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夕鶴つうは なぜ夫の与ひょうを去ったか


 ▲(ヰキぺ:夕鶴) ~~~~~~~~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%95%E9%B6%B4

 与ひょうは、ある日罠にかかって苦しんでいた一羽の鶴を助けた。

 後日、与ひょうの家を「女房にしてくれ」と一人の女性つうが訪ねてくる。夫婦として暮らし始めたある日、つうは「織っている間は部屋を覗かないでほしい」と約束をして、素敵な織物を与ひょうに作って見せる。

 つうが織った布は、「鶴の千羽織」と呼ばれ、知り合いの運ずを介し高値で売られ、与ひょうにもお金が入ってくる。その噂を聞きつけた惣どが運ずと共に与ひょうをけしかけ、つうに何枚も布を織らせる。

 約束を破り惣どと運ず、更には与ひょうは、織っている姿を見てしまう。そこにあったのは、自らの羽を抜いては生地に織り込んでいく、文字通り"我が身を削って"織物をしている与ひょうが助けた鶴の姿だった。正体を見られたつうは、与ひょうの元を去り、傷ついた姿で空に帰っていくのだった。
 ▼ (木下順二:夕鶴の大団円) ~~~~~~~~~~~

   しんとした間――

 子供の一人:(突然空を指す)あ 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでいる。
 惣ど: や 鶴・・・
 運ず: おお・・・

 子供たち: 鶴だ 鶴だ 鶴が飛んでる。
  (繰り返しつつ 鶴を追って駆けて去る)

 運ず: おい与ひょう 見や 鶴だ・・・
 惣ど: よたよたと飛んで行きよる・・・

      間――

 惣ど: (誰に言うとなく) ところで のう 二枚織れたちゅうは
  ありがたいこってねえけ。
   (与ひょうの手にある布を取ろうとするが 与ひょうは無意識の
   うちに離さない)

 運ず: (与ひょうを抱えたまま一心に眼で鶴を追っているが)ああ
   ・・・だんだんと小さくなって行くわ・・・

 与ひょう: つう・・・つう・・・(鶴を追うように 一・二歩ふら
   ふらと。――布をしっかりと掴んだまま立ちつくす)

      惣どもそれに引きこまれるように 三人の眼が遠い空の一点に集まる。

      微かに流れてくるわらべ唄――

      ――幕――
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 答えとして:
  1. 見るなという約束を破ったので 信頼し得なくなった。

  2. おカネに目がくらんでしまったから もとの与ひょうでなくなった。

  3. いや 去っていない。去ったというのは 身を犠牲にして死んだという意味だ。つまり最後まで夫に尽くした。

  4. いやいややはり去った。ともかくきらいになったのだ。

  5. いやいや じつはこうだ。・・・
   5-1. 初めの《恩返し》という動機を――それはそれでとうといのだが―― 結婚ということに結びつけるのには無理がある。
   5-2. いやいや与ひょうへの愛は それとは別に芽生えたのだ。だから結婚は成立している。つまりそういう問題ではなく・・・(あなたのお考え)・・・


 * ちなみに鳥には換羽期(とやごもり)があって羽根は年に数回生え換わるのだそうですね。だとしたらその抜け落ちた羽根を使えばよいとも考えられるので 必ずしも《身を削って》というほどでもないかも知れません。という見方もあるようです。
 もっとも基本的には 人間のこととして捉えて考えて欲しいとは思います。

 もしつうが去って行ったのなら それは一般的な見方から行けば おとなげないとわたしには思われますが さてどうでしょう。

A 回答 (60件中1~10件)

おはようございます、bragelonneさん。





● もしつうが去って行ったのなら それは一般的な見方から行けば おとなげないとわたしには思われますが さてどうでしょう。


勉強しに帰ったのかもしれません。


『また出た!また出る!1問1答・大卒公務員の過去問刑法・商法・労働法』
http://books.google.co.jp/books?id=GWupUFBfyxYC& …
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この回答へのお礼

 おもしろい。ですね。
 その答えじたいは つまりつうが去ったのは 永遠にと見せかけて じつはそうではなく
 ★ 勉強しに帰ったのかもしれません。
 ☆ という答え自体は あたかもハコブル説(≒賽は投げられたさん説)とわたくしブラジュロンヌ説との中間と言いますか
 ――あっ リトルキスさん お早うございます。ご回答をありがとうございます。――
 足して二で割ったと言いますか そういう安易なと一見見られてしまうことで一つの損をするとすれば けっきょく三方一両損といった大岡裁きにも似たところがあって ただしそういう格好だけで その答え自体は ある あるのですが 問題は
 
  人生をこれからもつづいて行くものと見ている

 ところにあるようだと思ったので おもしろいと受け取りました。
 人生は 過程である。動態である。そして 相手のあることである。いいぢゃないですか。と思いました。そういうもんだいですよね 文学とは。そしてそういう扱い方を 文学に対して哲学はするのだと。


 けど 刑法・商法・労働法とはなんですか? 法律はいま関係ないっしょ?
 ったく とぼけたお人ぢゃわい。

 * あぁ つうの仕事ぶりが 労働基準法違反ってことですか。なぁっとく。ごめん。m(_ _)m

お礼日時:2010/11/05 11:32

おまけの話を少しします。


人から受けた初めての優しさ=本当の優しさ、です。
偽善でない無償の慈しみの行い、といったものでしょう。
・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・
私が子供の頃ですが、近くのエタのに雑穀商をしていた人がおり、農家だった私の家にも、くず米を買いに来ていました。
毎年買いに来ていたので、そうした金銭面での細い交流があったのです。
私の父は親しくしていたので、その家に行くと、いつも何がしかの品物を頂いてきました。
今から約50年ぐらい前の事です。
終戦後の貧しさがまだあった時代でしたので、今からすれば品物といっても粗末なものばかりだったように思います。
でも中には、林檎やバナナといった、その頃では貴重な果物もありました。
普通の一般人が、そうしたの家へ行くと、大変なもてなしを受けてお土産もいただいていたようです。
そうして頂いた果物ですが、悲しい事に、まったく食べずに捨てていたのです。
その頃の私には、何故そうなのか分かりませんでした。
表面的な付き合いはしても、実際は違っていました。
越えられない線があったように思えるのです。

