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犯罪の容疑で人が逮捕されるとテレビのニュースでも実名と顔写真が出ますよね。これもし誤認逮捕、無罪、不起訴だったら取り返しのつかないプライバシー侵害だと思うのですがみなさんはいかがお考えですか?

確かに、現在の裁判での有罪率は99%ですが無罪判決もわずかながら存在します。また逮捕されても嫌疑不充分・起訴猶予で不起訴となる場合もあり、また誤認逮捕でニュースとなる場合も現実にあります。

それが、逮捕された者としてテレビで顔写真が出ると、憲法31条で有罪判決が出るまでは無罪推定が及んでいるにもかかわらず視聴者は「この人が真犯人だ」と思いこむのではないですか?
その一方で逮捕段階で実名・顔写真をテレビで出す必要性って何だと思われますますか?もちろん、事実として逮捕された者が真犯人ならよいかもしれませんが、無罪等であればプライバシー侵害は著しいと思うのですか。犯罪の重大性、テレビ局の独自調査による嫌疑の濃さ等ケースバイケースでテレビ局が判断するならまたよいでしょうが、おそらくそんな判断してないですよね。
しかも、近年のハイテク化によって警察は逮捕した者の行為が犯罪に該当すると判断しても裁判所は犯罪の成立を認めないなんてこともあろうかと思います。
みなさんいかがお考えですか?

A 回答 (7件)

> 逮捕された者としてテレビで顔写真が出ると、憲法31条で有罪判決が出るまでは無罪推定が及んでいるにもかかわらず視聴者は「この人が真犯人だ」と思いこむのではないですか?



 「視聴者が真犯人だと思いこむからやめるべきだ」とおっしゃっているように読めますが、それは違うのではないでしょうか。少し大げさにいえば、「性犯罪を助長する恐れがあるから、女性はみんなブルカをかぶれ」といっているようなもので、もちろんこれはイスラム社会においては正統な教えですけれども、とても人権を尊重しているとは、少なくとも私には思えません。

 報道機関が実名報道を基本にしているのは、原理的には、警察を監視するためです。つまり、「誰を何の容疑で逮捕したのか、明らかにさせる」ためです。警察に対してこうしたチェックを行わないと、ある日突然、私が身に覚えのない容疑で逮捕され、あげく拷問されて殺されたとしても、誰もそのことに気付かない可能性が出てきてしまいます。まさか、と思われるかも知れませんが、戦前、共産主義者に対する弾圧は、まさにこのようにして行われていました。
 お上ににらまれないようにすればいい、と人々が考えるようになれば、それはもはや、自由な社会ではありません。つまり、実名報道は、間接的に、自由な社会を守る機能を果たしている、とも言えます。
 ですから、実名報道は、刑事法上の「無罪推定原則」などとは全く別の次元のお話ですし、社会的制裁という言葉も、確かに報道されることで様々な被害を受けることはありますが、それは仮に実名で報道されなくとも、日本的な社会においては残念ながら生じてしまう被害です。長崎の幼児誘拐・殺害事件で、逮捕された少年の家族がどういう状態にあるかを知れば、頷いていただけることでしょう。

 もちろん、最近の報道人は、余りそういうことを意識していないようで、行き過ぎた報道が行われることも少なくありません。それでも、「誰が逮捕されたか分からない」社会よりは、ましではないかと私は思っています。実際、刑が確定した後は、その人の名前は通常二度と新聞に出てきません。(再犯した場合でも、前科を出されることは通常はありません)以上述べた事実は、実名報道が、何の社会的利益も考えずに行われているのではないことを、端的に示しているのではないかと思いますが、いかがでしょうか。
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こんにちは。



容疑者の実名と顔写真を公表することの社会的利益は何であるのかを論理的かつ科学的に説明することは不可能でしょう。そのような利益など全く無いのですから。

社会的な地位が高い人物が容疑者となった場合には実名と顔写真の公表は必要ですが、いかに重大な犯罪であっても「一市民」の実名と顔写真の公表は全く必要ないと考えます。少なくとも裁判が結審するまでは公表すべきではない。容疑者の顔や名前を知りたいという感情は単にデバガメ的なものに過ぎず、事件の内容と背景が判れば充分ではないでしょうか。

