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日本語の表現として正しいのはどちらでしょうか?
教科書的に「正しい」ほうはどちら?

(1)小さな生命は、私たちの気持ちを優しくさせてくれます。
(2)小さな生命は、私たちの気持ちを優しくしてくれます。

国語ご専門の方のご意見な伺えれば、たいへん嬉しいです。
よろしくお願いいたします。

A 回答 (7件)

>国語ご専門の方


:ではありませんが・・・。

どちらも正しいが、意図がやや異なる、ということでしょう。

(2)小さな生命は、私たちの気持ちを優しくしてくれます。
のほうは、
小さな生命が、私たちの気持ちを優しくする、という意味なのでわかりやすい表現です。

(1)小さな生命は、私たちの気持ちを優しくさせてくれます。
は、
小さな生命を認識することによって、「私の中の私」が「私」の気持ちを優しくしてくれます。
というニュアンスです。
「優しくする側の私」と「優しくされる側の私」がいるわけです。
たとえば、「よし頑張ろう!」と思うとき、私たちは無意識に「弱気になっている私」と「そんな自分自身を励まそうとする私」という、2個の私を想定しているはずです。

(1)は、
小さな命は、「その小さな生命に感銘(刺激)を受けた私」を使って、「無味乾燥という心理状態だった私」の気持ちを優しくさせてくれます。
というニュアンスでしょう。
(2)が、「小さな命」を、気持ちを優しくしてくれる【直接的対象】と考えているのに対し、
(1)は、あくまで、私の中に生じる【変化のきっかけ】と捉えているのだろうと思います。
    
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この回答へのお礼

hakobuluさま、はじめまして!
ご回答ありがとうございます。

ほほ~、どちらも表現としては間違いではないのですね!
(1)(2)の表現意図のご解説も納得でした。

次々参考になるご回答が出てきます!

でも、例えば、義務教育の教科書にある表現と仮定して、
みなさんならどちらの表現を選びますか?
その理由は?

まだまだ、引き続きご意見伺いたいです!!

お礼日時:2010/10/20 13:43

#5です。


またお邪魔します。

基本的構造は変わらないと思うのですが、
(A)「夕暮れは、私たちの気持ちを淋しくさせます」
と、
(B)「夕暮れは、私たちの気持ちを淋しくします」
という表現を比較した場合、質問者さんはどのようなご感想をお持ちになるでしょうか。

A の場合も、文法的に間違いになるのでしょうか・・・。

逆質問で申し訳ありませんが、この線からのアプローチも面白いように思われるので、よろしくどうぞ。
当方、国語は好きですが全くの素人ですので、反論というより、純粋な疑問として受け止めていただければ幸いです。
  
  
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この回答へのお礼

ふたたびありがとうございます。

(A)「夕暮れは、私たちの気持ちを淋しくさせます」
(B)「夕暮れは、私たちの気持ちを淋しくします」

(A)が自然ですよね。

ってことは、やはり
「(1)小さな生命は、私たちの気持ちをやさしくさせてくれる。」も
文法上は間違いではないのかな?

そろそろ自分の中で結論が出てきました。

「(1)(2)も文法上間違いではないが、意味あいが違う。」

これが正解が分かりませんが、
取りあえずあと数時間でこの場における議論は打ち切りたいと思っております…。

お礼日時:2010/10/20 20:38

(1)小さな生命は、私たちの気持ちを優しくさせてくれます。


(2)小さな生命は、私たちの気持ちを優しくしてくれます。

(1)が文法的におかしいのは#1氏の回答にもある通りです。
では(1)は使うことができないのでしょうか。
簡単のため「くれる」を省いて考えてみます。
(1)を使役形から元の能動文に直すと、「気持ちが優しくする。」は「気持ち」が主語
になるから文法的におかしくなります。あるいは、もう一つの能動文(2)、「小さな生命が気持ちを優しくする。」になってしまいます。(1)はどうしても能動文に戻せないのです。

しかし、よく似ている、「気持ちが優しくなる。」はOKですが、その使役形の、「気持ちを優しくならせる。」なんてあまり使いませんね。
「私が優しくする」を、「私を優しくさせてくれる。」もOKですが(1)の語感とは違いますね。