心の通った交流というものはまず無かった・・・というのが真実だと思います。
遠い過去の時代においては、上べの交流さえ無かったのではないでしょうか。
そうした時代の中で、本当の優しさが、ひき起こした奇跡があったのではないのか、というのが私の推測です。
そうした時代だったからこそ、奇跡でありえたのかもしれませんね。
・・・・・・・・・・・
あまり書くと本当にメッタ斬りに合いそうな気がします。
この辺までにします。
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この回答へのお礼

 へたのすけさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~
 そうした時代の中で、本当の優しさが、ひき起こした奇跡があったのではないのか、というのが私の推測です。
 そうした時代だったからこそ、奇跡でありえたのかもしれませんね。
 ~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 《奇蹟》を強調なさいますね。そういう場合には もう何度も触れないほうがよいでしょう。
 葛の葉も そう言えば奇蹟のように感じます。
 きのうだったか――そう言えば――偶然知ったのですが 土浦の南 霞ヶ浦の西あたり(つまり 常陸の国)に 信太(しだ)群という土地がある(あった)ようですね。

 わたくしの体験を すでに述べたところから明らかにしておきます。
 【Q:えた・は 天皇の子どもが その地位に落とされ 制度としても成ったのではないか?】
   http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6023047.html
 ☆☆(No.19お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~
  わたしも出身がそう(西日本)です。そしてじつは 中学校が 三つの小学校区から生徒が集まって来ていて そのひとつに――ということは 全生徒の三分の一ということですが―― 地区がありました。わたしは かれらの多くと友だちになったあと 被差別のことを知りました。
 そう言えば わたしと同じ小学校から上がって来ている仲間や知り合いたちは――どうも事情に詳しかったらしく―― 何となくその地区の生徒らを避けていた。ということを あとからふり返って 気づきました。
 卒業したあと そのの友だちは 就職しました。わたしの家にやって来て言うには――と言っても 言葉そのものでははっきり言わなかったので 何度かやり取りしたあとに 判じて分かった結果ですが―― これからは出身地を隠して生きて行くから おまえとも知らないどうしになる ええか? ということだったようです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ それから 残念ながら 音沙汰がありません。
 ちなみに こういうことを書いただけではなく 質問をみっつも挙げていますからわたしは 《メッタ斬りにあ》っているということなんですね。つまり 無言の無視というかたちが そうなんですね。あぁ 知らなんだ。なんとにぶいことか。

お礼日時:2010/11/21 00:27

ぶらじゅろーぬさん。

こんにちわ。
へたのすけさんの話に聞き入っていました。

つうが与ひょうから受けたのが
「>人から受けた初めての優しさ」で、
つうは身分の違いを乗り越えようとしたのだけれど
(そうして与ひょうは乗り越えたのだけれど)
つう自身が乗り越えられなかった、
ということになるのでしょうか。夕鶴では。
(↑間違っていたら誰か文句言ってください。)

なかなかスルっと腑に落ちないのは、
対等な人間として、与ひょうがつうを、
愛しているように夕鶴では描かれている、
・・・ように見えるからなんですよ。
人物描写の問題でしょうか。

ぶらじゅろーぬさんが提示した選択肢は
どれも当てはめようがなくなりました。

______________


中国の話は分からないので何も話せませんが、
ご質問文で、中国は半分「他律的」に
日本をいぢめていると言っていますか。
______________


あーそれから「ま」の話は終わったんですか。
もう少し話したかったんですけどね。
「ま」は時間ですか空間ですかとか。
アースさんはなんでアースさんになるのか、とか。

ここに少し書いてよいですか。
アースになっちゃった例とか。
よろしいと言われる前に書きますが。
(↑やくざ外交でしょうか。)


党員1.なんかあいつムカつくよなあ。
党員2.あ~たしかに。
党員3.ちょっくらいぢめてやるか。
党員4.どうやって?
党員5.そうだなあ。何か口実つくらなくちゃ。
党員6.口実っつっても無いんぢゃね?
党員7.そうだ法令つくってもらう?王様に。


トントントン!!
「王様王様!30日間、王様以外の何者にも
 請願しちゃいけないって法令作りませんか。
 署名してもらえませんか。」
「よろしい。署名しよう。」

数日後。
トントントン!!
「王様王様!ダニエルってやつ、
 1日に3回も王様以外に請願してますぜ。
 どうします?王様!檻ですよね、檻。」


こんな風にいぢめられてるんでしょうか日本は。
ちがう話をしてすみません。
何か思いついたら中国の板にもおじゃましますが、
何しろ時事問題には疎いのでたぶん何も言えません。
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この回答へのお礼

 にゅうとらるさん こんにちは。ご回答をありがとうございます。

 ★ ぶらじゅろーぬさんが提示した選択肢は / どれも当てはめようがなくなりました。
 ☆ これは もう途中からあきらめていました。戯曲ないし文学作品としての『夕鶴』については 質問趣旨にかかげた選択肢は 当てはまりません。部分的に場面ごとに考えを煮詰めておくといった作業は あってしかるべきだとは思います。

 
 ★ ご質問文で、中国は半分「他律的」に / 日本をいぢめていると言っていますか。
 ☆ いえ もともと《いぢめたかった》ことを 言わば解禁となったので やり出したのではないかと。

