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家族葬について教えてください。
先日主人の父が亡くなり、葬儀がおわったばかりです。本来葬儀の前に確認しておけば良かったのですが、本来どうすべきだったのか振り返るかてを得たが為、教えていただきたいと思います。

義父は町内の世話役を数年にわたりつとめた経験もあるため、家族葬を通知していたにかかわらず町内の方々のご弔問やお香典を頂戴する次第になりました。
勿論、喪主や家族はお断りの言葉を口にしたのですが、数人の方の分は頂戴することになってしまったのです。

遠縁のかたの中にも「どうしても納めて」と置いて行かれた方がおられます。
喪主である主人の兄、主人の会社関係のお花、弔電も多数ありました。
次男の嫁である私の実家の者も、数年前は反対に頂戴した立場でしたのでお香典をつつみ、無理やり置いてきたような形になってしまいました。完全な家族葬は難しいものだとつくづく感じました。

ただし、前もって兄弟が相談して決めていたらしく、私ども夫婦はお香典をつつんでおりません。
反対に交通費、宿泊費など経費を出してもらっています。
故人のお金から調達してるので気にしないように、と言ってくれています。

親戚の中にはお香典を出してくださった方もいらっしゃるのに…と心苦しく感じてしまいます。
遠方に住む私ども夫婦のかわりに、同居もしてくれて父母の入院中ずっと世話をつづけてくれた兄夫婦に対する申し訳なさもあり、今後私はどうやってかかわってゆけば良いのか教えてください。

四十九日には夫婦で参加できますが、それまでの七日ごとの法要にはどうすればよいでしょう。

年齢を重ねても知らないことばかりでお恥ずかしいのですが、どうかよろしくお願い致します。

A 回答 (2件)

葬儀といえば、「僧侶を呼んで祈ってもらい、引導を渡してもらわねば、故人は成仏できない」というのが、今日でもなお根強い考えです。

しかしながら、これは実を言えば、仏教の本質とは何の関係もないのです。

大半の家には、「先祖代々の宗派」というのがあると思いますが、それをがいつ確立されたのかを辿っていくと、まず江戸時代にぶつかるはずです。というのは、江戸時代はキリスト教徒によって起こされた「島原の乱」など、キリスト教徒による反乱に幕府が手を焼き、それ以後、キリスト教徒を徹底的に弾圧するために、日本の全ての民衆を仏教徒とし、近くの寺院の檀家に強制的にするという檀家(寺請)制度をつくったのです。こうして寺院は、民衆掌握のための幕府の出先機関となって一種の役所みたいな機能を持つようになり、政治権力を背景に大きな権力を振るうようになったのです。その結果、民衆は勝手に宗旨を変えたり、檀家をやめることはできなくなりました。そして、当時の民衆は、自発的に宗教を選択する機会は奪われてしまったのです。このような信仰の強制によって生み出された精神的土壌は、現代にまで影響を与えています。

上記した「葬儀の在り方」も、その一つなのです。檀家(寺請)制度のもと、民衆は嫌でも僧侶を呼んで葬儀を行なわねばなりませんでした。そのうえ、今で言う「お布施」「心づけ」も多額にわたって支払わねばならなかったようです。こうして僧侶は、この制度をいいことに、財力も権力もほしいままにして、民衆に君臨していたのです。

「僧侶に祈ってもらわねば、成仏できない」という考えは、この檀家(寺請)制度に伴って発生した、権力による民衆支配のための都合の良い考えであり、仏教の本質ではありません。それどころか、仏教の創始者・釈尊(釈迦)は、「出家(僧侶)は葬儀に関わってはならない。葬儀は在家の手に委ねるべきである」と、出家僧が葬儀に関わることを禁じたのです。釈尊自身の葬儀でさえ、在家のみによって執り行なわれたのです。

今日、日本は、主権在民の民主国家です。したがって、檀家(寺請)制度の残滓など引きずる必要はなく、自由な葬儀の在り方が模索されています。質問者様が行なった「家族葬(友人葬)」もその一つです。「ご弔問やお香典」を受けることは、自由な形式でいいのですから、それ自体別に悪いことではありません。真心は受けてもよいと思います。

四十九日とか七日ごとの法要なども、檀家(寺請)制度の残滓で、仏教本来のものではありません。もっとも、「随方毘尼」(ずいほうびに、仏法の根幹に違わないかぎり、地域の風俗、習慣、時代の風習に従うべきであるということ)の考えから、長年にわたって確立された慣習をいたずらに拒絶する必要もありませんので、これも自由な形式で行えばよいのです。

ちなみに私は創価学会の者ですが、学会では日蓮正宗から破門後、この仏教本来の在り方に従った「友人葬」を、学会員である「儀典部」の人が導師となって執り行なっています。ここでは香典や他の心づけは一切不要となっています。
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この回答へのお礼

詳しくご説明いただいてありがとうございます。

義父の葬儀は家族葬とは申せ、身内が想像していたより多くの方々においでいただき心温まる葬儀でした。時間を少しずつ経て、今は満たされた思いを感じております。
おっしゃるとおり、一言で家族葬といっても、それぞれの家族によって見送り方は千差万別でよいのでしょうね。
七日ごとの法要は、自分たちのまごころの範疇でしたいと思います。しばらく帰省はできませんが家族そろって義父をしのび、成仏を願ってお祈りしたいと思います。
四十九日には父の好物をもって実家にまいります。

本当にありがとうございました。

お礼日時:2010/10/25 23:17

「家族葬」にも色んな方法があります。

全く宗教色を排除して僧侶なども呼ばず、内輪だけでお悔やみするのか、お経だけ僧侶を呼んで、参列者は家族だけか、と言う問題です。私は「宗教」は生きている者の為にあると思うので、七日ごとの法要、四十九日の法要はやはり、参列者は内輪だけでもきちんと僧侶を呼んでお経を上げられた方が良いと思います。宗派によっては、ほんの僅かの金銭で来ていただける僧侶もいらっしゃいますので、探されてはいかがですか?仏教は代々の僧侶によって伝えられて来たのですから、信徒が勝手に曲げてそれを挙行する事はいかがなものかと思います。
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この回答へのお礼

ご親切にありがとうございます。

法要は長く祖父母がお世話になっているお寺にお願いしており、百箇日までの予定表も頂戴しております。長男夫婦の家にて執り行う予定です。

遠方にすむ私ども夫婦(次男夫婦)は四十九日、百箇日には参列できるのですが、それ以外は難しいのでその場合、ご供物料は現金書留で送らざるをえません。ふた七日、三七日…と毎回おくることになるのでしょうか。また金額はいくらぐらいが妥当なのか悩んでおります。
ふた七日まで、しばらく時間がありますので夫婦でもう少し考えてみます。

お礼日時:2010/10/22 21:59

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