧確保、女性は優しさ、美貌じゃないんですかね。例えば想像すると、男が料理ができて気配りが出来るが、か弱くて可愛さが特徴の男は男らしいと感じるでしょうか。同様に女性がレスラー体質でワンマン社長の様な性格ならどう思いますか?ただ、世の中には様々な人がおり、男女関係にも色々な形がありますので、男が経済力がなくても、女が美しくなくても魅力的な人はたくさんいますので、ここでは文章のみを想像していただきたいです。

お礼日時:2010/09/18 14:45

あまりにも深く失望することがありましたので、再度書き込みします。



>私としては男が非常に生きにくい世の中になったと思えてなりません。(中略)、で不自由をしていると似てると言えます。

自由不自由についてですが、権利の裏には義務があり、選択の裏には責任が伴います。

自由に出来るのに「だから不便だ」と言うのなら、選択肢を制限してもらえばよいのです。男女の間でいえば、家長として男性が保護者となり、女子供はそれにしたがう。よって女性には男性並みの義務と責任を負わない代わりに、権利と選択が制限されるわけです。
イスラム教はまさにその世界であり、女性の中でも(アメリカなどで生活してアメリカ女性の自由さを知っていても)イスラムの肯定的に取られている方がたくさんいるわけです。
彼女たちは、権利の義務の関係性を知っているといえるのではないでしょうか。

ようするに日本の女性は、権利のつまみ食いをしたいだけで義務を果たそうと(果たすべきだ)とは考えていないわけです。

決定権についても女性の都合のよさが見受けられます。
日本は法治国家であり、国民主権です。すべての決定は国民の義務として受け入れることのがシステムの特徴ですし、内容が支持できないなら積極的に支持できる政党または政治家を支援することが求められています。ですから決定に関与はできますし、現に選挙に行くことで関与し責任を負っているといえます。

また女性専用車両は明確に「差別」です。なぜなら社会を構成するすべての男性に対して、痴漢予備軍であるとの懸念をしている、といえるからです。ただ、首都圏の交通事情を知るものとして現状での解決策という点では肯定せざるを得ない部分もあります。
ただし、あくまでも「男性側の善意」によって女性専用車両が支えられ、差別的な待遇を男性が負担している、という点を女性が認めなければ、抗議行動(たとえば女性車両に乗る男性の会など)がなくなることはないでしょう。単に「保護されていることが当たり前」ではなく、保護されている側の責務、に思い至る発想が女性側に求められているのです。

レディースデーについては、商業的に普通の優遇策ですので別にあってもいいと思います。ただ、本来「自立した女性」ならば、そのような「保護的な懐柔策」には、バカにするな!、と反発があってもよいと思います。
そもそも優遇策というのは、子供や学生・老人・外国人など社会的な基盤が弱く、自立していない人々に対して社会人と同等のサービスが受けられるようにするために行われるものです。つまりレディースデーを肯定している女性は自らを、自立していない弱者、であると社会に対して宣言していると考えたほうがいいと思いますし、社会の仕組みを知っている男性はそのように捉えます。
しかも、これだけ女性の社会進出が進んでいる以上、自立できない女性、など有り得ないはずですから、男性側の「女性の庇護意識」を強く感じるわけです。
ここが#2で書いた、女性の保護ではなくて母性の保護に絞るべき、という私の主張の根本なのです。

またレディースデーは肯定するものの、ではメンズデーや男性専門のサービスがあっても良いはずです。ところが1970年台のウーマンリブの時代に「男性優遇措置は女性差別だ!!」として、いろいろなものが廃止になって復活していません。
本来、女性はスマシ顔で「じゃあ、男性サービスもあればいいじゃん」とはいえないはずで、その反省も歩みよりもまったくありません。

現在の日本では男性よりも女性のほうが、「生きる方法」としての選択肢は多く、男性を頼って生きる方法でも肯定されています。
前にも書いたように、社会的なコンセンサスとして「男性に頼ってもいいが、社会参加はするべし」というものは日本にはありません。またまた欧米を引き合いに出しますが、大富豪の奥様方は仕事でお金を稼がない代わりに、チャリティーなどの催しを主催し寄付を募り社会的な不正義に対抗する活動をしている方が多くいます。普通の庶民について先に書いた通りです。

