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恐竜とホモ・サピエンスの寿命

恐竜はジュラ紀を中心に6000万年も栄えたそうです。その間、恐竜同士の生存競争はあったでしょうが、生物の食物連鎖の頂点に君臨しつづけたのですよね。

それに比べると、ホモ・サピエンスは25万年程前に現れて、その賢さから食物連鎖の頂点に君臨することが出来たのですが、自らの個体数増加を抑制できずに、もうじき絶滅することになりそうです。

そこで質問なのですが、恐竜は6000万年もの間繁栄し続けたにもかかわらず個体数爆発=>絶滅という過程をたどらなかったのはなぜでしょうか?

恐竜が個体数増加の抑制機能を備えていたのだとすれば、人類も恐竜から学び個体数を抑制し、人類の絶滅時期をもう少し未来へずらせないかと思案しています。

A 回答 (6件)

恐竜は2億3000万年前の三条紀に誕生し、ジュラ紀を経て白亜紀で最も栄えました。


そしてご存知のように6500万年前に滅びたということになると、1億6500万年陸上の王者でした。
しかしながら、鳥類はある種の肉食恐竜から分かれた種で、広い意味で恐竜の一種です。

映画「ジュラシックパーク」は、実際に恐竜が最も栄えたのは白亜紀であるのですが、作者マイクル・クライトンが耳に馴染みのいい「ジュラ紀」を取ったのです。
恐竜の主人公格であるティラノサウルスもヴェロキラプトルも白亜紀の恐竜です。
ヴェロキラプトルは最近の研究で「羽毛」を持っていたことが明らかになっており、今度映画を作ったら「鳥のお化け」みたいに描かれるでしょう。
こうなってくると、恐竜が滅びたとというのは、「鳥類を除いて」という注釈付きになりそうです。

仮に6500万年前、メキシコ湾のユカタン半島付近に巨大隕石が落ちなかったら、恐竜は今もカラフルな羽毛をまとって地上の王者で居続けたでしょう。
恐竜は巨大で特殊すぎたゆえに、環境の激変についていくことができませんでした。
それに対して、小型の哺乳類や鳥類は環境の変化にも耐えてK/T境界を跨いで生き残りました。
結局、進化で生き残るのは優れたものや強いものではなく、「環境の変化に対応できるものが生き残る」ということなのです。

人類が他の生物と違うのは、あまりにも短期間に自分たちの環境を変化させてしまったことです。

環境を変えた生物は人類だけではありません。
「窒素と二酸化炭素」の大気を「窒素と酸素」に変えてしまったのは、シアノバクテリアと植物です。
しかし、彼らは何億年もかけて環境を変えましたが、人類は100年単位です。
人類が滅亡するとすれば、人口増加によって食料が枯渇するということは考えられません。
むしろ、環境に対する負荷が大きくなり、自分が招いた環境の激変により人類は絶滅するというシナリオです。
絶滅する理由はすでに明らかですが、対策も手遅れと思われている分野が複数あります。
地球温暖化、窒素・リンの汚染などすでに手遅れと思われます。
窒素・リン汚染は馴染みがないかもしれませんが、人類の食料には大量に窒素とリンが含まれています。
われわれの身近の日本は世界中から食糧を輸入し、それが排泄されて環境に流れ出ます。
窒素もリンも肥料の原料ですから環境の「富栄養化」が著しくすすんでいます。
中国も同様でエチゼンクラゲの発生は中国の窒素・リン汚染のせいだと考えられています。

もう一つ人類の特徴をいえば、個体数が自然にコントロールされる「食物連鎖」の外にいるということです。
これも、環境負荷を加速度的に増やす原因の一つです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

「ジュラ紀にティラノザウルス」ってのはフィクションなんですね。
勉強になりました。

恐竜の生存期間は6000万年ではなく、三畳紀、ジュラ紀、白亜紀を通じた、中生代のほぼ全期間なんですね。
三畳紀末、ジュラ紀末をサバイブした恐竜の生存能力に認識をあらためると同時に、K/T境界で起きた事(隕石落下以外)にも興味がそそられます。

