プロが教えるわが家の防犯対策術!

こんばんは。
どんな楽器でも良いのですが、演奏家として、人前に立つ方に質問させて下さい。

極端な話ですが、楽しい曲を演奏しなくてはいけない直前に悲しい出来事がありました。
演奏会で楽しいはずの曲のなかにそれ以外の感情が出てしまう人は、
音楽家として良い事か悪い事かわからなくなりました。

歌詞の内容が怒りとか憤りを表現したい曲なのに、他の感情を出してしまう事を、表現が深いとか、人間味があって良かったと感じるのか、それともその曲を理解していない・雑念が多いと感じるのかどちらなのでしょうか?

そう言う心情を知りながら、表現したい本質と違う感情が入り混じった音楽を先日ライブで耳にしたのですが、とてもプロとは思えませんでした。

でも、解散コンサートで感極まって泣いてしまうのなんかは結構ぐっときたりもしますが。

支離滅裂ですみません。
なんでも良いので思いつくことがありましたら、是非ご回答ください。お待ちしています。

A 回答 (5件)

アマチュアですが、(元)トランペッターです。



私自身はあまり好きなエンターティナーではありませんが、美空ひばりさんはどんな時にも「悲しい酒」を歌うときにはセリフの部分で涙を流しました。
これが<プロ>というものではないでしょうか?

自分の感情に雑念があろうとも、観衆の前では感動を与える演奏(とはかぎりませんが)をするのがプロフェッショナルだと思います。
5FFさんがご覧になったエンターティナーは、甘えを持った素人ではないかな、と思います。私ならば「入場料返せー!!」と怒鳴ったかも知れません。

聴衆は、エンターティナーが悲しいときに楽しい演奏を聞かせてくれたとき、より一層大きな感動を覚えます。
逆に、聞き手が落ち込んでいるとき、素晴らしい音楽はその人を元気付ける力を持っています。
だから、エンターティナーは、真剣に演奏に打ち込んで欲しいのです。自らの感情を捨てて・・・

メチャクチャな文章ですみません。以上が私の感想です。

なお、演奏家ではなく、指揮者ですが岩城宏之さんの著書の多くに指揮者の立場として、演奏中の感情や思いがたくさん綴られています。ご興味がありましたらご一読下さい。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。
私の思考のまとまっていない文章を理解し、回答を頂き嬉しくおもいます(^-^)

私がみた人は、アマとプロの境目位にいて時々テレビに出る程度の人です。
それはとても大切なライブで且、悲しいライブではありましたが、それを表現したいはずの音楽とは違う雑念を入れて演奏してしまった事によって、
私にとってはそのライブは最高のものではなくなってしまったのでした。
と言うか、興ざめ。。
そこはそう言う感情を押し殺していつもどおりにやってこそプロですよね?
そこに人間味を感じることはプロとしてはどうかと思いました。

岩城宏之さんの本ですね?参考にさせていただきます。

ありがとうございました♪

お礼日時:2003/09/02 08:41

演奏の仕事してます。



単純に思ったので書かせていただきます。
本番中の感情、それは、極端に言うと
たいした問題ではないと思います。
・・・といいますと語弊がありそうですが。
つまり、聴衆が「いい」と感じればそれでいいのではないでしょうか。

泣きながら楽しい曲を弾こうと、
楽しい曲に「悲しみ」や「苦しみ」を感じさせても
それが「いい」と感じられれば、それはそれです。

楽しい曲をどんなに「るんるん♪」で弾いても
客が冷める場合もありますから・・・(^^;

演奏というのには、いろいろな意味があると思います。
曲を解釈し、再現するということもあれば
作曲者の心情を表現すること、
演奏者の内面を表現すること、
メッセージを込めることもあるでしょう。

それを一概に、「こういうケースはいい」「こうなったらダメ」と区分けする事はできません。
お客さんも、演奏者の全てを理解するわけではありませんし、勝手に勘違いすることだってあります。
聴く人それぞれが何を求めているかも違う。