>経済的に平等にしようと思うなら男性に対する庇護の意識の排除を指摘はできませんか?
経済的な不平等は男性間でもありますし、世代間でもあります。問題はやはり「庇護の意識」のほうだと思います。
確かに仕事という点だけ見れば、女性に対する差別がなくなっていない、と見ることも出来ます。しかし逆に男性に対して「庇護の義務」が押し付けられている現状を解消しないとこれ以上の女性の社会進出はないと思います。かなりの男性が普段は口に出しませんが「もう無理、これ以上負担できない」と思っているからです。今はやりの草食男子は、そのように感じている父親世代(ちょうど雇用機会均等法のあたりから社会人になった人々)の不利を肌で感じているのだと思います。
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この回答へのお礼

色々と私が勘違いをしていたようですね。

私は女性専用車両については、特別車両を設けるより刑罰面、その立証性に焦点を当てるべきかと思います。その困難さを考えて簡易的に設けたような気がします。基本的に女性にのみ国が関与するということ自体が差別だと思いますので。あの当時は田代まさしの盗撮やな植草教授による痴漢などが話題になり、メディアもとにかく取り上げました。特別車両は法秩序より社会の要請を優先した形でしょうね。

レディースデーに対して勝間さんもphjさんと同じ方向性です。最近では直感的に女性が弱いですと答えているように意識されるようで、印象が良くないらしく実際に男女の視点に立った企業戦略が成功しているようです。


>「男性に頼ってもいいが、社会参加はするべし」

そうですね。日本女性は社会参加してるシーンは極めて少ない気がします。藤原紀香のように有名女優や人気アイドルが揃って選挙や主義主張を言っていけば、注目はされていくのかもしれませんが、殆どのケースがそうではないのが現実ですよね。どこのシーンでも誰もリーダーを引き受けないのは問題です。


>かなりの男性が普段は口に出しませんが「もう無理、これ以上負担できない」と思っているからです。今>はやりの草食男子は、そのように感じている父親世代(ちょうど雇用機会均等法のあたりから社会人に>なった人々)の不利を肌で感じているのだと思います。

この辺りは男も今後の課題でしょうね。もっと強く平等というべきなのかもしれません。

お礼日時:2010/09/18 13:59

>決定権については飛躍的でもなく我々にありますよ。



言われてみればそうですね、確かに決定権はありました。
ただ「代表を決める決定権」ですから、最終的な責任を取るのは女性とは限りませんよね。


>別に何処の国も戦争の責任が死刑なんて聞いたことがありませんので

ムッソリーニや東條英機の例があります。


>社会としては誰の目から見ても女性が自由ですよ。女性の方が社会的に生きやすいと思うのですがね。

自由=生きやすい ですか…

そのようなケースは多いと思うんですけど、選択肢が多いというのも逆に不自由なものです。
結婚式は、男性はいつも同じものを着ていても何とも言われませんが、女性はそうはいきません。
出費もかさみますし、誠に不自由なものです。
先にも書きましたが、化粧をしなければならぬというのも私にとっては不自由です。


>男の育児休暇を促さないのでしょうかね?

国は促しているようですが、女性が、という意味でしょうか。
ニワトリとタマゴの話になってしまいそうですが、まずは収入ありきだと思うんです。
まずは経済力という点で、女性も大黒柱になれる社会の実現が第一だと思うのですが、女性の社会進出は、まだまだ阻まれています。

「男性が歩み寄ろうとしているのに、女性が歩み寄ってくれない」
というのが、質問者さんのご意見ということでよろしいでしょうか?