 ★ あーそれから「ま」の話は終わったんですか。
 ☆ ご要望(?)にこたえてあたらしく設問しました。

 ★ ダニエル
 ☆ の遭ったいぢめは 捕鯨の問題で日本が国際世論によって肩身の狭い思いをしている感じですね。

 ★ アースさんはなんでアースさんになるのか
 ☆ これは――あたらしい質問にも就いていただきたいのですが―― この世にわたしのほかに別の人もいるという情況そのものから起きる心的および社会的な現象なのではないかと。
 ひとが二人いるとします。互いに視線を持ちます。ときに浴びせます。このまなざしが上から下へ見下ろすようなかたちになるかどうかで つまり上から目線になったなら アース役とガミガミ役との役割関係が出来上がると見ます。
 まなざしをそそぐ側とそそがれる側とです。ならわしや社会の制度をつうじて そのどちらが上と見なされるかが決まると見ます。一般に社会的地位にかんするアマアガリの階梯に応じて 《 A - S 連関》が決まり 或る程度は固定したものとなる場合もあると見ます。身分という制度。その中でも 腕力の問題としてつまり武士身分がアマアガリした時期。いろんな意味で実力がものを言うかたちでのゆるやかな身分制。アマテラス公務員と準アマテラス金持ち。
 ということは 二階建て構造は 国家が出来てから 変わっていないでしょうか。

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~
 つうが与ひょうから受けたのが
 「>人から受けた初めての優しさ」で、
 つうは身分の違いを乗り越えようとしたのだけれど
 (そうして与ひょうは乗り越えたのだけれど)
 つう自身が乗り越えられなかった、
 ということになるのでしょうか。夕鶴では。
 (↑間違っていたら誰か文句言ってください。)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ わたしは へたのすけさんへのお応えをもって 反応することにします。つまりいまそれ以上は触れない。と言いますか それほど文学論がこの件で伸びない感じです。
 ◆ >人から受けた初めての優しさ
 ☆ この《初めての》には注目していますが どう扱えばよいのか。・・・

お礼日時:2010/11/18 18:02

追伸


少しあっけなく終りにしてしまいましたので申し訳なかつたかもしれません。
書き足らなかったのは、私自身の体験の内容です。
それは読む人にとっては、大変に興味をそそられる事かもしれません。
しかしながら、現在にあっても、差別の暗闇の中にいる人の事を思えば、書くのに忍びない気がいたします。
その点はご容赦願います。
言えるべき事としては
二つの伝説の中に於いてもそうであるように、女性の方から差別を乗り越えたところに、女性のもつ情念の深さ、強さが感じとれる事です。
被差別民の女性の場合にあってこそ、こうした状況が成立してしまうように思えるのです。
私が知っている幾つかの例も同様です。
被差別民が男性の場合には成立しない、諦めてしまうのでしょう。
未だに口に出せない、目に見えない悲劇が現実にあるという事をご承知置きください。
※橋のない川・・・住井すゑ著
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この回答へのお礼

 拝復

 ★ ~~~~~~~~~
 書き足らなかったのは、私自身の体験の内容です。
 それは読む人にとっては、大変に興味をそそられる事かもしれません。
 しかしながら、現在にあっても、差別の暗闇の中にいる人の事を思えば、書くのに忍びない気がいたします。
 ~~~~~~~~~~~
 ☆ 分かりました。それとしていい機会が来ないとも限らない。こう思って 了承いたします。

 ★ ※橋のない川・・・住井すゑ著
 ☆ いちど――そう言えば 牛久かどこかに住まいを移していたところの――住井すゑの短い文章を読んだことがありました。じつはあまりいい印象ではなかったのですが――それは そういう問題であるというかたちを正面から取ることが そのときのわたしには違和感を覚えさせたように記憶していますが―― この橋のない川については 読んでも映画を見てもいないものですから どういうかたちで再現作品に出て来たのか 一瞬分かりませんでした。

 
 ★ ~~~~~~~~~~
 二つの伝説の中に於いてもそうであるように、女性の方から差別を乗り越えたところに、女性のもつ情念の深さ、強さが感じとれる事です。
 被差別民の女性の場合にあってこそ、こうした状況が成立してしまうように思えるのです。
 私が知っている幾つかの例も同様です。
 被差別民が男性の場合には成立しない、諦めてしまうのでしょう。
 ~~~~~~~~~~~~
 ☆ なるほど。でも 男も 被差別民の側ではないかも知れませんが 女のその行動を全部受けとめ受け容れるわけですから そうけなしたものでもないようには思います。