質問者さんがおっしゃるように、「容疑者」の段階では「推定無罪」がマトモな民主法治国家のあるべき姿ですが、逮捕イコール犯人としてしまうマスゴミ(誤字ではない)の報道は“報道する側の利益”(売り上げや視聴率)以外の何ものでもないでしょう。
そもそも、「容疑者」を“リンチ”したところで犯罪が減るわけでは全くありません。(死刑制度のこの国で犯罪が増加してるのはなぜかを考えれば判りますよね。)
また、裁判所は世論に押されてしまうことが間々ありますので、全幅の信頼を置くことは出来ないです。

最後に、
 >現在の裁判での有罪率は99%
の根拠は知りませんが、「冤罪」は必ず存在します(ロス疑惑、松本サリン事件その他その他)。
ロス疑惑の“元”被告は、犯人視報道をした新聞社、週刊誌発行元を名誉毀損でいくつもの訴えを起こしましたが、ひとつの訴訟で得られる金額はせいぜい40~50万円。「日本人の名誉」はずいぶん安いもんだなあ。
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質問者の方の意見とほぼ同意見ですが、実際には顔写真や氏名が出ている場合には、警察は犯人であることにつき相当の自信を有していることの表れである場合が多く、その点からも誤認は少ないと考えられます。

しかし、誤認逮捕であった場合の逮捕者の人権侵害は著しく、回復し難い損害を被る可能性が高いですので、やはり実名報道については自粛するべきと考えています。

逮捕状が裁判所の慎重な判断によって発行されているという部分についてですが、ここの部分は誤りで、裁判所の逮捕状発行手続きはかなりいい加減ですし、そもそも逮捕状の発行につき、有罪かどうかを確認するほどの審査能力は裁判所にはありません。逮捕状に有罪を推定させるだけの機能がないにも関わらず、マスコミ等の報道により逮捕状が出ている=有罪であるという心証が一人歩きするようでは犯人とされた方の人権保護には薄いと思われます。

それにマスコミ側は実名を報道しなくても報道の目的を達成することができるのですから、尚更実名報道の必要はないでしょう。
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そりゃぁ、拘束されるにも段階があってさ、任意同行とか、逮捕とか・・・。



警察は、逮捕に踏み切るときには、ある程度、証拠を集めて逮捕状を取るために、慎重にやるわけであって、それに裁判所が慎重に逮捕状を出すわけであって。

そこに「報道に値する信憑性がある。」ということだから、いいんじゃないのかなぁ。

間違った報道をすると、間違った報道をしたメディアの信頼度は落ちるわけだし、その面でも慎重に報道しているはずだし、そのために努力していると思う。

司法上、1つの事件に検察が上げる容疑者は唯1人(複数ならば複数、または複数のグループ)であって、間違った人をつかまえて起訴して無罪となった場合、検察と警察の捜査は、やり直しをしないことから考えると、容疑者の信憑性うんぬんを、司法の決定以前にマスコミが公表するということに関しては、仕方ない事だと思う。

最近は、精神的な異常のあるなしには慎重になっていると思うし。

後は、司法の仕組みが、「常に、万全に近づいている」ということを祈るのみ。

それとも、あなたの決断が全部今まで正しかったといえる証拠でもあるのかい?
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この問題には、いろんな側面があると思います。



(1)法意識の低さ
 多くの人が「無罪推定の原則」なんて知らないと思います。誰かが逮捕されたと聞くと、「やっぱりアイツが犯人だったか!」という受け止め方をする人が大半ではないでしょうか。
 一般国民だけでなく、警察や法曹関係者の法意識も決して高いものではないと思います。
 逮捕=有罪のような図式が根強く染み付いている中での実名報道は、被疑者の人権を不当に侵害する恐れが高いと思います。