またよく似た用法に慣用的用法として、変化を表す使役形の用法があります。
 心を楽しませる
 心を高ぶらせる
 心を和ませる
 心を弾ませる
  頭を悩ませる
  気持ちを優しくさせる
と並べると最後の「気持ちを優しくさせる」も使えそうに思ってしまいます。また、「気持ちを優しく変えてくれる」の意味で、「気持ちを優しくさせてくれる」を使いたくなります。

≪会社で「優しくさせてくれます」の表現は正しくないと指摘したら、誰も変だと思わない…と言われてしまい、何となく反撃するすべもなくて。≫となっているようですね。
文法的にはおかしくても、かなりのに市民権を獲得しているようです。事実NETでもかなり引っかかります。
そのうち何年もすればおかしくなくなるかもしれませんが。

なお、他の文は「心が楽しむ、心が高ぶる」のように使役形から普通の能動文になりますが、初めに言ったように、(1)は能動文には直せないのです。
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この回答へのお礼

mo6644さま、はじめまして。
ご回答ありがとうございます!

やはり(1)は文法上間違いなのですか!

(1)は「能動文に戻せない」という理由ですね。
でも、理解力が悪くて正直アタマがこんがらがってきてます(笑)
この後じっくりご解説を読んで理解しようと思います。

ありがとうございます!感謝!!

お礼日時:2010/10/20 17:03

#4です。



>でも、例えば、義務教育の教科書にある表現と仮定して、
みなさんならどちらの表現を選びますか?
その理由は?

そうですね・・・。
何を意図しての教科書文章であるのか、ということによっても違ってくるかもしれませんね。

1.
まず、ご質問に挙げられた文章だけに限定して考えると、とりあえずは(2)と思います。
理由は、わかりやすいからです。
ただ、(1)がわかりづらいのは、(双方に)「くれます」という表現があるからでしょう。
(1’)小さな生命は、私たちの気持ちを優しくさせます。
であれば、そう難しくはないはずです。
私たちの内部変化によって、もうひとりの自分が片方の自分を優しくする、という感覚が理解されやすくなるでしょう。
小学校1,2年生には、さすがに難しいかもしれませんが。

「くれる」は、与えるという意味ですから、「くれます」と言うと、その主体としての「小さな生命」が強調されてしまい、隠れた使役の主体である「もう一人の自分」が想定しづらくなる、ということだろうと思います。

2.
しかし、単なる使役とそうでない文との比較という点でおっしゃっているのであれば、私としては両方選びます。
どちらも良くあるシチュエーションではないか、と思うからです。
たしかに、(2)のほうがわかりやすい構造にはなっていますが、たとえば、

(2’)夕暮れは、私たちの気持ちを淋しくします。
よりも、
(1’)夕暮れは、私たちの気持ちを淋しくさせます。
のほうが自然でしょうし、

(2’)戦争は、私たちの気持ちを悲しくします。
よりも、
(1’)戦争は、私たちの気持ちを悲しくさせます。
となるでしょう。

どちらか一つということが絶対的条件であれば、わかりやすさという点で(2)でしょうが、「感情の変化」に関して、それをさせた「主体」と「きっかけ」という両側面があることに優劣はつけ難いと思うわけです。
ただし、専門的な裏づけのある見解でないことは、お断りしておきます。
     
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この回答へのお礼

引き続きご回答ありがとうございます。

「私の中のもう一人の私」そんな映画がありました。
(笑。ウディ・アレンだったかな?)

もはや結論よりも、この議論そのものがすごく意味があるような気がしてきました…

いろいろ納得のご回答です。ありがとうございます!多謝!!

