徳川幕府の財政
どうも徳川幕府というと、いつも金がない金がないといったイメージがあります。
逆に豊臣秀吉は大坂城を築いたり伏見城だったり金の茶室だったり、とにかく派手好きで金が唸っているといったイメージがあります。
徳川幕府初期は豊臣政権に比べて金はあったのでしょうか、なかったのでしょうか?
もしないなら、なぜに金がないのでしょうか?
全国の要地を抑え金銀山を抑え、領地(石高)も多く、豊臣政権に比べ劣るわけでもないと思いますが。
回答(3件)
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No.3ベストアンサー20pt
例えば、仮に北海道藩と言う藩があったとして、
農民などからの収入が 100億円
農地整備などに -50億円
藩主の兄弟とかの親類も含めて 家来の給料が -40億円
藩主の収入 100億円-50億円-40億円 = 10億円
だとします。
この藩を戦争費を支払って東京藩が攻め落とせば、
東京藩主の収入は 100億円
これを沖縄藩についても同様になれば
東京藩主の追加収入は 100億円
このようにやれば、例えば豊臣秀吉は一躍大金持ちになります。
攻め落とした藩の家来への支払いなどはゼロです。
農地整備などへの支出もゼロです。
戦争直後は、支出するものがなく収入だけなので大金持ち。
しかし、農地整備費を長くゼロには出来ません。
新しく家来にしたのは、自分の親類や孫子なので給料は増えるばかり。
本来20億円の収入なのに、200億円の臨時収入に目がくらみ、
一時成金藩主の贅沢病が続けば金欠病になりましょう。
豊臣家も長く続けば金欠病になったと思います。
この回答へのお礼
大雑把ではありますが、これは面白いたとえですね。
御回答ありがとうございました。
徳川家康が亡くなった時点で江戸に400万両の遺産があり、晩年を過ごした駿府にも200万両が残されていたので、この時代はけっこう余裕があります。
3代将軍家光のあたりから徐々に窮乏に転じ、5代将軍の綱吉の時代になると貨幣改鋳など、かなり財政が悪化します。
原因は、そもそも農業収入に頼っているので、物価の上昇があっても収入が増えず、支出が増えるばかり。
金山銀山の枯渇、貿易収入がなくなり、赤字貿易で金が海外に流出する、火事や富士山の噴火など天災で財政が悪化したなどの要因はあるものの、貨幣経済に乗りきれなかったのが原因でしょう。
8代吉宗の頃に緊縮財政と新田開発で持ち直すが、旧システムの改修だから根本的な問題は持ち越され、すぐに赤字に転落。
田沼時代が貨幣経済に移行するチャンスだったのですが、失脚により重農主義に回帰してお終い。
この回答へのお礼
なるほど徳川幕府も初期は余裕があったわけですね。
御回答ありがとうございました。
自分は細かい事までは分かりませんが・・・確かに金銀山はありますが、豊臣政権時代とそれ以前も掘って行った金銀山が徳川幕府に入って尚以前と同じで掘れるわけがなく・・・枯渇していきました。
そしてよく言われてるのが貿易ですね~鎖国していたと言ってもすべてではなく、当時の貿易で金銀を使って取引していましたのでさらに金銀が国外に流出するわけです。
年貢の収益は有ると言っても支出のが大きい上に財政が傾き質素倹約を始めたのが八代将軍吉宗からですから、それまでに結構赤字が進んでいたことでしょう・・・他にも要因はありそうですが自分が考えれるのはこれぐらいです。
この回答へのお礼
御回答ありがとうございました。
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