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書道家の方にご質問したいと思います。
書道家の定義とは?
書道展の意義・役割とは?

私の友人に書道家がいます。毎日書道展や読売書法展、県美展で、入選や入賞も何度かしています。にもかかわらず、書道家としては無名で、細々と書道教室で指導をするだけです。
ところが私の友人より下手にもかかわらず、書道家として本を出版したり、テレビに出演したりしている書道家がいます。
私にはデザイン文字のような筆文字としか見えません。別の友人にグラフィックデザイナーがいますが、彼が書く、書道風のデザイン文字と似ています。
そんな時にいつも疑問に思います。
大きな書道展で入選や入賞しても認められないのであれば、その書道展の価値はどこにあるのだろうか? 書道展に出品しなくても書道家になれるのであれば、書道家の定義は何なのだろうか? と、 誰か教えて下さい。 

A 回答 (3件)

書道家の定義などは


自分で決めるものです。

他人に権威づけしてもらってやることではないです。

書道家という言葉自体、昭和以降の造語です。
もっといえば、書道と言う言葉も明治頃?の造語です。


芸術と名乗る世界で
団体に所属してお金を払って賞を取っている状況が異常なのです。

はやく団体をやめることが
第一歩かと思いますよ。
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 意味のある質問です。

まず第一に書というのは文字の誕生から始まってその役割(伝達)から書体の変化がありましたが現代でも文字を極めるにはそれらの古典の臨書を学びます。そうしながら文字の芸術性をもとめてされぞれの書家と言われる人達が自分の書の世界を作っていきます。つまり
基礎があってはじめて個の書が出来上がると思います。書道家として本を出版したりTVに出たりするひとよりもご友人のほうが上手との見方ですが、出版やTVに出ている書家はここまでくるまでに相当な努力をして自分の世界を作り上げていると思います。もしあなたのご友人と同じ課題を同じ書体で書いたとしたらきっとTV出演の書家は驚くほど素晴らしいフツーの文字を書くことが出来るでしょう。私はTVに出ている書家とか出版している書家の全てを認めているわけではないですよ。ただ筆遣いや、墨の濃淡など決して一朝一夕で出来上がっているわけではないです。ご友人のグラフィックデザイナーの書は書ではなくデザインですので次元が違います。そのデザイナーの書く文字とTV出演しているとか言う書家の文字とは似ているようでも全く違います。
 大きな書道展で入選や入賞していることは認められていることです。素晴らしい事です。ただそこから団体展や公募展のしがらみを捨てて自分の世界を作り上げるかどうかが問題でしょう。絵の世界も彫刻の世界もそうですが、大きな団体展や公募展に入選、入賞しているひとよりも地元の市町村展で受賞して地元では有名画家になっている人もいるでしょう。芸術の価値を論じると大変です。
 書道家の定義、画家の定義はありません。あなたのご友人がしっかりした審査の行われている書道展に入選、入賞されているのであれば自信をもって書家を名乗っても良いのではないでしょうか。要は肩書きではなく作品本位であって、どんな作品でもアイディアや思い付きで出来上がったものはその場かぎりで短命に終るでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
お礼が遅くなり申し訳ありません。
私がこのような質問をした訳は、書道を真剣に頑張っている人がいるのに、書道会によっては先生の個人的感覚で作品の良し悪しは決まるようなところがあり、書道家ではない私から見たら不思議でなりませんでした。
もう一つは、ある大学の卒業制作展を見に行った時です。どの作品も真剣に書いていました。将来は良い書道家になるのだろうと思っていたら、生徒さんが「書道では飯を食えないから普通の会社に就職します。」と言った時は少しショックを受けました。大学で四年間も学んだのに書道家になれない。子供たちが一生懸命に頑張って来たのに好きな仕事ができないのは可哀そうだと思いました。
私たちデザイナーと違い、本人の努力だけではどうしようもないところがあるのも知りました。
書道に係わる大人がここで考えないと、書道は趣味だけの世界になるような気がしています。
書道家でもない私が偉そうなことを言って申し訳ありません。

お礼日時:2011/01/24 10:06

先ず書道←これは趣味と言う事を知っていましたか?ですから自由なのです。



相手が認めて習いに来る場合もあります。また,資格を得て看板を掲げて教室として成り立っている場合もあります。

書道展の規模もいろいろあるが,入選・入賞は主催者側の好みの作品を出品して評価される場合もあります。また,袖の下によって入選する場合もあります。

出版をする場合もそれなりの資金があれば可能です。もし,その本が現代の趣味に即した文字なら,好みによって評価されて,はやっている場合もあります。

游書と言われる文字は何処でも見ることができます。デパート・スーパー・催し場所等々いろいろな場所で定義・意義・役割はあまり関係なく又気にしない時代になりました。

最後の質問ですが,無名の人が努力して歌手になり,役者になるのと同じです。ある書道連盟では権威を重んじて成り立っている所もあれば,歌手や役者でも自分の天生を見出し一流になって絵画展に出品して賞を得ている人が居ます。

上記の事から定義・意義・役割を探しだしてください。参考のなればよいのですが,時代とともに変革する時代に後れまいと頑張っています。

ちなみに私は名の通った書道学校で学び,その学校独自の年2回の書道展にて何度も賞を戴き審査の上教授の資格を戴き塾を営んでいます。芸術の美術本に我が同僚の文字が掲載されているのを見かけます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
私は建築設計の仕事をして来ましたが、建築士は試験で合格すれば、建築家として認知されますが、書道は歴史があり、書道の先生と言うと、凄い芸術家のようなイメージでした。そこで私の友人が書道をしているので、書道家はどうなのかと疑問に思っていました。
時々威張った書道家を見かけますが、気にすることはないのですね。
おかげで少しほっとしました。

お礼日時:2010/12/25 18:03

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