 なお No.51お礼欄の末尾に掲げました質問の中で 次のものについておぎないます。
 【Q:えた・は 天皇の子どもが その地位に落とされ 制度としても成ったのではないか?】
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa6023047.html
 ☆ すなわち この表題の内容は 証明するのに失敗しています。ただし その職能の人びととの或る意味で直接のつながりが 天皇家とのあいだに つくられた恰好だというふうには思われます。
 ○ ~~~~~~~~~~~~~
 志貴皇子――皇子である――もしくはその子がハンセン病に罹ったという事態からの 一種の隔離――それが ケガレという迷信により ないし被差別にみちびく――の措置が取られたところが 起源ではないかと言うもの。
 ~~~~~~~~~~~~~
 ☆ この仮説が成り立ちませんでした。ただし
 ○ 天皇を中心とするケガレ(穢れ)‐キヨメ(清め)観念の構造(丹生谷哲一)
 ☆ があって そのネットワークの中にしっかりと組み込まれているのだということです。あるいはまた
 ○ 惟喬親王(これたかしんのう、承和11年(844年) - 寛平9年(897年)):文徳天皇の第一皇子。第四皇子である惟仁親王(後の清和天皇)の勢力と争った。木地師集団である小椋一族に迎え入れられた。
 ☆ この職能集団が 被差別民です。などなどです。


 ただいまのところ ほかのみなさんは静かなようです。もし質問などが寄せられたときには 答えてあげてください。

お礼日時:2010/11/17 23:42

ブラジェロンヌ様、長文をお読みいただき有難うございます。



幾つかある結論のうちの一つは、既にご承知されているのではないかと思います、改めて申し上げれば

これらの伝説は、橋のない川を渡って戻らねばならなかった女性への鎮魂歌だった。

というものです。

また、私はこの女性と同様の人が産んだと思われる子供の姿を見ています。

その子供の姿から私が得たものは

生命への祈りに差別は無い、差別無き祈りの心は誰にでもある

というものでした。

暗い心に光がさすような感じでもありました。



哲学的には、自我と超自我との対話、利己心と利他心の接点・・・といったものになるのかもしれません。
そういった考察は識者の方にお任せいたしたく存じます。
長年心の中にあったものをお話する機会を与えていただいた事を感謝いたします。
ありがとうございました。
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この回答へのお礼

 おつかれさまでした。忠七の話は 創作に同じですから たいへんな労作ではないでしょうか。
 あらためまして ご回答をありがとうございます。

 へたのすけさんにとっての原点 でしょうか。

 ★ ~~~~~~~~~~~
 また、私はこの女性と同様の人が産んだと思われる子供の姿を見ています。

 その子供の姿から私が得たものは

 生命への祈りに差別は無い、差別無き祈りの心は誰にでもある

 というものでした。

 暗い心に光がさすような感じでもありました。
 ~~~~~~~~~~~~~~


 ★ これらの伝説は、橋のない川を渡って戻らねばならなかった女性への鎮魂歌だった。 / というものです。
 ☆ あぁ 橋のない川とは そういうたとえがありましたか。背水の陣 いえたとえがわるいでしょうか。ルビコンを渡った――うーん 川は同じでよいかも知れないが よいたとえではないかも。賽は投げられたでは 感覚がちがっているでしょうか。後戻りできないとの覚悟でしょうか。


