鎌倉・鶴ヶ岡八幡宮の源平池について
鎌倉・鶴ヶ岡八幡宮の源平池の歴史や池にまつわるお話について、どんなことでも結構ですから教えてください。中学校の研究課題で調べています。よろしくお願いします。
回答(3件)
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No.3ベストアンサー10pt
【鶴岡八幡宮】
治承4年(1180)8月源頼朝は、
伊豆国に源家再興の旗を上げ、石橋山の戦いに敗れて、
房総に転じ、10月鎌倉に渡るや、直ちに鶴岡八幡宮を創建し、
居館を定めて、平家討伐の本拠としました。
【源氏繁栄の池】
頼朝の妻の政子が源家が栄えることを願って
寿永元年(1182)4月に弦巻田とよばれる社前の水田3町余に
専光坊や大庭景義らに池を掘らせました。
これが源平池ですね。
【赤と白の蓮】
東の池には白い蓮、西の池には赤い蓮を植えさせて、
源平の旗の色を表わしたといわれています。
【池と島】
池の東側の源氏池に3つ、西側の平氏池に4つ築いた島は、
三は産、四は死を意味し、
源氏の繁栄と平氏の滅亡を意味したといもいわれています。
この回答へのお礼
詳しいご説明、ありがとうございました。とても参考になり助かりました。参考URLも拝見しました。しばしば訪れる八幡宮の源平池にこのような歴史やお話がありいっそう興味が湧きました。
No.2ベストアンサー20pt
私の知ってことと本などから、鶴岡八幡宮の源平池について紹介します。
この池は、1183(寿永元)年の4月24日につくられたといわれています。北条政子が夫の源頼朝の必勝と源氏の繁栄、そして平家の滅亡を祈願して家臣に造られたといいます。この工事には、良遷(りょうせん)と呼ばれるお坊様と大庭景義らが奉行となり、弦巻田とよばれる八幡宮の前にあった3町あまりの水田にしたようです。
源平池は二つの池からなり、太鼓橋の下でつながっていて、社殿に向かい右が源氏池、左が平家池と呼ばれています。源氏池には源氏の白旗にちなんで白蓮が、平家池には平氏の赤旗に合わせて赤蓮が植えられていて、夏は紅白美しい花を咲かせます。ます。東の池の源氏池には島が3つ、西の池の平家池には島が4つあり、それぞれの島の数が源氏の繁栄(三=産)と平家の滅亡(死=四)をあらわしています。ただし、この島の数が双方とも4つの時もあったようで、江戸時代に平家池から一つ減らし現在のような池になったといわれています。
現在ある石造りの太鼓橋は、かつては赤塗りの木橋で交通の要路であり、和田合戦・三浦の変などで争ったところだそうです。
さらに興味があるようなら、次のホームページをご覧ください。
http://www.fsinet.or.jp/~hachiman/syoukai/yuisyo …(鶴岡八幡宮の由緒) http://www.hachimangu.or.jp/about/guidance/top.h …(鶴岡八幡宮 | 施設案内)
江戸時代の古地図のホームページhttp://www.geocities.jp/nosuka02/KOEZU.html も参照してみては?
この回答へのお礼
詳しいご説明、ありがとうございました。とても参考になり助かりました。江戸時代の古地図も研究報告に引用しました。しばしば訪れる八幡宮の源平池にこのような歴史やお話がありいっそう興味が湧きました。
この回答へのお礼
ありがとうございました。とても参考になり助かりました。
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