演奏者の仕事は「お客を満足させること」です。
どんな気持ちで演奏してもいいので
聴く人を満足させなくてはいけない。
聴く人が満足しない演奏を生むならば
たとえどんな曲にそった感情でも「よけいなもの」でしかないと思います。
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この回答へのお礼

こんばんは。お礼が遅くなってすみません。
ご回答いただきありがとうございました♪

結局私はその大切なライブを『いい!』と思えなかったので、失敗だったのかな~と思いました。
毎回大満足のライブという訳ではないけれど、がっかりしちゃいました☆

ありがとうございました♪

お礼日時:2003/09/19 02:11

 例えば、プロの結婚式司会者は、個人的にどんな悲しい心境だろうが、本番ではそんな雰囲気は微塵も出しません。



 プロという言葉には、いささかそのような厳しさがあります。プロは、病気なども含めキャンセルしたり、うまくやれなかったら、次から仕事が減ります。いろんな意味での、信用が大切なわけです。また、プロとしての意識は、そういったこととは別に、自身に仕事に対する誇りを持たせます。その道の専門家であるという自負が、あらゆる状況に立ち向かわせます。

 ただ同時に、音楽は心でやるものです。自分の心で感じるものを表現するものです。心を閉じ、機械的に演奏することは、聴衆に感動を与える演奏には繋がり得ません。むしろ、心の動きを表に出すことによってこそ、聴衆に伝わるのでしょう。

 つまり、感情を押し殺す、あるいは自分の感情を突き飛ばして演奏することは、「仕事をするにおいて」必要なことなのだ、と言えます。ですから、時に曲に感情を込めている「振り」をして、あるいは気持ちをだまして演奏できることが必要であるにしても、音楽家としての本来の技ではないと考えます。その場を「しのぐ」ことができるというは、ある種のプロの強さと技術であり、その人が本当に評価されるべき部分ではありません。

 以前、坂本冬美さんが肉親を亡くして直後のコンサートをなんらそれに触れず、明るくこなしたことを新聞で誉められているのを見ました。これは、坂本さんの強さであり、すごいことだと思います。しかしこれは、実に坂本さんの、音楽家としてのごく一部分を指して評価されたにすぎないのだ、というのを忘れてはならないと思います。
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この回答へのお礼

こんばんは。アドバイスありがとうございます。

>例えば、プロの結婚式司会者は、個人的にどんな悲しい心境だろうが、本番ではそんな雰囲気は微塵も出しません。
> 以前、坂本冬美さんが肉親を亡くして直後のコンサートをなんらそれに触れず、明るくこなしたことを新聞で誉められているのを見ました。これは、坂本さんの強さであり、すごいことだと思います。

分かりやすく例をあげていただきありがとうございます。

>自分の心で感じるものを表現するものです。心を閉じ、機械的に演奏することは、聴衆に感動を与える演奏には繋がり得ません。むしろ、心の動きを表に出すことによってこそ、聴衆に伝わるのでしょう。

ごもっともです。
私の表現が下手ですみません。
私ももちろん仰るような感情でいます。
極論ですが、楽しい曲の中に悲しい表現は不要ですよね?
楽しい中に悲しい表現を必要とする曲でない場合ですが。

この人はそうではなかったと言うことです。
『感情を込めているふり・雑念を払いながらの音楽』そんな音楽を聞かせてしまったことに気付かないのは本人ばかりだとおもうのです。私の考えが硬すぎるのかもしれませんが。

私は『感情を押し殺しての表現』を良いといっているのではなく『本来伝えたい内容と違う表現を、入場料を払って時間をさいて聞きに来る人に対して、みせていいのだろうか?』と言う点を指摘しているつもりでしたが、文章力がなく誤解を招き大変すみませんでした。