加えて、現在が完新世の大量絶滅の渦中にあると言われますので、この完新世大両絶滅の結末にも興味があります。
みなさんの回答から、どうやらホモ・サピエンスはこの大量絶滅を乗り越える能力を持っているように思えますが、ホモ・サピエンス以外の種が何万種にもわたって絶滅していった後に、ニッチを埋めるのはどのような種になるのか、それともホモ・サピエンスが圧倒的個体数で自然界を埋め尽くしてしまう、多様性の無い世界になってしまうのかも知りたいですね。

完新世大量絶滅の初期に生物多様性が失われ、それが原因で、完新世大量絶滅の末期にホモ・サピエンスも消えるということはないのでしょうか。

「個体数が自然にコントロールされない」という地球史上はじめての種がどのような原因で絶滅するのか、また多数派が増殖し続ける=ニッチを作らないということは、生物進化全体に対してどのような影響をもたらすのか、興味の尽きないことであります。

どうもありがとうございました。

お礼日時:2010/09/28 11:57

恐竜は1種ではありません。


適応し、多様化し、種分化して、それ自身が生態系の多様性の
一部として、恒常性をなしていました。
人類は、行動を意識的に多様化することで、1種で地球上の
生態系のほとんどに適応し、また環境を任意に改変して、
自己の愚かさに比例した非恒常的な(流行の言葉でいえば
「サスティナビリティに欠けた」)システムを構築してし
まったのです。
(多様性=スタビライザー)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

恐竜は多種に分化して、ホモ・サピエンスは一種のまま環境適応力を上げて、頂点に君臨しているのですね。

でも、それが個体数の自律制御とどう関係あるのか分かりません。

お礼日時:2010/09/27 17:06

人類は人口爆発のみでは絶滅しませんよ?



人口が食料生産能力を上回ったとしても、次の瞬間に食料が無くなるわけではないんです。
増えすぎた分の人間が餓死したり、食料をめぐる戦争で死んだりして、最終的に人口は生産能力が賄える範囲に落ち着きます。
経済的に弱い地域は混乱しますが、人類総体でみると絶滅の危機でもなんでもありません。

エネルギー問題にしても、エネルギー消費型の近代文明をやめさえすれば、持続型社会はいくらでも作れます。

そもそも生物の個体数増加の抑制要因とは「餓死」か「他種あるいは同種個体間闘争における敗死」です。
決して産子数を制限しているわけではありません。

生物種の絶滅要因は基本的に「食べるものがなくなる」か「食べつくされる」のどちらかです。
人類の生息域と食域は広大で、生息域全てにおいて人類と競合して勝てる生物種もいないので、地球史において数度の大絶滅レベルの事態が起きるとか、何かの拍子に「道具を使うということ」を忘れない限り、人類が絶滅するということはまず考えられません。

……ただ、文明はわりとあっさりなくなりそうなものですけど。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

私も一夜にして全人類が死に絶えるとは考えておりませんでしたが、地質年代に位置付ければ絶滅は一瞬の出来事(100年ぐらい)の事と考えておりました。

確かに私は誤解しておりました。
人類全体が必要としている食糧が不足すると、人類全体が飢餓に陥るかのごとき誤解でした。

実際は、いつの世もカロリーオーバーの個体と餓死する個体があって、その比率が餓死者が増える方向に調整されることで、人類全体は個体数を減少させながら生存し続ける。

人類は未だに個体数を4割、5割も減少させるほどの大飢饉に遭遇していないということですね。

>「餓死」か「他種あるいは同種個体間闘争における敗死」です。

私たち個体としては、助け合いではなく「個体間競争に勝って生き残る」か「敗死する」かの宿命なんですね。

お礼日時:2010/09/27 10:24

恐竜とは関係ないのですが, 江戸時代の日本の人口はおよそ 3000万人で安定していました. もちろん, 特に「個体数増加の抑制機能」があったわけではありません.