お礼日時:2010/10/20 16:31

専門家ではありません。

どんな回答がつくかと関心を持ってはいました。

1小さな生命はの助詞「は」話題を強調する「は」で優しくさせてくれます。にかかります。
「優しくさせてくれる」はさせては使役くれるは恩恵の授受表現だと思います。
「優しくしてくれます」よりもう少し深いきもちだとおもいます。

ほかにもこういう表現はありますが適切な動詞 形容詞が使われると思います。

こうして回答することは、いろいろなことを考えさせてくれます。

公園には、いろんな花が四季折々咲き目を楽しませてくれます。

辛い経験だったが、私を成長させてくれた。

アルバイトで私は勉強させてもらった。
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この回答へのお礼

cxe28284さま、はじめまして。
ご回答ありがとうございます!

(1)「優しくさせてくれる」→「恩恵の授受表現」
(2)「優しくしてくれます」→「よりもう少し深いきもちの表現」

なるほど~。

「小さな生命」「私たち」「優しくする」の関係の文章の場合は、
どちらが「教科書的」にはよいのかな~???(ちょっと混乱してきましたが…)

参考になりました。ありがとうございます!感謝!!

お礼日時:2010/10/20 12:46

私も専門家ではありませんが…



どちらも正しい表現と思いますが、教科書的に無難なのは(2)だと思います。

(2)はそのまま素直に解釈できます。
素直なので教科書的と言えます。

(1)は
「小さな生命が、他の何者かを使って(「させて」という表現がこれを表します)、私たちの気持ちを優しくしてくれる。」と解釈できます。
「他の何者」が何なのかは自分で想像してねということです。
つまり、「小さな生命」と「私たちの気持ち」の間に何かがあって、そのおかげで私たちの気持ちが優しくなるということを示唆しているわけです。

つまり(1)と(2)は若干ニュアンスが違うわけです。

教科書で(1)の文の構造を説明するのはかなり高度な内容になるので、教科書ではまずは(2)の表現を学ぶのがいいかと思います。

蛇足ながらNo1さんの回答へのコメント。

>(1)妻は、酒を熱くさせてくれた。 ⇒ じゃあ、酒が熱くするものは、一体な~に?

この文は「妻が話し手に酒を熱くすることを許可した。つまり酒を熱くしたのは話し手である。」と解釈できます。
話し手はものすごい恐妻家なんでしょうね。

>(1)私は、帯をゆるめさせた。 ⇒ じゃあ、帯がゆるめるものって、一体な~に?

これは「話し手が誰か他人に自分の帯をゆるめさせた。」という意味に取れます。
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この回答へのお礼

nabnabさま、はじめまして。
ご回答ありがとうございます!

はぁ~、たいへん参考になるなぁ~。
(1)は、かなり表現として苦しいけれど文法上絶対間違いと言うわけではないのですね。
でもやはり素直に普通に使う表現としては、(2)ですよね~。
同僚にその旨伝えます。

教えて!gooってすごいな。勉強になる!

ありがとうございます!!

お礼日時:2010/10/20 11:36

こんにちは。


国語の専門家ではありませんが、楽勝です。

正しいのは(2)です。
なぜ(1)が間違っているかというと、優しくなるものが「気持ち」ではなく、文中にはない何かになってしまっているからです。

わかりやすいように、同じ構造の例文を作ってみました。

(1)妻は、酒を熱くさせてくれた。 ⇒ じゃあ、酒が熱くするものは、一体な~に?
(2)妻は、酒を熱くしてくれた。

(1)私は、帯をゆるめさせた。 ⇒ じゃあ、帯がゆるめるものって、一体な~に?
(2)私は、帯をゆるめた。

こんな説明でよいですか?

この回答への補足

引き続き複数の方のご回答お待ちしております。
よろしくお願いいたします。

補足日時:2010/10/20 11:28
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この回答へのお礼

sanoriさま、はじめまして。
ご回答ありがとうございます!

そうですよね~
会社で「優しくさせてくれます」の表現は正しくないと指摘したら、
誰も変だと思わない…と言われてしまい、何となく反撃するすべもなくて。
でも、はやり変だと思ってずっともやもやしてました。
挙げていただいた例文とても判りやすいです。
これで同僚に納得してもらおうと思います!

教えて!gooはじめての投稿でしたが感激の回答でした!
ありがとうございます!!

お礼日時:2010/10/20 11:25

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