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鷹狩りを好んだ武将を教えてください。(戦国、江戸時代)
織田信長が鷹狩りを好んだのは知られていますが、
他に鷹狩りをよく行った武将は誰でしょうか。
あと尾張藩で鷹狩りを行った藩主はいますか?
近所に尾張藩の鷹場があったそうなので気になります。

A 回答 (7件)

検索しただけですが、一応信頼できるサイトを見つけましたので、ご参考までに。



愛知県春日井市HP 「郷土誌かすがい第67号 鷹狩通行」
http://www.city.kasugai.lg.jp/bunka/bunkazai/kyo …

一部抜粋します。
尾張藩初代藩主の義直公は、尾張各地に御殿を設け、ここを拠点として、領内巡覧や狩猟を行った。御殿は表1のように14が確認できるが、春日井地域では朝宮と坂下の2ヶ所である。
坂下は仮宿舎から正保元年(1644)に行亭が建設されて、尾張東北部の拠点御殿となっている。そして、正保3年(1646)には、義直公がここに止宿して明知・神屋で鷹を放ち、雉を捕ったという。規模の大きい狩猟では、地元農民の支援が不可欠であったことが読み取れる。
綱吉の逝去後、8代将軍吉宗が鷹狩を復活し、尾張藩も鷹場を再賜されている。尾張でも四代吉通が宝永6年(1709)に鷹狩を再開した。これに伴って、鳥法度、鷹匠や鷹場制度が定められ、鷹狩の運用がきめ細かになった。
尾張の鷹場は、正保期(1647)までは名古屋城から小牧にかけての藩主用と、伊勢湾岸の家老用(成瀬、竹腰)の二種類であった。再興後は藩主用の「御挙場」、家老用の鷹場、重臣の「中之場」、家臣の家来もよい「寄合場」に分けて区域が設定された。

また、三重県北部にも尾張藩の鷹場があったそうです。
「三重県北部の北勢地域の尾張藩鷹場制度」で検索してください。
江戸幕府の公文書管理に関する基礎的研究、というテーマで尾張藩の鷹場の研究例が手短に紹介されています。
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朝倉宗滴ですね。



朝倉氏の極盛期を現出した朝倉家の宿老.
鷹狩にも熱心でしたが世界で初めて大鷹の飼育繁殖に成功しています。
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失礼。

訂正です。
中川清政X 中川秀政○
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戦国武将中川清秀の嫡男中川清政は、秀吉の文禄の役の際に、京畿道、水原近辺で鷹狩の最中に待ち伏せしていた敵兵に包囲されて討ち死にしました。


本来なら改易ものの失態ですが、父中川清秀が残した武功により中川家は改易を免れ、減俸の上、弟秀成が家督相続しました。
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余談ですが、鷹狩=吉宗というイメージがある人も少なくないと思います。



パチンコ、パチスロ機に吉宗という機種がありますが、鷹狩イベントという劇アツな演出があります。
それは、根も葉もない事ではなく、吉宗という人物をリサーチされた上で鷹狩が吉宗に深くかかわっている事からそういう演出に結び付いているものだと思われます。

但し、パチスロ吉宗の鷹狩イベントの絵面は本来の鷹狩とは全く異なるモノですが。。。
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三代将軍家光、八代将軍吉宗が鷹狩を好んだ事は有名です。

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初夢で、見ると縁起の良いとされるものとして「一富士、二鷹、三茄子・・・」というのは日本人であれば良く知る所のものです。

この中に出てくる“二鷹”、は、徳川家康が鷹狩りを好んだ事に由来するものと言われているようです。
ということで、徳川家康が挙げられますよね。
他は・・・知りません^^;
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