プロが教えるわが家の防犯対策術!

躁鬱病歴5年半です。最初はうつ病で入院しましたが途中から躁状態がでてきました。躁状態のときは声も大きくなり社交的ですが、お酒を飲みトラブルおこし警察署の保護房に1回、留置場の中に2回入り2回とも書類送検ですみました。お酒でハイテンションになったと思います。しかし精神科の病院に入院中でもしらふの状態で心が落ち着かなくて暴れて精神科の病院で保護房に安定剤を注射され拘束されベットで安静にされました。又鬱の時は自傷行為1回、首吊り1回未遂、大量服薬5回自殺企図を起こしました。今は少し鬱気味で自宅で静養してます。父親が農業がをやっており先生は父親の手伝いをすすまれています。しかし今までコンピュータ関係の仕事をやっていて障害者雇用で仕事したいなーときもちもありますが、その事を話すと先生は今は父親とのんびり畑仕事やった方がいいとのアドバイスでした。以前にも障害者雇用で2回仕事しましたがうまく行かず退職しました。いま43歳に成りますがどの様なライフスタイルで行けばいいのか相談を書かせて頂けました。なにかと良いアドバイスが有れば宜しくお願いします。

A 回答 (1件)

私の場合は躁鬱歴30年ほどです(医者にかかってからです)。

現在50歳ですが、若い頃から最近に至るまで非常に暴力的で、死ぬことにも恐れはなかったので、ひどいケガも何度もしてきました。幸い要領が良いのか、まだ警察のご厄介になったことはないです。病気に関しては、30歳の頃に父の会社が倒産し、その後始末に奔走している間に悪化し、弁護士の話をしていてもわけのわからないことを口走ったりしていたようです。それから知り合いを通じて開業医の心療内科にかかったのですが、彼の診断はパニック障害でした。大量の薬を処方され、それを飲みながら必死で求職活動をしました(私には妻も子もいたので)。30歳から40歳くらいまでに数十件の会社に勤め、薬のせいで眠ってしまう、しまいにはろくに仕事もできなくなりました。子供に心配させまいと、公園のベンチや百貨店の屋上などで夕方まで時間を潰す、その頃がたぶんもっともつらい時期だったと思います。そうするうち同居の妻の母がおかしくなり、介護が必要になりました。なぜか私は家族に何もさせず、借金の負い目もあって懸命に義母を介護しました。しかしある日、義母は完全におかしくなり、精神病院に連れていくと即入院となりました。人格障害でした。そして母を入院させた翌日、私は急に歩けなくなり、3か月ほどはリハビリに費やしました。で、ある日、ずっと通っていた診療内科の投薬に疑問を持った私が医師に質問した途端、その医師は「信頼関係が失われたら治療を続けるわけにはいかない」と言いだし、別の病院を勧められました。法律ではやってくる患者を断ることはできないのですが、この医師ではダメだと思い、入院施設のある大きな精神病院にかかることにしました。そこでの診断は顕著な「躁鬱病」でした。当時、私は強度の鬱状態にあり、寝ていることしかできない状態でした。その病院の医師は「躁鬱病」というのは鬱病よりもずっと少なく、上下動する精神状態の波を安定させることが非常に難しいとのことでした。そこで薬の調整を兼ねて1ヵ月入院しました。いまそれから数カ月経ったところで、精神の波もかなり安定してきました。しかし医師はあなたの方と同じく、人間関係を多い仕事への復帰には反対されています。お金は必要だろうが、無理をすれば一生が台無しになると強く言われています。これはあくまで私の場合です。参考になればいいのですが…。
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この回答へのお礼

sahbulさん回答メール頂き有難うございます。sahbulさんの言う通り躁鬱病では社会関係や人間関係に台無しになると事もおると思います。sahbulさんは精神病と30年闘い続け大変色々ご苦労があったと思います。自分は平成15年に妻を病気で亡くし妻がもし亡くなったら自分も妻の後を追いかけ、妻が生前中も自殺の事をよく考えていました。今は大分状意がよくなり自殺念慮まではかんがえていません。sahbulさん自分のメールに返信頂いて有難うございます。

お礼日時:2010/10/15 15:50

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