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 哲学で東洋と西洋では地理的にどこでわけたらいいんでしょうか?
 また、世界で初めて東洋、西洋といった人は誰で、いつ、どの書籍で言って
いるのでしょうか?
 最後に東洋と西洋の哲学は自然の接し方で違っているといわれていますが、
どう違うのですか?
 わかる人は教えて下さい。

A 回答 (1件)

 地理上の概念で言うと、北から順にウラル山脈、カスピ海、カフカス山脈、黒海、ボスポラス海峡と来て、地中海を経てスエズ運河、紅海と切っていって、そこから東がアジアになります。


 ところが、「東洋思想/西洋思想」というときの東洋・西洋は、必ずしもその線の東西とは重なりません。古代ギリシアの時代だと、今のトルコあたりを「オリエント・東方」と呼んでいますが、少し時代が下って、イスラム哲学あたりになりますと、中心地が中東であっても(北アフリカやスペインまで勢力を伸ばした時代もありましたが)、西洋思想として扱われます。これは、プラトンやアリストテレスの思想が中世ヨーロッパに伝わったのがイスラム経由だったという事情が関係しています。というわけで、明確な区分線を持つ地理学上の概念と「東洋/西洋」は一致しません。
 実は「東洋/西洋」という捉え方の枠組み自体が「ある一つの世界観」なのです。それ自体が「ある一つの思想」ということです。この二分法自体、例えばアフリカやオセアニアに「思想」が見出されれば成立しません。事実、この二分法はそれら地域の思想を排除する「差別」との批判も向けられています。

 が、いちおう便利ではあるので皆さん使うのですね。私も使います。私は「西」はまだしも、「東」に関しては激しく無知です…なんてぐあいに。
 哲学・思想における東西の区分は、上記のように時代によってもちがいますが、とりあえず近代以降に関しては割と明確でしょう。「欧米の近代西洋思想」が「西洋思想」で、それ以外が「東洋思想」です。…乱暴だな…。
 少し言い方を変えれば、一方が他方よりも優れたものと考えようとしたり、一方が他方を批判しようとしたりする際に浮上してくる枠組みが「東洋/西洋」です。近代初頭から植民地時代まで、西洋人は東洋人をおおむね見下しておりましたが、その際、近代理性主義を中心化しようとすれば、あんまり論理的でも理性的でもなさそうで、個人の尊厳にもさほど顧慮しているようには見えない東方の思想が「東洋思想」として蹴り落とされます。逆に「西洋の近代理性主義は、もうあかんで」という反省が始まった最近になりますと、「東洋思想にもいいとこあるじゃないか」ってな感じで「見直し」がなされ、中心化されていた西洋思想が「脱中心化」されます。
 そういうわけで、「一方が他方を…」という際に、ほとんど無意識のうちに採用してしまう枠組みが「東洋思想/西洋思想」ということで、その境界線はというと実はアタマの中にあるわけです。

 が、そういう形で境界が頭の中にあるのだということを発見した人というのはおりまして、E・W・ザイードという方がそれです。『オリエンタリズム』(1978年)におきまして、「(オリエンタリズムとは)オリエントを支配し再構成し威圧するための西洋の様式である」と指摘しております。「西・東という枠組みそのものへの反省」はここに始まるようです。

 最後のご質問についてですが、「東洋思想/西洋思想」の区別自体が上記のごとくにさほど有意義とは言えぬものですので、その枠組みに乗った比較の議論もそれほど有意義とは言えなくなると考えます。ごく大まかな議論しかできないであろうと。
 それでも一つ挙げるとしますと、その枠組みに何の疑問も抱かずに乗っかって、東洋思想ないし日本思想の優位を唱える自称哲学者・梅原猛氏の著作が、浅はかとはいえ分かりやすいでしょう。公立高校の入試問題によく取り上げられるレベルですから、わかりやすいことはまちがいありません。論文というより、エッセイですし。
 彼が地球の木材資源を浪費しつつ撒き散らしている与太は、わりと短く要約できます。要するに「西洋思想は自然に対して敵対的、支配的であり、東洋思想は自然に対して調和的・融和的である」ということです。

 梅原猛氏の文章は「わかりやすさ」がほとんど唯一の美点ですので、はまって抜け出せなくなる恐れもあります。ですから、解毒剤も処方しておきましょう。
 梅原猛を摂取してしまった後、もしくは摂取してしまう前でもよいのですが、オギュスタン・ベルグ著『地球と存在の哲学』(ちくま新書)を服用しましょう。「非西洋」という立場からの立論が、いかに盲目的な「自文化中心主義」に陥りやすいかについて、最初の方に書いてあります。
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