だとしたら、女性側としては「歩み寄りたいのに、社会のシステムを作っている人(男性が多い)が垣根を作っていて歩み寄らせてもらえない」というのが本音です。
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この回答へのお礼

お答えいただいてありがとうございます。

私としては男が非常に生きにくい世の中になったと思えてなりません。不況の中、給与も少なくなり失業率も高いのに求められる経済的水準は昔を保っている。bari_sakuさんが女性は化粧で不自由と言われるのと男は仕事で不自由をしていると似てると言えます。

そういえば、世の中には女性でも高収入所得者が大勢居ますよね。その方たちは、普通のサラリーマンと結婚するでしょうか?中にはいるでしょうが、今の世の中を見てどう思いますか?昨今アナウンサーが結婚されてますが、プロ野球選手や名が知れた芸能人、社長が多いと思いませんか?確かに一般人もいますが、低所得者かどうかはわかりません。むしろ女性の方が稼いでる状態が格付けとして恥ずかしいという風潮はあるでしょう。

鶏卵というと
男女の差別問題は私は女性の方も意識的に歩み寄らないと決して進むことは無いと思います。社会・法律成立の手順はご理解しているでしょうか?我々が日々不満や問題、社会の要望に対して、選挙で選ばれた国会議員が審議し、多数決で決めるわけです。基本的に法システムとしては民意に反したことはできません。
ですから、法律も社会も民意に合わせて時代とともに変化していくものです。つまり民意無き法律や社会はありえない。
仮に成立させても機能しない。その民意にはもちろん男性も含まれている。ですから女性が歩み寄らないと当然男性も理解はできません。結果的にそのような法律は絵に描いた餅でしょう。

お礼日時:2010/09/17 00:50

>つまり女性も全く同じ決定権は持っていることになります。



ちょっと飛躍的な気がするので、こちらは賛同いたしかねます。
圧力をかけることは可能でしょうが、決定権はないと思います。

例えば国民の声におされて、とある国が戦争を始めたとします。
そして負けた場合、国民が戦争責任を取って死刑になるのでしょうか?否です。
責任を負うべきは、あくまで「そのような措置を決める決定権を持つ人間」なのです。

少なくとも、よくやり玉にあげられる女性専用車両やレディースデー料金については、この論理でいいと思います。


>一目瞭然で髪が茶色で長い人は少数派です。

なぜ少数派なのか、考えてみたことはありますか?
男性だからですか?違うと思うんですけど。
私は、男性のロン毛は大好きですよ。
と言いますか、長かろうが短かろうが、似合っているのが一番だと思います。


>男が女性を頼りにしても良い社会でもあることなんですね。

私もそうだと思います。
最初の回答とかぶりますが、産休育休の法整備がもっと進むことを望みます。
あ、あと給与の男女差のない社会を。
(勿論、仕事内容が同様であることを前提とします)

あと、女性専用車両やレディースデー料金ですが、男性のロン毛同様、こちらは「なぜそのような措置が発生したのか」の検証が必要だと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。お礼と称して質問を投じてしまっていますが。

決定権については飛躍的でもなく我々にありますよ。ただ一人の力が小さいだけで。現在は女性票の獲得を明らかに狙ってますから女性芸能人が出馬するんじゃないですか?田中真紀子なんて明らかそうでしたよね。政治だけでなく一般企業も女性を敵にするような発言をすれば瞬時に対策をとります。いつかの幸田クミもそうでしたよね。確実に言えることは女性の意見も取り入れないとまず何処の世界も上手くいかないようになりました。

まあはっきり言って今の選挙活動は、女性にとって美味そうな話題を振って、内心馬鹿にしてるとしか思えませんが。聖人みたいなことばかり言ってたら誰も票はいれませんからね。

戦争を例に出されてますが、別に何処の国も戦争の責任が死刑なんて聞いたことがありませんので、それを例えにするのはどうかと思いますが、経済的損失は国民が全て負担しているわけですよね。


身だしなみの自由度について
確かに差別とは別の風習から生まれるものかもしれませんが、社会としては誰の目から見ても女性が自由ですよ。女性の方が社会的に生きやすいと思うのですがね。少なくとも大衆としては。まあ私の感覚ですが。


後半部について
産休産後の法整備や給与の差が無くなるのは良いと思いますが、同時に、何故差別をなくすために、女性の社会進出の義務感や独立志向、男側の専業主夫、パート、結婚に対する貯蓄額の男女差そして男の育児休暇を促さないのでしょうかね?
経済的法的にのみ、同水準を希望するのに、貯金だけは頼ることは平等ですか?家、車、奢りなど様々なシーンがあると思いますが、なぜ男らしさが経済的になるのかという心理は、No.2さんが答えてくださりましたが、経済的に平等にしようと思うなら男性に対する庇護の意識の排除を指摘はできませんか?

