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死 について意見を聞かせてください

A 回答 (7件)

この言葉が日本語かどうかが、どうしてもわからない。

日本では、「死んだ」と言う大和言葉に「なくなった」という言葉が在る。これが純粋な日本語であることは間違いない。しかし、死の音読みは「し」でそれが元中国語であったことは間違いないが、私の持っている漢和辞典には、その訓読みは「『し』ぬ」と出ていた。何で音読みと訓読みが一緒なのだかが解らない。たまたま古代の大和言葉に「死ぬ」なんて言葉があったとしたら、余りにも偶然過ぎる。

果たして、古代の日本人は本当に「死ぬ」なんて言っていたのか。それとも、中国の影響で、そんな日本語が作られてしまったのか。もし、作られてしまったのなら、「死」と言う概念は外国から教わった概念であり、本来の日本人の感覚にはない、何か余計な物が付いているのではないか。日本人には「なくなった」と言うこと以上の意味がなかったのではないか。何方か解る方がいたら、私にも教えて下さい。
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基本的に生き物はセックスして世代交代し、順々にいらなくなって死んで行くのです。


ですから個人的に生に執着することは不自然であり醜悪なことだといえましょう。
セックスして、絶頂を味わい、そしてぽくりと死ぬ。
多くの有性生物(特に男)はそうしているようです。
これに過ぎる生はありません。
私もそうありたいと思っています。
好いことを一杯し、その絶頂で死ぬということ。
さすがにセックスはもう出来ませんが(嗤)、それに類したことを工夫してやれるだけやりつくし、まんぞくまんぞくといって死ぬ。
じゃあ、とか グッドバイ、とかいって機嫌よく世話をかけた周囲の眷属に声をかけて絶命する。
それが私の理想的な死です。

ご参考まで。
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死は未来の果です。


果が同時に因であるなら、死もまたそこに留まるものではないのでしょう。
現在の生が果であり、また因であるとするならば、生の因と生の果を知るべきなのかもしれません。
死を生の果のすべてと見る事は狭いのかもしれません。
しかし、その狭さから抜け出せず、死を怖れるのが普通です。
たった一度の人生が、たった一度の死で終わってしまう、という暗い事実以外に何も見つけられないという空しさ・・・
その空しさを因として見つけねばならないものがあるようにも思います。
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死ぬということは私にとっての人生のゴールですね。


死んだら終わり。
何も考えなくて、何もしなくていい。
だけど、家族とも友人とも会えない。思い出も消える。
二度と誰にも会えない。

死んだ人より残された家族・友人が辛いです。
自殺した人・殺された人・病死した人の家族や友人が、一番辛いのです。


一人の死に、悲しむ人がいる、それが「人の死」ではないでしょうか。


誰かが悲しんで、亡くなった人をいつまでも覚えていてくれる。


それが、「死」ということだと思います。
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自分は他人が死ぬのと同じように死ぬことはないですね。


生と死は実のところ同じもので、死の存在というのは生にこそあるんだと思いますね。
自分にいわゆる死ということが起こることはありえない訳で、本来、死は存在しないのですが、
生きている間にこそ死が自分の中に存在しているという皮肉な宿命を背負っているわけです。

だからこそ強烈であり、ただ驚嘆するしかないです。
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死について明らかにしたいなら、まず生について


明らかにすべきでしょう。
その至らぬところが死であるからして。
(生についての議論は過去の質問を参照して下さい)

生と死は対立概念ではなく、「より良く死ぬことが、
より良く生きること」です。
人類の細胞も、DNAの最後に回数券のようなくり返し
配列が(50回ほど)あり、一回細胞分裂するごとに
くり返しが1つ減って、なくなるとそれ以上細胞分裂
できなくなり、新陳代謝できずに老化して死ぬように
なっています。

生物は、有性生殖以前の「突然変異による多様化と、
その淘汰による選択」という人任せで遅い進化に対して、
交配する事で遺伝子の配列をシャッフルして多様性を生み、
また交配のための種内の競争による選択という、す早い
進化を可能にしたのです。
そこで、世代交代しなければ個体数が増える一方なので、
自ら寿命を制限しているのです。

細胞分裂で増えるゾウリムシ(単細胞生物)は、有性生殖
など必要ないようですが、実は時々他の細胞とくっついて
遺伝子を交換する、「接合」を行います。
もし接合をせずに、細胞分裂だけしていると、百数十回
ほど分裂したところでそれ以上分裂できなくなり、死んで
しまいます。
接合をすると、また若返って、百数十回分裂できます。
それほど「遺伝子の交配」というのは、進化に有効なのです
=長生きは退化。

死は世代交代を意味し、その有性生殖において愛は生じ、
親や子供は存在するのです。
人は往々にして不死に幻想を抱きますが、人も愛さず、
子供もいない、そんな社会が魅力的には思えません。
逆に愛があれば、自己の肉体の限界を超えて、意志
(=精神的充足)は広がります。
「愛」と「死」は表裏一体のものであり、それによってこそ
限りある肉体に、無限の拡張を与えるのです。
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死んだら、永遠の眠りに付くといいます。


詳しくは↓
http://www.din.or.jp/~honda/csls2.htm

http://www.kiroku.org/kan_gyo/kris_09.html
です^^
参考になれればいいと思います^^
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