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今と昔のごみのちがいってなんですか!?
今学校で勉強しているのですが明日までに、まとめなければいけないんです!!
量でも中身でもいいです!!
お願いします。

A 回答 (3件)

直接の回答ではありませんが、



東京オリンピックが行われた昭和39年頃までは、各家の外には黒い木製のごみばこが置かれていました。記憶によると、回収は一週間に1度だったと思います。若い親子4人家族でも、1週間分でも今のレジ袋1袋分もごみは無かったと思います。
その頃は、新聞は分別され回収業者へ。 牛乳やヤクルトは瓶詰めで、配達業者が回収しました。

昭和40年代初期くらいまでは、生活の中で自然素材が多く、リサイクルが出来、捨てるものはほとんどありませんでした。
例えば、浴衣は赤ん坊のオムツや雑巾にして最後はコンロの炊きつけでもやしていました。 セーターなども手編みでしたので、編みなおしがききました。 電気やガス炊飯器が家庭に復旧したのもこの時期で、昭和30年ころにはガスコンロの上に釜を置いてご飯を炊きました。30年代ころには東京の都心でも炭屋があり、冬の火鉢、コタツ、コンロ、ストーブのための炭を売っていました。冬季は炭屋で夏は氷屋を営むところが多かったと思います。
また、その頃まで、古紙や鉄くずなどを回収する商売もありました。

ビニール袋や食品のラップやホイル類が出てきたのもこの頃です。 ラップのコマーシャルを見て、どの子もまねをしました。
酒屋さんなどは昭和30年くらいまで、みそ、醤油、ソースの量り売りがあり、空き瓶を持って行くと枡で量って売っていました。
豆腐もパックで売られるようになったのも40年代で、パックになってからマーケットで豆腐が売られる様になり、町の豆腐店や自転車での販売がすたれました。 豆腐店のおからを学校のウサギの餌にいただいていた経験があります。 今は産業廃棄物だそうですね。
ですから、30年代までは、家庭からのプラスチックごみはほとんどありませんでした。
肉のトレーなどが使われる様になったのはダイエイなどの大型マーケットが出てきた昭和50年頃からです。

家電製品も30年代中ごろから何処の家庭にでも備えられ、TVなど壊れても、近所の電気屋さんに修理に来てもらうのが普通でした。

50年代までは東京の水道水は問題なく飲めました。(その頃までは名水に匹敵していたと思います。)ですから、ペットボトルや水筒など普段必要ありませんでした。
自動販売機が出てきたのは昭和40年代初期で、タバコ屋やガソリンスタンドの脇にコーラのビン自動販売機が出来、ビンを自販の所有者の店に持っていくと10円返してもらうデポジット制でした。
シャンプーや台所洗剤のボトルが出てきたのも昭和30年代末で、それまでは、シャンプーは1回分の粉であったり、チューブに入ったジェルでした。 台所洗剤はそれまでは珪藻やクレンザーで、台所洗剤が出たての頃は、「野菜も洗剤で洗ったいましょう。」と言った社会現象がありました。 (その頃はまだ東京の農家でも肥溜めがあり、それを肥料にしていたため、小学校では回虫検査とかありました。)
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この回答へのお礼

詳しく説明してくれてありがとうございます

お礼日時:2010/09/26 17:45

 No1さんの答のように確かにごみの種類は増えました。


が、しかし、リサイクルという観念も浸透しているので、昔よりも環境にはやさしくなっていると思います。各自治体によって違いますが、普通ゴミ・容器包装プラスチック・ビン缶などに分別することは昔(30年前)にはありませんでした。

 また、今街の中にゴミ箱が徐々に減ってきています。
ゴミを持ち帰って自分で処理をしなければなりません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2010/09/26 17:46

単純に考えたら、家庭の場合。

生ゴミが減って、燃えないゴミや資源ゴミ・再生ゴミが増えましたね。

つまり、それだけコンビニやスーパーなどからの、「包装」や「容器」によるゴミが増えたと言うことです。極端な話、「世の中が便利になった分だけゴミは増えた」みたいに。

それはまた、「石油(重油)」をそれだけ使っていると言うことでもあり、昔より、「地球資源を多く使い」「環境破壊へと向かっている」と言うことにもなりますね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます

お礼日時:2010/09/26 17:46

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