戦勝国・敗戦国、そして、軍事裁判。
はじめまして。きりん先生です。
「東京裁判」のビデオを見てふと疑問を感じました。
なぜ、戦勝国が敗戦国を裁くことができるのか?ということです。
また、戦争に「裁く」とか「正義」ってあるのでしょうか?
よろしくお願いします。
回答(4件)
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自分の「正義」を貫きたいがために、戦争が起きるのだと考えれば、答えが出るのではないでしょうか。
自分(自国、自民族、自宗教)の「正義」は対局にいる人にとっては反対の意味になることがしばしばです。
No.3ベストアンサー10pt
No1さんが書かれたように「勝てば官軍」的発想は多分にあると思います。
わたしは「東京裁判」を肯定する気持ちはまったくありません。
しかし、第一次大戦までのような戦勝国による賠償金の取り立てから曲がりなりにも「平和に対する罪」、「人道に対する罪」という考え方を導入した点では一歩前進であるとは思います。
ちなみに敗戦国ドイツはニュルンベルク裁判で「平和に対する罪」、「人道に対する罪」を断罪されましたが、日本は連合国が必死で罪状をみつけようとしましたが、「人道に対する罪」で裁くことはできませんでした。
また、東京裁判の不公平さは数多くありますが、一番のきわめつけは不可侵条約を一方的に破り、日本に攻め込み、夥しい数の日本人をシベリアに送って強制労働させその多くを死亡させた(すべて国際法違反!)旧ソ連が、ちゃっかり「検事席」にすわり日本を断罪したことでしょう。
No.2ベストアンサー20pt
良いところに着眼されました。
世界の各国にはそれぞれの正義があり、生きつづけるための主張、国策があります。それが衝突するのが戦争です。
ひとたび戦争になれば、平時の常識など存在しません。国際法も交戦法規さえ無視されます。
「戦争に条約は無い」と言ったドイツのヒットラー、不可侵条約を破って北方領土を奪った旧ソ連、はたまた原爆投下は戦争終結を早めるための手段だったという主張に今も変りがない米国……
戦争は自国だけの繁栄を目指す手段として始めてはなりませんが、かといって、相手に侮られ、挑発されることがあってはならないのです。それには相応の備えが必要なのです。
戦争によってこうむると予想される人的、物的損失を上回る苦痛を受けてもなお、耐え忍ぶ覚悟が出来ていることが平和を守る上での前提なのです。
「不戦」などと軽々しく言えばすむものではないのです。
現実の重さを厳しく自覚しなければなりません。その自覚があってこそ、平和を守り続けることができるのです。
明治開国以来の歴史を過去の概念に拘泥せずに、冷静に厳正に見つめることが大切だと思います。
そこには、日本が国際社会の中で生きる道を求めてきた軌跡があります。又大東亜戦争に突入したした理由も明らかに見えてきます。
そして下記のURLにインドのパール判事のことが書かれております。一読ください。
勝てば官軍ですよね。勝った側が「正義」であり、負けた側はその「正義」によって裁かれるわけですね。
連合国側は、ポツダム宣言にその正当性を求めようとしていたと思います。けれど、いかにポツダム宣言があろうとも、法律に抵触する犯罪行為があって裁かれたわけではないですよね。殺人行為はあったとはいえ、国家単位での戦争行為の中での殺人を、何の法的根拠もないまま一方的に裁くのは、つまり、勝戦国側の敗戦国側、ひいては今後敵対する可能性のある相手に対する単なる見せしめでしかないと思います。
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