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意思表示よりも相手側の察する力が求められるのは何故でしょうか?
自分は何も言わずに人に色々気を使ってもらおうというのはおかしいのでは無いでしょうか。


それと下記の質問があったとします。

質問1「人の立場にたって空気を読める男になりたいと思います。どうしたらいいですか」
回答1「とても良い心がけです。次の点に注意してください」
これは良く分かります。

質問2「この状況で夫が何故か怒り出しました。夫は何も言わなかったのに。何故でしょう」
回答2「そんなものじゃないでしょうか。あなたが気遣いを出来ないのが原因です。この機会に反省しましょう。」
こういうのを見かけますが、論理的にはあまり分かりませんが、世の中的にそうなっているのかなと思います。(論理的に納得しないと意味が無いわけですが。)


では、次の質問があったらどうでしょう。
質問3「妻が全く気遣いが出来ません。私は何も言っていませんし、私のことを教える気もありませんが、言わないからといって分からないなんておかしいのではありませんか。今日は妻には黙っている事が出来ず怒り出してしまいました。」
この場合質問2から考えると、

回答3「問題のある奥さんですね。相手が何も言わなくても相手がして欲しい事して欲しくない事を理解して実践する事は人付き合いでは当然です。一度説教した方が良いですよ」
という様な内容のアドバイスが多くつくのでしょうか?
質問2には回答2のような内容の事が多く付く一方(ここも仮定ですが)、質問3には「最初から本人に言いましょう」「相手が妻だからといって甘えるのはやめましょう」という回答が多くつくということはありませんよね。


決してふざけているわけではなく本当に気になります。

A 回答 (2件)

こんにちは。



質問3なら、「最初から本人に言いましょう」っていう回答が多くつくと思いますよ。

一見矛盾しているように見えますが、質問2と3には共通点があります。

それは、どちらも「自分は悪くない」という前提で質問している、という点です。

それに対して、回答者たちは「ちょっと待って。全部相手のせいにしてるけど、自分はひとつも悪くないって言えるの?」という観点から回答するわけです。

なので「相手に求めるだけというのはおかしい」という概念は、共通認識としてまだ存在していると思います。

「自分はこうしてほしい」と意思表示するのも、
「相手はこうしてほしいんだろうな」と察するのも、
人と人の関係の中ではどちらも大事です。そこに異論のある人はいないでしょう。

それでもなんだか最近、皆まで言わないとわからない人が増えてるような気もしますし、
わかっていても「言われてないことはやらなくてもいい」と考える風潮があるように感じます。

自分が「空気読め」と言われるとムカつくけど、他人には「もうちょっと察してよ…」と
思ってる。そんな人が多いんじゃないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そういう前提があるわけですね。
ならお互い様でしょうか。

お礼日時:2011/01/15 23:21

本で読んだことの受け売りですが、これは日本固有の習慣なのだそうです。


海外ではそういう習慣は無いのだとか。

日本の「空気を読む」文化は、ビジネスの場では障害となることもあるそうで、
公的な場所ではあまり好かれないようです。

ただ、家庭内などプライベートな場面では、
”ここは日本なんだし、日本の伝統を大切にしようよ”
という意識が強く働くようです。

意志伝達には必ず一定の労力が必要になります。
オフィシャルでは送り手が、プライベートでは受け手が負担すると決まっているようです。
というわけで、質問1はオフィシャルなので意志表示が求められ、
質問2,3はプライベートなので空気を読むことが求められる
と、私は分析しています。

蛇足)
状況に関係なく、意志伝達に必要な労力の大半を引き受けてくれる人
(空気も読むし、必要に応じて意志表示もする人)とは、付き合っていて本当に楽です。

逆に、状況に関係なく意志伝達の労力をほとんど負担してくれない人
(空気も読まない、意志表示もしない人)とは、付き合っていて本当に疲れます。

私は、前者を目指しています・・・。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
オフィシャルでは送り手が、プライベートでは受け手が負担という風潮は気がつきませんでした。

お礼日時:2011/01/15 23:33

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