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兵庫県が大きい理由は、なんだったのですか?
関西の深夜番組の番宣でこのタイトルを言われて、「そう言えばなんでこんなに広いのかな?」と。
見なくっちゃ!と思いながら、放送を思い出したのは翌日の夜。
はい、軽く見逃がした(涙)ってことで、そうなると気になって気になって仕方が無いのですよー。
あれこれ検索してみましたけれど、明快な理由は判明しません。
あの番組では、どんなふうに解説していたのでしょうか?

A 回答 (2件)

「神戸を貿易港としてさらに発展させるための整備や開発に、多くのお金が必要だった」でした。



当時の兵庫県は今の神戸市の1/3程度と狭く税収が少なかったため、隣接している尼崎県と三田県を統合。
それでも足りないので、漁業や農業で豊かな姫路がある飾磨県に目をつけ統合。
徳島の一部だった淡路島も統合。
まだ足りないので、生糸の輸出で潤っていた豊岡県(現在の兵庫北部に篠山や京都北部なども含むでっかい地域)を統合。
さすがに大きくなりすぎたので、豊岡県の東半分をぶった切って京都に統合。
統合に対して反対運動などもかなりあったが、これでほぼ現在の兵庫県になる。
…と、大体こんな感じでした。

で、廃藩置県後300あった県を、現在の47都道府県に決めたのは、西郷隆盛、大久保利通、山県有朋ら7人(全員覚えられなかった…)だそうです。
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この回答へのお礼

何か新説が発見されたのかと思って期待もしてみたのですが、とあるサイトの内容と変わらなかったのですねー。気が済みました。
小学校の時天井から下げられた兵庫県地図の形の良さに、ちょっと鼻高な気持ちを持った事と、日本海側のある県の細長い形に複雑な感想を持った事を思い出しました。
ありがとうございます。

お礼日時:2010/10/20 01:18

例えばこちらの概要で触れられている内容


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B5%E5%BA%AB% …

後は、藻谷浩介氏がNHKの県境に関する番組の中で触れた内容
https://www.honzuki.jp/book/book/no42036/index.h …

何れも、明治初期の政府の方針で神戸港の発展を図る目的で、神戸港とその周辺地域を
歴史的な経緯や地域性を無視してまでも一つの県としてくくった。
と述べられています。

その番組中での趣旨が、これらの解説に沿ったモノか?或いはなにか新説があったのかはわかりませんけど
おそらくは上記の説に関するモノで無いですかね。

この回答への補足

あれこれ検索してみても分からなかったというのは、番組の内容ってことです。

補足日時:2010/10/20 01:26
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この回答へのお礼

とッ拍子も無い新説が発見されたのかと期待してみたのですが、そうじゃなかったようですって。
政治的な判断だったとしても、今住んでる者としては、結構、形、気に入ってます。県民愛の無い県って言われてるみたいですけどね。近県の気質と違ってる所も良いところと思うんですけれどねー。
ありがとうございます。

お礼日時:2010/10/20 01:24

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