ここが、すごく不自然なんですよ。男側は女性に対する不利な差別に前向きなのに、女性の男性に対する不利な差別は全く聞かない。当り前の事なんですがお互いが歩み寄らないと、僕みたいに不平不満が出ます。男性目線、女性目線それぞれ違いますので、両方の不満をしっかり理解して考えないと差別はなくなりません。逆に女性側も男性の不利な条件をもっと理解すれば上手くいくと思うんですがね。

お礼日時:2010/09/16 21:08

#2です。

お礼ありがとうございます。
他の方の回答も出ているようですので、気がついたことを補足します。

今回は「選択と義務」のことです。
男性は女性に比べて選択肢が少ないのが特徴です。原則として社会人になれば「仕事」する以外になく、子供を生むことはもちろん、主婦(主夫)になる選択肢も社会的に認知されているとはいえません。たとえば父子家庭と母子家庭における行政の福祉政策などをみてもそれは明らかです。(父子家庭には原則として母子家庭なみの補助がありません。一部市町村が独自に行っているところはあります)

ただこの「選択権」の論旨は、自分で選択したことについては自分で責任を負うこと、です。
非常に極論を出しますが、たとえば「子供を生むこと」に対して、女性は「子供を生むのは女性の権利」であると主張します。原則的に途上国などの多産問題は女性に対する教育(性教育と権利教育)が行き届いていないため「望まない出産」をせざるをえず、多産と女性の権利消失につながっている、という事実はあります。
しかし、現在の日本のように女性でも高等教育を受けられ、識字率などはほぼ100%、財産権など基本的な権利を保障されていて、なおかつ少子化している国では状況が異なります。
つまり、子供を産む権利、を女性が担保するならば「少子化の責任はすべて女性にある」とはずだということです。もちろん社会の情勢や経済情勢の厳しさはありますが、それでもたとえば就職などは「すべて個人の責任」となり補償がないわけですから、一義的に女性が責任を負ってしかるべき、はずです。。
逆をいえば、待機児童の問題や子供手当てなど、生むための条件を国(社会)が整えなんの憂いもなく生むことができる環境が整うなら、女性は社会の要請に答えて「生まなければならない」という強制力が伴うという覚悟が必要である、ということになるわけです。
つまり個人の選択は尊重されるが、選択には義務が伴う、ということであり、このような状況を社会が率先して整えるならば、権利というのは制限される(というか義務が優先される)ということをどのくらいの女性が認識しているかはなはだ疑問なのです。

#2で私が書いた「男女の権利義務平等」とは要するに社会に対してどのようにコミットし責任と義務を果たしていくか、ということであるともいえます。
元々個人はそれぞれ違いますから、大富豪の息子で働かなくてもよいような立場と、子沢山で両親とも働かなければならないような立場では、男同士、女同士であっても社会へのコミットの仕方が違います。
ですからそれぞれの立場でコミットしていくことが必要になるわけです。

このような社会へのコミット(社会参加)について男女平等の先進国である欧米ではどのようにしているかというと、たとえばアメリカでは「女性本人の社会への参加」が強く求められて、働いていない主婦・寡婦であっても何かしている、ことが求められます。そのなにかとは、ボランティアとか積極的なPTAへの参加などです。
PTAを例にとれば、小学校などの行事の際のお手伝い、寄付金の募集など保護者が行う事業は結構あります。普段仕事を持っている保護者(男女とも)は参加できない、または制限がある場合がほとんどですので、主婦の立場である母親(一部父親)が積極的に参加し運営することが求められ、事実そのようにして機能しています。
また普段社会参加への機会が少ない主婦(主夫)もこのような活動に参加することで、社会から白い目で見られないようにできるわけです。

