源義経には二十数人の愛人がいた?
源義経には二十数名もの愛人がいたと聞いたことがあります。
これの出典は何でしょう?
いくさに明け暮れる生活を送っていた義経に、そんなに愛人を持つ時間的余裕があったとはおもえないのですが。
二十代の若さでそんなに愛人がいることが信じられません。正式な結婚をしていますし。
ずばり、愛人を持つメリットは何なのでしょうか?
好色だけではないはずです。
相手がかってに寄ってくるものなのか?
それとも、愛人の父から持参金などもらえたのでしょうか。
また、いくさのときに愛人を同伴するということがあったのでしょうか?
解釈の違いによりますが・・・
参考のURLは、葛西氏が頼朝に自分の嫁を青女と偽って伽に出したというものです。嫁を偽って出したが為に、歴史に残ったのであって、そうでない場合は、訪問先ではそれぞれの豪族が伽に出していたのではないでしょうか?為義や為朝など、子弟の母親がバラバラなのは、そのためでしょう。
頼朝の場合、鎌倉からあまり動かなかったのですが、義経の場合、少なくても頼朝との面談以降は、数年間「源氏の貴公子」として、行く地方、地方で土地の豪族が伽に娘を出したことは、想像に難くないところです。
とすると、20名程度の愛人というか、一夜以上の契りを結んだ女性がいてもなんら不思議ではないと考えます。
ということで、
1:時間的余裕:数年の時間的余裕があるから問題ない。
2:愛人を持つメリット:伽に出す豪族にとっては貴人との関係を持てる。義経側にとっても、土地の有力者との関係保持のためのメリットがある。
探してみたら義経研究のHPを発見しました。
その中のQ&Aに女性関連の記述がありましたのでどうぞ。
でも、そこによると12人という数字は出てきませんね。
そのサイトの年表を見ても愛人を大勢作っている暇なさそうですし。
新人物往来社から出ている本(タイトル忘れてしまいました。日本史の謎を追いかけるという内容です)によると、義経は背が小さく、色白の出っ歯で、あまり色男ではないとされています。
義経の愛人として有名な静御前ですが、たぶん他にもいたかもしれません。
当時は男尊女卑でありながら、貴族に見られた女系社会(通い婚)と、武士に見られた男系社会(嫁入り婚)の中間あたりの時期、さらに源氏の家柄もちょうど中間でした。当時は父親のいいなりで娘の嫁ぎ先が決まる許嫁がありました。つまり、愛人として娘を差し出した父親側にある計画があったとされています。
まず、源氏とつながりが持つということです。
義経が成人になった頃に、反平家の機運が高まりつつあり、平家から源氏に政権交代した際、義経ルートでお家安泰を狙った先行投資みたいなものがあったかもしれません。結果としては、衣川の戦いによってご破算になりましたが。
ただ、仮に二十数名もの愛人がいたとしても、すべてに愛情を注げたといえるかは疑問です。
私は、そのような話は聞いたことはありませんが・・・。
側女であれば、いたかもしれません。
側女は、愛人とは意味合いが違います。
この回答へのお礼
すいません。
側女=愛人でお願いします。
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