 ★ ~~~~~~~~~~~~
 哲学的には、自我と超自我との対話、利己心と利他心の接点・・・といったものになるのかもしれません。
 そういった考察は識者の方にお任せいたしたく存じます。
 ~~~~~~~~~~~~~ 
 ☆ ここで触れておられる仮説は たいしたことはないとわたしには思われます。理知的なかたちの分析という視点が強すぎるように思われます。
 それよりは 愛の主題のほうが うんとよいでしょう。

 いまは保留しておきます。

 信太の森の葛の葉 これも おもしろそうな題材であるように思われます。お気の召すままに書き上げるということで みなさんに成り代わったかたちにおいても所望しておきましょう。

 あとまだお応えを書き込んでいない場がありますから あとで何か考えがまとまりましたら したためます。

 おつかれさまでした。ありがとうございました。
 そして あたらしいおつとめにも あゆんで行かれますように。

お礼日時:2010/11/17 21:46

その頃、忠七は帰り道の途中でした。


何も乗っていない荷車を引きながら、ゆっくりと歩いていました。
歩きながら
「お母に何って言ったらいいんだべ・・・一生懸命編んだ莚の金を何に使ったんだかって」
「ちっとだけくれてやれば良かったんだ・・・馬鹿だな俺らぁ~」
そう思いつつ歩いていました。
時々ふっと娘の泣いている顔や、じ~と見ている顔が浮かんでくるのでした。
気が付いてみると、いつのまにか
街から遠く離れた林のある丘のところに来ていました。
少し上り坂になった道で、忠七は踏ん張りながら荷車を引いていきます。
踏ん張る度に古い荷車がギシッギシッと音を立てました。
やがて、丘の一番高い所の手前まで来ると、何やら人影らしいものが見えました。
よく見ると、鉄砲を構えて何かを狙っている猟師のようです。
と、やおら立ち上がって鉄砲を下におろしたかと思うと、忠七の方を振り向きました。
忠七は何だろうといぶかしく思いながら近ずいて行きました。
大きな体の猟師が忠七を睨みつけて立っています。
すぐ近くまで行くと猟師がこわい顔をしながら
「おい、お前のせいで大きな狐を逃がしちまった」
「その荷車の音で逃げたんだ、どうしてくれるんだ」
忠七は謝りましたが、猟師の怒りは中々おさまりません。
とうとう忠七は言いました。
「何かあれば上げてえが、この通り何も持ってねえんだ、勘弁してくろ」
猟師は何も乗っていない荷車をしばらく見てから、忠七の方に振り向き
「ふん・・・」
と言っては、鉄砲を肩に担ぎ直して林の中へと入っていってしまいました。

猟師がいなくなって
忠七はそれから丘の上の見晴らしのいい場所でしばらくの間休んでいました。
見渡すと、あたり一面は深い草むらで、いかにも狐が住んでいそうな感じでした。
忠七は心の中でつぶやきました。
「あ~、今日は何んて日なんだ・・・ついてねえなぁ」
「金もみんなくれちまったしな~」
そう思いながら手を見ると、ふっと、娘にお金を渡した時の娘の手の感触が、顔とともに浮かんできたのです。
娘の頬っぺたに涙の流れた後があったのも思い出しました。
店の前で、あの~、と言いながらお金を差し出した姿も思い出しました。

そして忠七が何気なく見上げると、傾きかけた日差しが草むらをきれいに照らしていました。
きれいに光ったような草むらを見ながら忠七は
「そうか・・・いいんだ」
「莚はまた編めばいいんだ」
「お母にも何とか言えばいいんだ」
と、心の中でつぶやきました。
それから気を取り直した忠七は、帰り道をまた歩き始めました。

お母への言い訳は狐を助けた事にしよう・・・
狐を助けた代わりに猟師に怒られたので、みんな上げちまったと・・・
そう考えました。
忠七は、遅くなって暗くならないようにと、少し急いで帰る事にしました。

忠七が去った丘の草むらには、きれいな夕陽が差していました。
いつのまにか一匹の狐が道へ出てきて、忠七の帰る姿をそっと見ていました。
そして・・・
その日の夜でした。

(忠七のもとへ一人の女がやって来ました。)
(橋のない川を渡って一人の若い女がやって来たのです。)

 
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この回答へのお礼

 なるほど。娘を助けてやったことと キツネを猟師から逃がしてやったこととが うまくかみ合うかたちになっていますね。
 うまいこと つなげることをおやりになりました。

 このあとは 娘のほかに家来の男がいるのか父親がいっしょにいるのかを別として 伝説のごとくにすすんで行くのですね?

 最後のところで
 ★ 橋のない川を渡って〔・・・やって来た〕
 ☆ というのは つまりその川はあってもよいでしょうが 橋のない状態というのは 必然性が薄いように思いますが 何か仕掛けがありましょうか?


 愛はおそれを知らない。しかも――男女間のそれの場合――自分が相手にふさわしいかについて 愛がなければその是非のおそれを知らない。
 というのは 乙女心であるという説明も出来ますが 一般に身分の差・そして社会事情によって被差別民の問題ということになるでしょうね。
 ただ つうの場合は この社会的な情況にかんする情報がとぼしい。そういう込み入ったことはほったらかしであるように感じられます。そうであるとも そうでないとも 言っていないし 言おうとしていないように感じます。狐女房と鶴女房のちがいがありましょうか? ないでしょうか?


 途中のお話にまだお応えを載せていませんが こんな受けとめを持ちました。
 さらに 話の要素を抽出されるおつもりでしょうか? そこに無い要素を指し示すことに成功されましたか?

お礼日時:2010/11/17 21:29

男と娘の会話



「おとう この金返すべや」

「だめだ、もう行っちまった・・・仕方あんめえ」

「おとう 返しに行くんだ」

「だめだってば」

「おとう おら一人でも行く」

「だめだ」

「行く」

「・・・・・」

「おとう・・・」


父親の男には分かっていました、なぜ行きたいのかも
娘に責め立てられて、男は下を向いて黙ってしまいました。

そんなに行きたいのか・・・
そんなに会いたいのか・・・
会ってどうする・・・
どうせ追い払われて、また泣くだけだ・・・

そう思いながら見上げると、そこには娘の顔がありました。
じっと、まばたきもせず、口を固くつぐんで見ていました。
「おまえ・・・」
娘の手をつかむと男は下を向いて泣きました。

「行きてえか」

「ん」

男はゆっくりと立ち上がると、再び娘の手をとって忠七の行った道を歩き始めました。


(続く)
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この回答へのお礼

 なるほど。いいですね。

 愛はおそれを知らない。
 ただ自分が愛するにあたいし・愛されるにもあたいする人間であるのか その考えをめぐるおそれを 愛でなければ知らない。

 と思います。しいたげられた人間であれば そのような愛が内から汲めども尽きぬように湧き上がって来るでしょう。