これにくらべれば日本のPTAではどんなに時間があるお母様方でも押し付け合いをしているのが現状ですから、仕事をしている方に比べればいかに義務を放棄しているか、という観点での評価も必要になるのではないかと思います。

日本の女性は「言いっぱなし」で責任を負わず、すべて男性の責任「男のせいよ!!」といえばすべてすまされているのが現状ではないでしょうか。

また家事労働については、確かに共働きの場合いまだに女性の負担が高いことも事実です。しかし「家事労働を時給に換算したら・・」というような表現には疑問を抱きます。
なぜならお金をもらうということはその価値に見合うものを提供する義務が伴うわけで、主婦の仕事を時給換算するなら、旦那の満足度・子供の満足度とのバーターで競争原理が働くはずだからです。
「結婚」という公務員以上に解雇される恐れのない職業に顧客満足度はありえません。したがって時給換算には大きな欠陥があるといえます。

このように立場そのものを選べること自体女性優遇といえるかもしれませんし、その選択(仕事をすること・結婚すること・子供を生むこと)で発生する義務を負わないならば、女性は立場を都合よく利用してる、といえるのではないでしょうか
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この回答へのお礼

明快なご説明ありがとうございました。
『選択と義務』、なるほど。海外の例を使われていてとても説得力がありますが、それだけに言われた通り極端だと感じるシーンはありますね。


言われてみれば専業主婦に対して海外で時給換算したデータがありましたね。その記事では、非常に重要であるはずの計算構造が何故か載っていなかったため知りませんが、私もそれは酷い話だと思います。専業主婦というサービスはまず大きな役割は『家庭の管理』ですよね。その相手は夫(と子供)であるわけです。次にサービスを夫に提供しているということはつまり、『夫は客』という考え方が成り立つと思うのです。では、サービスの対価はどこから貰うのでしょうか?
極々当り前の答えですが、夫ですよね。
なぜ、対価を貰う相手より優先的に、時給が計算できるのでしょうか?
普通は客、つまり夫から流れてくるお金が家庭に流通する全てであるならば、その中で貨幣価値も生まれます。

それでは、夫の仕事の時給計算が1200円だったとします。ググってみると主婦の時給『882円』『1139円』が出てきました。しかもネットでは年中無休でちょっとした作業も仕事扱いとして加味されているということ。一方で僕たち社会人は勤務時間外に普段から勉強したり商品知識を付けようとしても評価はされません。会社での付き合いで飲みに行ったのは時給にもなりませんしむしろ減ります。
もう言うまでもないですが、仮に主婦をサービスとして対価を払ってたら完全に破産ですよね。しかも主婦の場合自分の料理や洗濯する時間全て仕事として賄える。

現実ではどれだけ良い物を作っても何かがズレて売れない社会があるのにもかかわらず、主婦のサービスは提供したものは全て完売で回収・保証リスクも無く貰える前提。この件に関しては、時給を持ちだすのに経済構造は無視という実にふざけた議論だったと思います。

そもそも直感で『時給882円や1139円は絶対にありえない』と皆がわかっているはずです。
それにもかかわらず、女性から(この場合メディア)は異論が全くありませんよね。ここからも都合の良さが伺えます。

お礼日時:2010/09/15 20:50

#1です。



仰ることはわかります。
女性が会社に戻れば、その分家事労働のしわ寄せが男性に行きますので、
そのしわ寄せをどこまで負担してもらえるかにかかってくると思います。

子供を持った女性ですが、現実はこんな感じです。
待機児童解消に、力を入れている自治体は多いと思うのですが…
こちらの質問の、私の回答をご参照下さい。

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6068491.html


>女性が仕事復帰する代わりに男が仕事を辞めて専業主夫という選択肢は

それぞれのカップルに向き不向きはあるでしょうから、専業主夫も
大いに結構だと思います。


この手の質問が出るたびにいつも思うのですが、

・不満があるのなら女性ではなく、女性優遇措置を決めた人間(男性に多い)に言うべき。
 決定権のない人間に、不満を言われても困る。

・女性に会社での労働を望むこと自体を間違っているとは思わないが、そのような男性は
 家事労働を完全折半することを前提としているのか?
 さらに家事労働は定年後も一生続くものだが、その自己負担は折り込み済みなのか?

