アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

よくある、英語の中で、っこのことがわからないのですが、教えてもらってもよろしいでしょうか?
thisの複数形 theyの所有代名詞
twelveの(~番目という形に)    two(~番目という形に)
thatの複数形              以上です。ばらばらですみません。お願いします。
three(~番目という形に)
youの所有代名詞
five(~番目という形に)
itの所有格
weの所有格
weの目的格

A 回答 (3件)

thisの複数形 = these


theyの所有代名詞 = theirs
twelveの(~番目という形に)= twelfth   
thatの複数形 = those             
three(~番目という形に)= third
youの所有代名詞 = yours
five(~番目という形に)= fifth
itの所有格 = its
weの所有格 = our
weの目的格 = us
two(~番目という形に)second

所有格と所有代名詞には以下のような違いがあります。

http://choidebu.com/bunpou/shoyuudaimeishi.htm
    • good
    • 1

this -> these


they -> their
twelve -> twelveth
two -> second
that -> those
three -> third
you -> your
five -> fifth
it -> its
we -> our
we -> us
    • good
    • 0

1. はじめに



最近は英語も使わないし、使いたい気持ちもますます薄れていく 一方の英語ですが、なれの果ての今から昔にかけて時間を逆に辿って つづります。

結論からいうと、英語はもういらない。
今では使わないもの、これからも使う必要もないものを磨いても仕方がない、 と思っています。
また、構造の複雑な英語に肩入れすることは、英語のできる者、できない者の格差をますます 広げることになるかもしれません。
このように明るく諦めています。
「英語力」を説明する指標として手っ取り早いのは各種検定試験の 成績でしょう。過去の成績は次の通りです。

英検準1級(確か1994年ころ取得)
TOEIC 690点(確か1998年ころ)
英検1級は1986年挑戦時は1次で not passed A, 1993年挑戦時 に1次で not passed B でした。
TOEIC は初めて受けたのが1994年、この年は790点ほどでした。 年1回受けるたびに20点から30点ほど前年より下回るように なりました。 2002 年 6 月に受けた結果は、835 点 (listening 400 点、reading 435 点)でしたが、 これは別に英語の勉強をしたからではなくて、TOEIC の勉強をしたからです。

いずれにせよ、英語力は確実に落ちています。 いつがピークだったかというと、大学受験時なのでしょう。

2. 英語はどれだけ必要だったか

必要というのが何に対してか,ということにもよります。 仕事に対してということですと、こんな感じでしょうか。

読む、ということでしたら、社会人生活の前半は 研究部門に在籍したこともあり、だいぶ行なってきました。 しかし、社会人生活の後半ではほとんど必要性を感じませんでした。

書く、ということでしたら、逆に前半は全く行ないません でした。英語そのものの善し悪しは別として,研究部門に 在籍していたにもかかわらず、何も情報発信をせずにいるのは恥ずかしいことです。 後半は、電子メールでやりとりができる程度のことはでき るようになりました。電子メールというのはありがたい ものです。旅の恥はかき捨て、といいますが、電子メールも「書き捨て」 に近いものがあり、もっとも私にとってはありがたい媒体です。

聞く、ということに関しては、同年代の平均よりは多少できるかな、とは 思っています。それでも込み入った英語、速い英語はお手上げです。

話すのは、今まであげてきた能力のなかでもっとも劣る ところでしょう。だいたい日本語においてさえ見劣りを 感じるのです。いわんや英語においておや。

3. 初めての外国旅行

私が初めて外国旅行をしたのは30歳のときでした。行かずにすめばそれに越したことはないのですが、 いつ用事ができるとも限りません。それならば場慣れしておいたほうがいいでしょう。 ちょうど、酒友達 Koike さんから旅の誘いがあったとき、ほいほいと乗ってしまいました。
Koike さん曰く、こんなに「まる」が乗ってくるとは思わなかった、と。 Koike さんの誘った時期は、私にとって実は非常識な時期でした。だから、Koike さんも私を誘うのを ためらったようでした。しかし、その時期に行こうとけしかけたのは私です。 非常識な時期に休暇を取った私に対して、私の上司はあきれていました。しかし、もう多くは語りますまい。
場所はオーストラリア。治安はいいし、英語は通じる、時差ぼけは少ない、他にもいろいろ都合がいいことが ありました。
分担は、Koike さんが車の運転を、私が英語を使った各種交渉を、というものでした。私は免許をもっていないし、 Koike さんは多少英語を苦手としていたことから、自然とこんな分担になりました。

畳の上の水練だった私の英語がどの程度通じるか、私は恐れていました。しかし驚くべきことに、 私の英語はほぼ通じました。シドニーの空港では飛行機の乗り換えに遅れてしまって、本来乗るべき飛行機に 乗れなかったできごとがありました。Koike さんはあせったそうですが、私はとにかく窓口に行って 乗り遅れた(I missed my airplain.のような英語だったように思う、このmyはへんだよな) ということを伝えました。すると、 窓口の人は次のかわりの飛行機を手配してくれました。こんな感じで万事が済みました。カバンをなくしたとか、 病気になったとか、そういう重大な事件にはならず、よかったということではありました。

わたしが参ったのは、Koike さんの飯のことでした。 あるときKoike さんが「ラーメンが食べたい」と言い出しました。 私は思いとどまるよう説得しましたが、彼は聞きません。仕方なく中華料理屋へ行き
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!