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史記 本紀について

役に立った:2件
  • 質問者:bu9mei
  • 投稿日時:2010/11/27 20:41
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司馬遷の「史記」において

始皇帝の息子である胡亥にはなぜ本紀がないのですか??

また、なぜ秦始皇本紀のまえに秦本紀がおかれているのですか??

本紀の定義がよくわかりません。

回答できる範囲でいいのでよろしくお願いします。

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No.2ベストアンサー20pt

  • 回答者:jamf0421
  • 回答日時:2010/11/28 08:36

No.1です。
> 始皇帝が中国を統一する以前の戦国時代には韓、趙、魏、楚、燕、斉などの国々も存在
> していたはずです。いくらその秦が強国だとしてもその時はまだたくさんの国の中の一
> 国にすぎないのでは?始皇帝の祖国なのだから秦始皇本紀に秦国の内容を書けばよいの
> では?

韓、趙、魏、楚、燕、斉などは世家で秦だけ本紀になっています。そこでまず天下統一を重く見ているわけです。しかし、質問者さんの言われるように、始皇帝の天下統一の前は秦の実態は一地方政権だったのです。だから本来は本紀にはふさわしくなくむしろ世家でもよかったのかも知れません。

そして秦始皇本紀で、秦王政の天下統一の経緯、統一後の施策の詳細が記述されます。つまり、始皇帝のことは、秦本紀の地方政権の長い歴史とは別立てにして、中国を統一し全国支配の政権を作り上げたので、その治績を述べる価値がある、と司馬遷は考えたのだと思います。
さりながら秦始皇本紀にでてくる始皇帝のやりかたは現代人からみると乱暴、残虐で、彼は天下を武力で統一する力はあったが、天下を治める資質はなかったように見えますね。

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この回答へのお礼

さっそくのご回答ありがとうございます!!

中国統一の礎を築いた秦国を司馬遷は評価して本紀にいれたということですね(^^)
史記は難しいですけどおもしろいですね~

すっきりしました。ありがとうございました!!!

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  • 回答者:jamf0421
  • 回答日時:2010/11/27 21:23

胡亥には実質皇帝としての役割を果たしていないと看做されたのでしょう。たとえば漢でも高祖本紀の次にきているのは呂后本紀です。皇帝であった孝恵帝の本紀はありません。実質国家は高祖の后で未亡人の呂后に牛耳られていたからです。
また高祖本紀の前は項羽本紀です。彼は皇帝になれなかったのですが、司馬遷の実質を重んじる姿勢から国家の歴史としては項羽本紀を立てるべきと判断したのでしょう。

本紀は皇帝の記録および国家の記録ですが、秦本紀以前はそうではありません。秦より前は、周本紀、殷本紀、夏本紀があり、いずれも秦と同様に王朝をまとめて本紀にしております。従って、夏、殷、周、秦の時代は皇帝ごとに本紀を立てていないということです。始皇帝にいたって初めて個人としての皇帝の記録が国家の歴史と合わせて書かれるようになったのです。
なお、史記の出だしは三皇本紀、五帝本紀ですが、これは伝説ですね。

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この回答への補足

回答ありがとうございます!!!

胡亥が本紀に値しない人物だったのは馬鹿の故事や阿房宮のことからみても
うなずけます(^^)

ただ、秦本紀についての回答なのですがすこし疑問が残りました。

始皇帝が中国を統一する以前の戦国時代には韓、趙、魏、楚、燕、斉などの国々も存在していたはずです。いくらその秦が強国だとしてもその時はまだたくさんの国の中の一国にすぎないのでは?始皇帝の祖国なのだから秦始皇本紀に秦国の内容を書けばよいのでは?

と思いました。変な質問ですいません・・・(;_;)
時間があるときで結構ですので意見をきかせてくれたら幸いです。
もしくはそういった文献などあれば紹介していただけると助かります。

  
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