という2点が気になります。

なお、

>女性の髪の毛の茶色やピアス、厚化粧は問題は無いのに、男は駄目。

質問者様の会社がそうなのですか?
社会人なら、業界のカラーで相当に差が出ると思いますよ。
少なくとも、男性の茶髪不可という所は結構限られてくると思います。

あと、女性は「化粧しなければならない」という不自由もあります。
私は化粧をした自分の顔が嫌いですし、化粧は皮膚呼吸ができなさそうなイメージがありますので、できることならすっぴんで会社に行きたいです。
化粧品代もかかりますし…不自由ですよ。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
ですが、ストレートに言いますのでどうかお気を悪くしないでください。
本当に貴重な意見として参考にさせていただいてます。


>不満があるのなら女性ではなく、女性優遇措置を決めた人間(男性に多い)に言うべき。
>決定権のない人間に、不満を言われても困る。

決定権を持ってるのは『社会』です。そして、その社会を構成するのは国民で、その満足を導くのが政治家です。政治家も私たちが選んでおり、選挙では女性票を得るために様々なことをしてますよね。企業も社会の構成要素の一つに過ぎませんので、女性差別をすることはマイナスになります。つまり女性も全く同じ決定権は持っていることになります。

>女性に会社での労働を望むこと自体を間違っているとは思わないが、そのような男性は
>家事労働を完全折半することを前提としているのか?
>さらに家事労働は定年後も一生続くものだが、その自己負担は折り込み済みなのか?

少なくとも私は現在主張されている平等とはそのようなものなのではないかと思います。当然上記は前提です。


>少なくとも、男性の茶髪不可という所は結構限られてくると思います。

いえ、首都圏勤務で色々注意して見て回ってますが、一目瞭然で髪が茶色で長い人は少数派です。確かに以前より大分マシにはなってきましたし、これは年齢層にもよるのでしょうが、若い人を見て回ってもそうですね。好みなのかもしれませんが、大学生と比べて圧倒的に少ないでしょう。元々茶髪が好きなのに黒にしているのは、やっぱり男は就職したらできないという制約だと思いますが。


なお、ちょっと私の主張したいことと逸れてしまいましたが、現在言われてる平等って裏を返すと男が女性を頼りにしても良い社会でもあることなんですね。少なくとも女性が自分の立場を平等というからには、自分が仕事をして男を養っていくかもしれない覚悟は必要だと思いますが(男は女を養うことを当然覚悟しているため)、現実問題、今はとてもそんなことを言える状況じゃないですよね?ただ、主張するところは待遇ばかりで、精神的なところは全く前面に出てこない。選挙で『これからの時代は女性が男性を養えるようにします。平等ですので覚悟を持ってください。』なんて言ったら、どっちの味方なのかわかりません。
ここに違和感を感じるのです。

お礼日時:2010/09/15 00:10

女性が男を利用しているのは確かです。



でも、それで構わないと思っています。
男女間、てそんなもんじゃないですか。

利用結構です。
大いにやってくれ。

男はそれに応えてこその男。

あの、野球の野村監督が言っていました。
「男の器は、自分の女の我が儘をどれだけ
 適えてやれるかで決まる」

これは、男女差別ですね。
でも、私は男女差別大賛成です。
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この回答へのお礼

まあ現在自分に有利に働く社会であれば今はそれでいいですが、そうでなくなったときにお互いが生活しにくい社会になっているということなんですが・・・。
ありがとうございます。

お礼日時:2010/09/14 22:47

男女平等社会。

思わず鼻で笑ってしまう立派な言葉です。

男と女は身体つきも、構造も、全部違う生き物なんです。だから初めから「平等」になるなんてあり得ないんです。

昨今の女性陣は「男女平等」「男女雇用機会均等法」等、自分達に都合の良い事は受けいれ、それ以外は受け入れません。「女性は弱い」を傘にしているのが、まさしく「現代社会に生きる女性」です。

