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日本は、なぜ日露戦争、日中戦争に勝てたのでしょうか?
その当時から、無理と言われてたみたいですが。

それと、アメリカのB29などは近代的な形を
してましたが、日本のは少し古い形してるように
おもいます。それは、経済力の違いだからですか?

また、当時に日本の戦闘機の素晴らしい所はどこだったのですか?

A 回答 (5件)

日清戦争に関して言えば、当時の清国が制度的に老朽化しきって


いて、明治維新を終え近代化の道をひた走る日本に対抗できる
軍事的実力がなかったからです。

日清戦争で日本と戦ったのは、海軍を除けば正規軍というより
当時の清国政府の実力者であった李鴻章の私兵みたいなもの
でしたしね。

参考URL『そうだったのね!日本史』-日清戦争、下関条約、三国干渉~陸奥宗光~
 http://ww1.tiki.ne.jp/~i-mitu/nissin.htm


日露戦争といえば、これは国家の浮沈を賭けた総力戦でした。
戦費がない、兵隊の数も少ない、艦隊の総数でも負けている
状況で、よくぞ勝てたものです。
実際は勝ったといっても、本当にこれ以上戦争が継続できるか
どうか瀬戸際で、何とか講和に持ち込めたからでした。

参考URL『そうだったのね!日本史』-日露戦争その2・開戦後~児玉源太郎~
 http://ww1.tiki.ne.jp/~i-mitu/nitiro2.htm


まぁ私があれこれ言うより、上記のHPをじっくり読むとか、
故司馬遼太郎氏の名著である『坂の上の雲』を読んだほうが
理解が早いかと思います。

参考URL:http://ww1.tiki.ne.jp/~i-mitu/
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
日露戦争がもう少し長引いたら
負けてたかもしれないのですね。

運も大きかったのですね。
さすが、神の国ですね。

お礼日時:2003/08/04 19:15

勝ち負けと言うのを、どう判断するかなんですか・・・


無条件降伏が負けってことなら、清もロシアも負けてないです。
無条件降伏は柔道で言えば、1本負けにあたるんであれば、日清日露戦争は有効、効果を取って、優勢勝ちってところです。
この戦争で、相手を無条件降伏させることは初めから、無理であるとわかっていたことなので、始める前から終戦の模索をしています。
それほど、明治の人達は、戦争についてビジョン持っていながら、昭和になると、米国とどういう形で終了させるか、ビジョンなしで開戦したことは、同じ日本人として不思議ですね。

航空機に関して言えば、昭和16年当時は日本の航空機は世界水準のトップでした。
速力、航続力、どれをとっても、世界水準を凌駕してます。
ただ、開戦後はその開発力に差が出て、米国に抜かれてしまいましたが・・・

戦闘機ですが、零式艦上戦闘機、その後の烈風、紫電改と、その役目について言えば、米国のそれとそんな遜色はないのですが、いかんせん数量が足りませんでした。
それと、パイロットの技量もその練度が低いということもあります。
B17~29と続く戦略爆撃機は、米国の国力(開発力、生産力、産業の裾野の広さ)が生み出したものでしょう。
尚、塗装は重量軽減のためではなかったと思います。
塗装は元々、カムフラージュのためで、下は灰色(空の色)上はモスグリーン(海または森の色)ってなってます。
B29やP51は高高度(1万メートル)を飛ぶことが可能だったので、カムフラージュの必要がなかったからだと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
日本の場合、賢いといったら賢いように
聞こえますが、そうでないようにもきこえますね。

日本の戦闘機はよかったのですね。
なんとなく戦艦にイメージが強いですが。

お礼日時:2003/08/04 19:11

日清・日露戦争はどちらも国内で問題を抱えていたために、終戦を迎えただけです。


日露戦争では、戦時賠償は0で、外交的には日本の負けとされています。

日本の戦闘機は、他と比べて操縦性に優れているといわれています。逆に速度の点で遅れを取り、格闘線では強いものの、一撃離脱方式に切り替えた戦法に対抗でき無きなっています。
あと、軽量化のために塗装をしなかったのはアメリカで、B29やP51があります。
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 日露戦争の場合は、ロシアが疲弊していたからです。

クリミア戦争・シベリア鉄道の建設・満州や朝鮮への進出などで、かなり疲弊していました。なのに、第一次世界大戦にまで首を突っ込んだ結果、ロシア革命が起こりました。

 日中戦争については、日本は勝ったんですか?私はそうは思いません。特に、国共合策のあとは、泥沼化して行っただけのように思います。

 B29について、近代的とか古いとかの判断は、主観の問題でしょう。しかし、あの当時、あれだけの飛行距離や攻撃力を持たせることができたというの、やはりアメリカの経済力や技術力の賜物だったでしょうね。

 日本の戦闘機(零戦)の優れたところは、俊敏な動作ができることです。そのために、軽量化にはずいぶん努力したみたいですね。軽量化のために、塗装しなかったというのは、けっこう有名な話です。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
日露、日清ともに相手は戦争している
場合じゃなかったみたいですね。

お礼日時:2003/08/04 19:07

日中戦争には勝ってませんよ~。


日清戦争のことですよね。

大きな要因としては、清もロシアも日本と戦争している最中には国内での問題が山積していたため、負けたと言うよりも、とっとと講和に持ち込みたかったということがあるでしょうね。(逆に、そういうところを突いた日本の政略が功を奏したともいえますが・・・)

B29については、同時代の他国の爆撃機を見てみれば分かりますが、B29だけが突出して超近代的な設計思想と技術が反映されています。
日本はおろか他の国でも、米国であってさえも、当時ではB29に比べれば古い印象を感じるはずですよ。
(あくまでも実戦配備された爆撃機の範疇での話ですが・・・)

日本の戦闘機については、機種によって特徴も様々ですから一概にはいえませんね~。
有名な零戦については、坂井三郎氏が「航続距離の長さ」が素晴らしかったとインタビューで語っていますね。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
日清戦争ですね。
日本と戦争をしている場合じゃなかったのですね。
B29は特別な存在だったんですね。

お礼日時:2003/08/04 19:04

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