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1960年代~1980年代の各映画会社の大部屋俳優について尋ねます。

松竹、東宝、東映、日活、大映、新東宝とあった中で各社それぞれ個性的な端役専門の大部屋俳優がいました。
その中で東映、日活/にっかつ、大映について特に聞きたいのですが、

(1)東映と大映のみ東京と京都に撮影所をそれぞれ持っていましたが、それぞれの撮影所に専属の大部屋俳優がいたのでしょうか?又助監督については各社どうだったのでしょうか?

(2)東映で仁侠映画/実録映画で活躍した端役の俳優で気になる方は?私はニョッキリ前歯の沢田浩二が結構目だっていた印象がありますね。

(3)日活/にっかつは1970年代から1980年代のロマンポルノ路線時代、助監督を毎年定期的に採用していたほか、大部屋男優も少しだがいたそうですがこの点について知っている方教えてください。

(4)さすがに今は各社大部屋俳優なんていませんよね?

A 回答 (1件)

1970年代頃までは、日本映画の製作配給会社は


専属契約が基本でした。つまり、出演しようが
オフであろうが、「給料」をもらえました。
つまりこの維持費が大変なので、スタッフ
キャストともに、契約フリー、になりました。

(1)いました。助監督も当然いました。

つまり、基本的に、配給会社は、映画製作を
できなくなり、製作を委託することになり
スタッフ、キャストともに専属にする
必要がなくなったのです。

大部屋というのは、週2本立ての公開を
間に合わせるためにあった時代のこと。
当然、ないでしょう。
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この回答へのお礼

有難うございます。

まあ、そうだったでしょうね。大映は1971年に潰れてしまい、籍があった俳優(勝新太郎?)やスタッフ(増村保造監督など)はフリーになったんでしょうが、東映はまだ業績好調でしたから各俳優(高倉健、菅原文他など)やスタッフ(鈴木則文監督、山下耕作監督など)もまだ抱えられていたでしょうね。

因みに東映の「ピラニア軍団」と言うのも東映が俳優の専属制度を止めた頃と前後して自然消滅したのでしょうか?

お礼日時:2010/09/22 22:08

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