電車や地下鉄には「女性専用車両」があります。男女平等を声高に叫ぶのなら、この車両に乗るなと私は言いたい。混雑した電車で故意に身体に触れたわけでは無いのに「この人、痴漢!」と大声で叫ぶ。痴漢にされた男は警察に連れていかれ尋問。しかし何を言っても信用してくれない。泣いている女性の言い分ばかり、きちんと聞いている。公共の乗り物は完全な「女性優先社会」で構成されています。冗談じゃない。だから痴漢冤罪が後を絶たないんです。

胸の谷間が見える服装、超ミニをはいて美脚?を見せて歩く女性達。自分の身体に自信があって見せたいから、そうゆう格好をする。しかし、男がチロチロ見れば「何よ、このオヤジ」みたいな目でにらみつける。そんな目で見られたくないなら、そんな服装をするな。すっごい矛盾。

レディースデイはあるけどメンズデイは無い。何で?

書けばきりがありません。田嶋陽子というバカな評論家がいますよね。あんなものをテレビの評論番組に引っ張り出すテレビ局の意図が解からん。あいつが声高に「男女平等」を叫んでいるから、世の女共は同調し、いい気になる。冗談じゃないよ。

今の日本は「女が有利で男には不利」な社会です。知ってます?風俗、特にデリヘルで働く女性、男の従業員はどれだけ年上であろうが、みんな敬語で喋らされているんですよ。チャラチャラした世間知らずの小娘に対してでもですよ。タメ口なんか効こうものなら、性格の悪いやつはそれを店の上司に報告するんです。そいで、運転手の男はガッツリ怒られるといったアンバイです。

男が住みにくい社会になったもんだ。お~やだやだ。
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この回答へのお礼

法的・社会的には男の立場が強いですが、こと人間関係にしたら女は恐ろしいですよね。

私も女性専用車両に違和感を覚えます。何故完全にわけないのか?ということです。トラブルの元になるのですからトイレのように男・女を分けるべきでしょ。
ですが、実際の社会はいきなりクッキリ分けるのではなく、この辺りで妥当としましょうというように、納得出来る点を探りますよね。
この結果が、女はどこでも自由。男は不可侵です。
明らかに不自然ですよね。

女性の髪の毛の茶色やピアス、厚化粧は問題は無いのに、男は駄目。
男女平等が滑稽ですよねw

ありがとうございます。

お礼日時:2010/09/14 22:57

まあ、女性には妊娠・出産・育児という任務があるので、「仕事自体に男と同じだけの義務感がない(というよりも“男性により”持たせてもらえない)」は、仕方ないんじゃないでしょうか。



妊娠・出産となると、嫌でもキャリアを中断されますし、子育て中の女性というのは、労働者としてはどうしても質が今一歩劣ります。

でもそれは子供がいる以上仕方のないことであり、何よりも本人の資質とは無関係なので、育休・産休の制度がもっと整備されれば、だいぶ変わってくると思います。


現在でも、子育てしながらバリバリとキャリアを積んでいる女性は確かにいます。

ですが割合としてはごく一部、割合としては「奥さんが専業主婦もしくはパートである男性」よりもはるかに低いと思います。

この2つが同率くらいになれば、性差を理由に甘えることはできなくなると思います。
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この回答へのお礼

確かに女性は妊娠・子育ての面はありますよね。
でもキャリアの中断は産前産後合わせて1年半。今では法律も整備されてる上に、子育てもベビーシッターや保育園もありますし、道は色々ありますので、あとはどれだけ子供か仕事に焦点を置くかどうかという問題で、職場を中心に置くと言うならば問題ないのではないでしょうか。とはいえ、人には様々な方針もあり、子育ては人生の中心という価値観にもなりますので、そういう人には労働との両立は難しいかもしれませんね。

私が思うのは女性が仕事復帰する代わりに男が仕事を辞めて専業主夫という選択肢は生まれないのかどうかという点にもあります。

ありがとうございます。

お礼日時:2010/09/14 22:24

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