(2)プライバシーVS公共性
 政治家や公務員が、職務に関連して行なった行為については、国民の知る権利との関係から、実名報道すべきだと思います。なぜなら公務員は「個人」ではなく、「国の組織の最小単位」であるからです。
 一方、芸能人などに関する報道は公共性があるとは言えず、実名報道する必要が高いとは思えません。

(3)マスコミの態度
 記者クラブ制度に安住し、官製記事を受け売りするだけのマスコミは、「社会の木鐸」などではありません。刑事事件に関しては、新聞報道は警察の発表そのままですね。要するにマスコミは警察の太鼓もちに過ぎません。そのくせ冤罪事件などがあると、大騒ぎしますが、自分たちも片棒を担いでいた責任があるとは考えないようです。
 いつも思うのですが、「○○容疑者が××の事件について自供しました」というマスコミ報道って、おかしくないですか? これって、どう考えてもマスコミが自分で直接確認した事実ではないですよね。「アナタたちが取り調べしたの?」とツッコミを入れたくなります。「自供したと警察は言っています」と言うべきです。(伝聞は伝聞として伝えるのは、報道のイロハ)
 マスコミのレベルがこの程度であることも、実名報道による人権侵害を、より深刻なものにしていると思います。

蛇足ですが
>現在の裁判での有罪率は99%ですが無罪判決もわずかながら存在します
という点について、一言。そもそも「無罪推定の原則」は、有罪率が高い低いということには、一切関係ありません。
「有罪が確定しない限り無罪とみなす」ということであり、「見込み」で罪人扱いすることを許さないという趣旨です。有罪率の高いことを論拠として、被疑者や被告人を罪人扱いすることを正当化する人がいますが、全く筋違いなことだと思います。
「社会的制裁のために実名報道する」などというのも、マスコミの思い上がりとしか言いようがありません。
そもそも制裁すべきか否かを判断するのは裁判所であって、その裁判所の判断が出ていないのが被疑者・被告人なのですから。
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この回答へのお礼

なるほど、確かに人間の法意識は低いでしょうね。
マスコミは報道の自由、視聴者は知る権利という自分の権利は主張しても、相手のプライバシーに対する意識は低いのでしょうね。
「○○が逮捕されました」っていうキャスターの言い方は正しいでしょうが、「犯人がつかましました」って言ってしまうと逮捕段階では真犯人であることは分からない以上正しくないと思うのですが、このへんの言い方に気をつけているんでしょうかね。
どうもでした。

お礼日時:2003/08/06 01:32

♯1の方のおっしゃるよう社会的制裁の要素が大きいと思いますが。



>その一方で逮捕段階で実名・顔写真をテレビで出す必要性って何だと思われますますか?

この部分に関しては視聴率の問題が絡んでいると思います。
少年法?の問題等々ありますが
テレビでは流れないものが(顔写真が)インターネットで流れたりします。
それだけ見たい人が多いということでしょう。
極論ですが社会が要求しているということではないでしょうか。

私は実名、顔写真は無くても平気ですが。

それでも以前は逮捕しましたというニュースが多く
その後どうなったかわからないものも多くありましたが
最近は裁判の結果もニュースになるようになったように思います。
有罪が確定してから、実名、顔写真の公開というのも
一つの選択肢ではあるとおもいます。
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この回答へのお礼

なるほど、視聴率の面は確かにあるのでしょうね。
質問で書き忘れましたが、個人的には顔写真、実名(当然住んでいる市町村までは分かってしまうでしょう)の公開で家族にいやがらせ等の影響が及んでもやむをえないということでしょうか、、、。どうもでした。

お礼日時:2003/08/06 01:22

社会的制裁を受けさせることが一因です。

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この回答へのお礼

なるほど。
真犯人であればマスコミがそういう役割を果たすのも否定すべきでないかもしれませんね。どうもでした。

お礼日時:2003/08/06 01:15

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