お礼日時:2010/11/17 17:03

狐女房譚(推理ドラマ)



長くつづいた寒さも和らいだ小春日和のとある日
忠七は織り上げた莚を土浦へ売りにゆく事にしました。
沢山の莚を荷車に乗せてゆき、帰りにはその莚を売ったお金で、おいしい魚や塩や身の周りの物を買って積んでくる予定でした。
遠い道のりを荷車を引きながら、やっと土浦へと着いて、まず向かったのはいつも莚を買ってくれる荒物屋さんでした。
荒物屋さんで莚を買ってもらい、お金を手にしたので忠七は一安心しました。

さて、お昼を食べたら買い物をしよう
今日は初午だし、お稲荷さんの縁日だから沢山の店も出ているはずだ
まず、そっちを見てからにしようか・・・

お昼を済まし荷車を店に預けて、忠七はお稲荷さんに行ってみる事にしました。
さて、行ってみると参道の入口の手前あたりが何やら騒がしい感じです。
威勢のいい若い衆が二三人、大きな声を張り上げています。
「おい、ここをどこだと思ってるんだ、とっとと失せろ」
「卑しいくせして、こんなところで商売しようなんてとんでもねえ」
「今日のところは勘弁してやっから、ある物みんな置いてけ」
などと聞こえてきます。
あれあれ何の騒ぎだろう?
遠巻きに忠七の目にしたものは、即席の露店で小物を売る親子らしい男と娘の姿でした。
そのうちに若い衆が何やらバタバタとやらかした途端に娘が泣きだした。
忠七はしばらくの間立ち止まって一部始終を見ていました。
若い衆がいなくなり騒ぎが収まったので、忠七は参道の方へと向かっていきました。
通りすがりに横目で見ると娘はまだ泣いていました。
父親らしい男が回りの物を片付けながら
「今日は何んも買ってやれねえな・・・」
という声が聞こえました。
忠七の耳にそれははっきりと聞こえたのでした。
忠七は何となく出店で買い物をする気も無くなり、お稲荷さんへお参りだけをする事にしました。

お参りをしてから帰る途中、先ほどの所にはまだ娘がいました。
もう泣いてはいませんでしたが、頬には涙が流れたあとがあるのが忠七には分かりました。
娘はうつ向いてぼんやりと立っていました。
忠七はその前をゆっくりと通り過ぎました。
通り過ぎて少し行った時に、もう一度同じ言葉が忠七の耳に聞こえてきたのです。
「今日は何んも買ってやれねえな・・・」
それはどこからともなく聞こえてくるようでした。
忠七が思わず振り向くと、娘は父親と一緒に帰ろうとしているところでした。
忠七はとっさに懐に手を入れると、莚を売ったお金を握りしめました。
「馬鹿・・・」
そう心の中でつぶやくと思いきって娘の方へ早足で駆け寄っていきました。
「これ使え」
と言ってお金の入った袋を娘の手をとって乗せてあげました。
娘は余りの突然の事に驚きながら忠七の顔を見上げました。
忠七はもう一度
「使えや」 
と言いながら娘の手にお金を握らせました。
娘は忠七の顔をじ~と見つめたままでした。
娘には、忠七の手もお金の入った袋も暖かく感じました。
忠七は娘の視線をそらして振り向くと足早に立ち去りました。

何ともいえない気持ちのまま店に戻った忠七は、預けておいた荷車を取り出して帰ろうとしました。
「あ~何んて馬鹿な事をしちまったんだっぺ、お母にしかられる」
何も乗っていない荷車を見ながら忠七は心の中でそうつぶやきました。
そうして力無く荷車を引いて帰り始めた時の事でした。
後ろから
「あの~ あの~」という女の声が聞こえる
思わず振り向くと、そこには何と先ほどの男と娘が立っていたのでした。
「あの~ これ~これぇ」
と言いながらお金の入った袋を両手で持って忠七の方へ差し出しました。
忠七は驚いてしばらくの間、娘の顔をじ~と見ていました。
娘もお金を持ったまま、じ~と忠七の顔を見ていました。
やがて忠七は前を向くと黙って荷車を引き始めました。
少し早足で遠くの方を見ながら帰り始めました。
もう一度後ろから声が聞こえても忠七は振り向きませんでした。

男と娘はそれから忠七が荷車を預けておいた荒物屋さんに行き、忠七の事を尋ねました。
そして忠七にお金を返そうとしてお店に頼んでみましたが、聞き入れてもらえませんでした。
二人は相談した末に、忠七のところに行ってお金を返そうとします。
娘にとって忠七から頂いたものは、お金だけではありませんでした。
卑しい身分の者として生まれて、そうでない人から受けた初めての優しさでした。
その優しさは、忠七の顔と共に娘にとって忘れられないものになったのです。

(続く)
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

お礼日時:2013/06/23 18:03

(4) 推測



伝説の奥にある真実を読み取ろうとする事は、大変に困難な事のように思われます。
また、たとえ参考とすべき資料が沢山あったにしても、それだけを基に確信的な推測に至る事も同様に困難だと思われます。
推測の最後の決め手とすべきものは、推測を行う者の体験の如何にかかっているのではないでしょうか。
伝説と同様の事を直接的に知る体験を持っているかどうか、という事になります。
私の中の体験というものは長年積もったものではありますが、その中には、この伝説の謎を解くヒントが幾つもあるように思われてならないのです。
そうした内容は後で述べたいと思いますが、これから書こうとする推測は、私が得た体験に一応は拠ったものである事を予めご了承ください。

女化稲荷の狐女房譚の伝説を中心として推測をしてゆく事にします。
私が若い頃、仕事の関係でその神社のすぐ脇を二三度通った事もあり、多少の実感もあります。
また、平安、室町、現代という時間軸の中央に焦点を合わせてみるのも妥当な事かもしれないと思いますので。


忠七と狐との出会い
忠七が土浦へ行った帰りに、猟師に撃たれそうになった狐を助けとあります。
まずは、その辺のところから推理してみましょう。
忠七が住んでいたとされる村から土浦までは、地図で見ると直線距離にして約20km弱あります。
徒歩で行ったとすれば20km余りはあったかと思いますので、買い物や用足しも丸一日かかったと思います。
その当時(1400年代中~末期)の土浦は城下町として栄えた地方都市だったようです。
沢山の人が住み、武士・農民をはじめ、様々な商人や職人もいたと思われます。
そうした都会のような所に、忠七も時折行っていたのではないでしょうか。
都会の中で忠七は、ある一人の女性と出会ったかもしれない、と考えるのです。
そのきっかけとは・・・

少し話を戻します。
土浦は大きな城下町であり、周辺の主だった所にも武士が住んで、城や館を構えていたようです。
城のある所には、必ずその近くに賎業を生業とする人達が住んでいました。
武士は馬を使い、その馬の最後の処理をする人が必要だったためのようです。
馬の皮も貴重品だったために、馬の亡骸ができるだけ新しいうちに皮を剥ぐ必要もあり、運搬の関係もあったために、お城の近くに住んだものと思われます。
こうした牛馬の解体を生業とする人達は、穢れた卑しい身分の賎民とされ、庶民から蔑視され遠ざけられてきました。