ということは, 「生物種の違いではない何か」であるということは十分推測できると思います.
ちなみに #1 でも言われてますが, 「恐竜」とまとめると分類としては「綱」のレベルに近い (爬虫類・恐竜・鳥類の分類上の位置は微妙) ので, Homo sapiens と比較するのは変. 哺乳綱, あるいはその中の真獣亜綱くらいとの比較が妥当でしょう.
哺乳綱の出現そのものは恐竜より早いくらいなんだけどねぇ....
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

江戸時代には鎖国しており(=食糧の輸入は無い)、また遠洋漁業とか保存食なども限定的だったので、その年その年の作柄によって、豊作の年にはより多くの人が生き、凶作の年にはより多くの人が死ぬことで、結果的に環境に合わせた人口に収斂していたのでしょうね。

江戸時代には5人の子供を産んで2人育った、なんて普通に幸せなことだったかもしれません。
現代で、自分の子供を3人死なせたといったら悲劇の主人公みたいに思われてしまうでしょう。

地球の人口が69億人にもなってまだ増え続けている事実は、科学技術面を含めて、まだ地球が養う能力の限界には達していないということなのですね。そして、その限界に達したのちに凶作が訪れたときに途轍もない数の子供や弱者が死ぬことで人口の平衡状態を保つのでしょうか。
厳しい現実ですね。

お礼日時:2010/09/27 10:05

私もそんな疑問を持ったことがありましたが、それは恐竜と人間との「モンスター度合い」の差によるのではないかと今は考えています。


人間は、確かに恐竜同様に生物の頂点に立っていますが、その立ち具合がまるで違います。恐竜は確かに生物としては非常に強力だったのででしょうが、あくまで自然が生んだ自然的な生物の一種(門ですか?)であり、その時代の自然界に調和して生きていたのではないでしょうか。
それに比べて、人間はこれまでの生物の範疇を超えて自然そのものを改造できる能力を得て自然に君臨したわけで、むしろ反自然的な存在だ(だった)と考えられます。そのためにここまで繁栄したわけですが、やはりその繁栄そのものが不自然だった、いや自然に敵対的だったということです。これに気づいたのはつい最近でしょう。そのために自分で自分の首を絞めるにいたったと考えられます。身の程知らずというか、ある意味恐竜よりも愚かだったということになるかもしれませんが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

恐竜たちは自分達の個体数を制限する能力を持っていたとお考えですか?

愚かな癌細胞は、一気に拡大して、その宿主を殺してしまうので自らも滅びると言います。
賢い癌細胞は、一気に拡大することをしないので、宿主も長生きすることができ、自分達も長生きできます。

我々、ホモ・サピエンスは愚かな癌細胞と同程度なんですかね。

お礼日時:2010/09/27 00:16

最も古い恐竜から全滅した最後の恐竜までの全恐竜の生存期間とサル目霊長類ホモ族サピエンス・サピエンスたった一族一種の生存期間と比べて意味があるのでしょうか?


百歩譲っても、霊長類全体が生まれてから滅びるまでの長さと比べるべきでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありあとうございます。
なるほどもっともなご指摘です。

恐竜全体の生存期間60,000,000年の間には、食物連鎖の頂点に君臨しながら個体数制御に失敗して自滅していたった種が存在したと想定するわけですね。その種は高々250,000年ぐらいの繁栄だった可能性もありますね。

そうすると、我らホモ・サピエンスが絶滅するときに、他のお猿たちが絶滅しないような環境が残れば、で霊長類全体としては、例えば次回の隕石衝突まで存続できる可能性が出てきますね。

なんだか、小説「猿の惑星」みたいですね。

お礼日時:2010/09/26 20:48

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