ライブ中の音楽の中においてのみで良いから、きちんと表現をしてくれたのなら、さらに多くの悲しみと感情の高ぶりを共感できただろうと思うと残念でなりません。

ありがとうございました♪

お礼日時:2003/09/02 22:27

こんにちは。


一番に思うのは、人間臭くていいじゃないですかと言う事です。私たち演奏家は、ロボットではないですから、完璧な物を求めるのであれば、差し替えが利くCDが一番です。ライブは、いいものも悪い物もすべて出ますから、聞き手も演奏家にもリスクがあると思うのです。
日々、生活していて毎日感情は移ろいますし、自分で抱えきれない物もあるはずです。その大きさは、本人にしか分からないのでは。
ただし、確かにプロとして舞台に立っている以上、コントロールできるすべも見につけておいてしかるべきだとは思います。観客が、違和感を感じるほどの演奏
をしたのだとすると、確かに問題があるのかもしれませんね、プロとして…。

ファンでしたら、演奏の出来不出来もさることながら
今回は特別に大らかに見てあげたらいかがでしょうか?まあ、あまりにひどい物だと普通は演奏者は、キャンセルしますがね。

お役に立てずすみませんが、こんな感じです。
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この回答へのお礼

こんばんは。ご回答ありがとうございます。

ライブのよさって、目で見ても楽しめるって事もあると思います。メンバー同士でしか分からない、微笑みや苦笑いなど、演奏しながらの楽しみ方とか、そう言う所も楽しいし、自分が演奏する時も、アンサンブルでもソロでも『対話』(ソロの対話とは自分が出した音に対してだったり、表現したいものだったりします)も大事にしたいのです。

先日海外アーティストのコンサートに行き、たまたまミスをしてしまった人が、前列の私たちに向かって苦笑いしてくれましたが、それはありだと思うのです。

でも、今回の場合、悲しいからと言ってアイコンタクトをとらなかったり、緊張したり。いつもと違う空気で、それを『味』と言って片付けていいものなのだろうかと思うのです。
プロは入場料を払って時間をさいて来てくれた観客に対して、最大の表現力をもって演奏すべきだと思うのですが、如何でしょうか?
私はプロの演奏家ではありませんが、演奏する場において、雑念を持ったままの演奏はしたくないと常々思っているものです。

…、ところで、CDが完璧だと言うご意見には賛同しかねます。
ライブで全て聴く事が、色々な面から不可能だからそれを手軽に補うものがCDではないでしょうか??

色々もしかしたら否定しているように受け取られてしまうかもしれませんが、私は私の納得のいく『否定』を望んでいます。

ファンとしてなんだかがっかりなライブでした。。

>お役に立てずすみませんが、こんな感じです。
いえ、そんな事はありません。とても貴重なご意見いただきましてありがとうございました♪

お礼日時:2003/09/02 22:17

人間の感情は常日頃、変化します。

自分がいつどこでどんな出来事に出会い、どんな気持ちになるのかは事前には予測できないですよね。
私はピアノをやっていますが、たとえ自分が生活の中でどんな感情を持っているときでも、演奏する時は別世界です。普段もっている一切の感情は捨て、演奏すること集中します。つまり、その時だけの、その作品のためだけの感情というのを、演奏の時に今まで自分がつちかい、経験してきたことから、作品に一番適した感情を本能的に引き出して演奏します。
それができてこそ、真の演奏家だと思います。
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。

私も、一応演奏者です。とても悲しい事(別れや、死に直面した時)があったとき、とても演奏できるような気分ではないときでも、演奏するその一瞬だけは全てを忘れてその作品にあった表現をする事が演奏家だと思うのですが…。

先日ライブに言った所、皆が悲しいのは分かっていましたが、(死別とかではないのに)そう言う雑念が入りまくり、ステージ上の誰もが(悲しいからか)目を合わせようとせず、声を詰まらせ…。。
人間だからそう言う気持ちはわかるけれど、伝えたい本質と違う感情を混じらせる音楽家は音楽家としていいのだろうか?と考えた次第です。

ありがとうございました♪

お礼日時:2003/09/02 08:48

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