一般の庶民と賎民とが交流をする機会は、まず無かったものと思われます。
しかし、城下町という都会ではまた違っていたかもしれません。
自由に沢山の人達が集まる場所では、思いがけない機会があったかもしれないのです。

では、その忠七と女性との出会いといったものを再現してみましょう(空想ですが・・・)

(続く)


※明日打ちます
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。

お礼日時:2013/06/23 18:03

大筋での共通点


どちらも助けられた狐が女人に変じて良き妻となり子供を設けた後に、正体を知られてしまったが故に悲しくも別れてしまう・・・といった内容です。

共通して描かれているポイント
○ 助けた狐が女人に変じた
○ 夫婦として結ばれて子供を設けた
○ 女の正体が狐だと分かってしまった
○ 幼い子供を残して母親が去った
○ 残された子供(子孫)が立派な人物になった

共通して描かれていないポイント
○ 当事者を取り巻く人間関係がほとんど描かれていない
○ 母親が去った後の家族状況が描かれていない
○ 去った母親の消息が全く描かれていない

描かれているポイントから物語全体を見た場合には、産んだ子供(孫)が立派な人物となって完結している点が大きいように思われます。
逆に見れば、その完結している点が無ければ物語が成立しえないようにも思えるのです。

描かれていないポイントから物語全体を見た場合には
意図的に描いている部分と、意図的に描かれていない部分があるように思える。
話の展開に肉付けといったものが見られないのは、その必要がなかったのか、或いは何らかの理由によって出来なかったのかもしれない。
また、描かれていない部分がある事によってこそ、この物語の構成が成り立っているように思えなくもない。

以上の事からの推測になりますが
描かれていない部分・削り取られた部分にこそ、この伝説を成立させた秘密が隠されているようにも思われるのです。
削り取られて闇に消えていったものを求めて歴史の中へと入っていく事にします。



(3) 歴史の暗闇

よく歴史の表裏といいますが、その裏側でも語られぬ部分というものがあります。
そこには、語る事を禁じ得なかった理由というものも存在します。
そうした歴史の暗闇というものは、いつの時代にもあったように思われます。
前述した伝説にまつわる歴史の暗闇と思われるものを以下に取り上げてみました。
取り敢えずはこれらの文献を参考としてお読みいただければと思います。
尚、これらの資料を参考とする事には抵触される向きもあろうかと存じますが、真実を明らかにしたいという立場をご理解の上ご容赦賜りますようお願い申し上げます。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B3%8E%E6%B0%91
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A9%A2%E5%A4%9A
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%9E%E4%BA%BA
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%B3% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%B9%B3% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%83%A8%E8%90%BD% …
http://www.city.minato.tokyo.jp/kurasi/zinken/ke …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A9%8B%E3%81%AE% …

以上の文献から、伝説の背景なるものの、大よその察しが付くものと思われます。
個人的な感想としては、現在にあっても、その暗闇の如きものが未だに消え去っていないようにも感じられます。
この暗闇から抜け出そうとして、抜け出す事が出来なかった悲しみが伝説を生んだ、と考えるのは私だけでしょうか・・・。

(続く)

この回答への補足

 被差別民は いにしえの昔 国の統一に歯向かう異人だった者から来ているという説があります。それをキツネとも呼んだのだと。

 ▼(ヰキぺ:キツネ) ~~~~~~~~~~
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%84% …
 § 歴史 / 神道への吸収
 大和時代に入り朝廷が勢力を拡大する中、抵抗する土着の神を持つ民を排除し、狐と呼んで蔑視していた。

 ところが後半に入って、突然(山神か神の使いとして)狐が登場する。日本書紀には、ヤマトタケルが東の蝦夷(えみし)を討ち、科野坂から美濃へ行く山中で霧で立ち往生した際、白狐(但し白犬説もある)が現れ導いたと記されている。

 「御饌津神(みけつ)が誤って三狐神と書かれた」という説が定説である。しかし秦氏が抵抗する土着民への懐柔策として使用させたとの説もある。

 こうして土着の神は豊穣をもたらす荒神的な性格から「宇迦之御魂大神」の「稲荷」として認識され、シンボルである狐自体は眷属に納まったと考えられる。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ☆ (クイッド・プロ・クオ)~~~~~~~
 神武イハレビコ軍は 登美のナガスネビコやエシキ・オトシキとの戦闘のほかに いくつか戦っている。宇陀のウカシ兄弟との戦いの事情は こうであった。

 《粟生(あはふ)には 香韮(かみら)ひともと》 つまりカシハラ・デモクラシの中にいた苦い韮のように 兄ウカシ・弟ウカシというまつろわぬ人びとがいたという同じ出だしから始まっている。ウタの構造において いくぶん異なっている。

 まづヤタガラス(八咫烏)という名の使いを遣って こう問わしめた。

  ――いま 天つ神の御子 幸(い)でましつ。汝(なれ)ども 仕へ奉らむや。
       (古事記 神武天皇の段)

 兄(え)ウカシは このやってきた使いを鳴鏑(なりかぶら)の矢で射返した。本隊を待ち撃とうとして 兵力を集めようとした。が 集めきらなかった。そこで一計を案じて 大殿を造り その中に押機(おし:それを踏むと圧殺される仕掛け)を拵え 仕える振りをして敵をここに招き迎え撃とうとする。ところが 弟のほうが敵につうじて これらすべてを神武イハレビコの軍に打ち明けた。そういうことになっている。
 迎えた敵の将たちに兄ウカシは自分が攻めやられて押機に陥って敗れるという物語(まづその前半)である。さらにイハレビコ軍は そこから兄ウカシを引き出して かれの身体を切り刻んだと書いてある。

 この一件落着のあと 弟(おと)ウカシがご馳走をたてまつったので これを 神武イハレビコ軍は いくさびと達に分けて与えた。その時歌ったという。

