平家物語の天草版と通常版
今、平家物語の天草版と通常版(覚一本・高野本)の比較をしています。
しかし、天草版は全部のストーリーが載ってはおらず、どことどこが対応しているのかわかりません。
ですので、天草版の話が通常のもののどの章と対応しているのか教えてください。
FEIQE という表紙の表記からも分かるように、文禄元年(1592)の『天草本平家物語』とは、ポルトガル人宣教師のための日本語と歴史の教科書として書かれたポルトガル式ローマ字表記の抄訳本です。
“NIFON NO/ COTOBA TO/ Historia uo narai xiran to/ FOSSVRV FITO NO TAME-/ NI XEVA NI YAVARAGVE TA-/ RV FEIQENO MONOGATARI.” 「日本の言葉と歴史を習い知らんと欲する人のために世話にやわらげたる平家の物語」16世紀の日本語への口語訳です。このヒストリアは、= 物語と解するべきでしょう。
内容は、右馬の允という人の「平家の由来が聞きたいほどに、あらあら略してお語りあれ」との要請をうけて、喜一検校が平家物語の概略を語るという形式を取っています。序文によると「両人相対して雑談をするがごとく」に書いたもので、言葉も筋も簡略化したことが分かります。
ですから文の対応はありません。通常版にもいろいろありますが「祇園精舎の鐘の声」に始まる最初から、仏教の無常観は全巻を通じてみられます。
キリシタンの宣教師も、仏教を足場として布教を始め、キリストに相当するのは大日如来だと思い「キリストを信じなさい」というつもりで「大日を拝みあれ」と叫び、仏教の布教をしていた事に気づいた、という話が残っています。
ですから、文章だけでなく、宗教の面でも平家の普通版に接近する事は、ローマから派遣された趣旨に反する事に気づいた訳です。
したがって、両者の比較はかなり表層的な面に限られる事になります。「あらあら略し」たものなのですから。
下記がご参考になるかも知れません。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question …
この回答へのお礼
そうだったのですか。
ありがとうございます!
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