   宇陀の 高城(たかき)に 鴫(しぎ)罠張る
   我が待つや
   鴫(しぎ)は障(さや)らず いすくはし くぢら障る

   前妻(こなみ)が 肴(な)乞はさば 
   立ちそばの 身の無(な)けくを こきしひゑね
   後妻(うはなり)が 肴乞はさば
   いちさかき 身の多けくを こきだひゑね

   えーえー しやごしや 此は いのごふぞ
   あーあー しやごしや こは 嘲笑(あざわら)ふぞ
         (記歌謡・10)

 訳:《高地に鴫の罠を張って待っていると 鴫ではなく くぢらがかかった。前に娶った妻がおかずを所望したら そばの木のように 身のない部分をたくさん削ぎとってやって欲しい。後妻が所望したら ひさかき(野茶)のように身の多いところをたくさん削ぎとってやって欲しい。(そのあと囃し言葉がつづく)。》
 くぢらは 鯨とも 鷹(くち)らとも解されている。鴫との対照では でかいものという内容である。 だから 《鴫ではなく くぢらがかかった》というのが趣旨だと思われる。神武イハレビコの側から歌ったとすれば 敵の大将兄ウカシ本人を捕らえたと言っている。後半の部分は 宴会の場での話しであろう。

 けれども 《宇陀の高城(高殿)に鴫の罠を張った》のは――もし これを《大殿を造り その殿の内に押機を仕掛けた》ことに対応すると見たときには―― 兄ウカシのほうではなかったか。むろんそうである。
 そしてさらに もしここから一つの推理としての解釈を付け加えるとするならば こうである。弟ウカシが――兄を裏切ったかたちで生き延びた弟ウカシが―― すでに葬られた兄ウカシに代わってのように 《シギを待ったけれども 鞘(莢)にかかったのは 鴫なんかではなく くぢらであったわい》と詠ったのである。のではないだろうか。はじめは である。

 以下さらに 推理・憶測によるものではあるがいまこの線で話を進めたい。
 兄弟の涙ぐましい抵抗なのである。

補足日時:2010/11/17 14:38
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この回答へのお礼

 どうしても不都合な事態に立ち至れば この推理解釈を撤回しなければならない。また この解釈は 歴史事実の確定のためでは必ずしもなく 物語に関するかぎり 表現をめぐって妥当な理解を得たいというためのものである。

 もし初めには 弟ウカシの側がうたったとするならば のちにウタの主体を交換して 取り替えばや(クイッド・プロ・クオ)が成立したと考えられる。すなわち・・・
 このあと――いくさの後――まづ弟ウカシは その自分たちだけの食事の席で 一方で元からの妻には 蕎麦の木のように身の無いところを たくさん(こきし)削って(ひゑ)やれ(ね) 他方で新しい――たとえば イハレビコ側からもらい受けた――妻には いちさか木のように身の多いところを たくさん(こきだ)取ってやれとうたったと考えられる。ちなみに いづれにも たくさんやれと言っている。

 このウタが ところを替えてイハレビコ軍の勝利のウタとして採用された。《えーえー しや吾子(あご)しや あーあー しや吾子しや》と囃しがつけ加えられている。やっこ(吾子)にしたというのである。あるいは 初めの弟ウカシの宴席でもつけられていたものを 同じく採用した。
 一つの解釈として 《いのごふ》が いのちごいのことだとすれば 最初の《えーえー》のほうで 弟ウカシが その命乞いをしたことを表わし 次の《あーあー》で これを迎えつつ嘲笑うというふうに捉え得る。
 または 《いのごふ(剋期ふ)》とは 《じりじりと近寄る。攻め近づく》意ということであれば これも 初めの弟ウカシの宴席でのウタにそのまま あったのかも知れない。すなわち 次のようである。

 このようにひそかに弟ウカシらが歌っていることが イハレビコ軍に漏れた。これを知ったイハレビコは 弟ウカシを詰問した。詰問されると おそらく 命乞いをしたのであろう。したがって イハレビコ軍からは 《えーえー》で 弟ウカシの側のそのような意味での《いのごふ》が言われている。
 しかし 弟ウカシが歌った元のウタでは 兄ウカシを犠牲にしてでも イハレビコ軍に弟ウカシがひそかに通じて その策略を知らせるという初めの行動計画に従って 《じりじりと近寄っ》ていったと詠ったと考え得る。弟ウカシは 命乞いをしてでも もともとの《いのごひ》の計画を貫いたことになる。つまり 弟ウカシの密通は 生き延びるための〔兄らとの協力のもとにおこなう〕初めからの計画として行なわれたというのではなかったか。

 ここでは ことばの表現じたいは変わらずにあっても ウタの主体や それを述べる(編集する)側が どちらであるかによって 中味が二重性を帯びている。
 可能性の一つとしてその問題を追及しつづけるならば たとえば実際の事件として かつウカシ兄弟の戦略として 二重・三重に話が作られている。(これは あまり問題ではないようである。)けれども これを記事にして書く視点と 事件とが 二重構造化している。この二重構造はまた 当事者たるイハレビコ軍の書記(むろんいなかったのであり のちのストーリ・テラー)の視点と これをいま古事記として書いている者の視点とに 重層化するようである。(行為主体や視点の重層性のみを指摘している)。

 しかも 実際にはそのいづれの場合にも 基本的には――行動それぞれの意志そのものとして―― 一重であるとも言わなければならない。なおかつこの記事のままが・この記事のままでよいのだとする観点も存在するであろう。
 それにもかかわらず表現は成功しているからなのか 少なくとも表面上は一重の基本線に立っているように見える。自己表現あるいはおのれの文体 という動態がある。文章の中の行為主体が変わって 文体の原則が転変したとするなら 転変したとしても・つまりそのように主体を取り替えていても 言葉じたいとしてはその転変があたかも完成してしまってのように 何事もなかった形を見せている。
 キツネやら鴫やら鷹(くち)らやらくぢらやら 言葉の紛らわしさも然ることながら 異人を動物呼ばわりするやり方のもとに その主体がどちらの側のことであれそれはどうでもよいかのごとく 《取り替えばや》の物語が完成している。
 これが 差別・被差別の人間関係である。人間の文体は そのぶつかり具合いを超えてすすむ。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ☆ ただしこの差別・被差別の関係が 社会の制度として広く・歴史的に長く定まって行ったときには その泥沼から抜け出るのがやっかいなようである。

 つる女房の話が キツネの婚姻譚ほどにこの社会構造を表わしているかは あやふやだと思われます。(いまのところです)。でも同じ類型であり得ましょうね。

お礼日時:2010/11/17 15:04
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